記事 — Article / タフティ
タフティで現実が設定できない人の
「8つの間違い」
реальность по методу Тафти
この記事を読んでいるということは、おそらくすでにタフティのテクニックをご存じで、それらを使えば、自分の望むあらゆる現実を自ら「設定」できることを知っていることでしょう。
けれど現実には、こんなことがよく起こります。タフティのテクニックを実行し、ターゲット・フレーム(コマ照射メソッド)を設定し、意図の三つ編みでそれを照射しているのに、望む映画のフィルム(シナリオ)への移行が一向に起こらない——。一体、何が間違っているのでしょうか。ここでは、実践者が現実を設定する際にやりがちな、最も一般的な「8つの間違い」をまとめました。自分に当てはまるものがないか、チェックしてみてください。
文中で使われている「ターゲット・フレーム」という言葉ですが、原文のロシア語では「целевой кадр(ツェレヴォイ・カドル)」と表現されています。この言葉が持つニュアンスを知ると、なぜ邦訳本で「ゴールのコマ」と訳されたのか、そしてタフティが何を伝えたいのかが、非常によく分かります。
● целевой(ツェレヴォイ)=目的の、ターゲットの、ゴールの
● кадр(カドル)=(映画や写真の)コマ、フレーム、シーン、ショット
ロシア語の「кадр(カドル)」は、日常的に「映画のフィルムの1コマ」や「写真の1枚」を指す言葉として、非常に馴染みのある単語です。だからこそ「人生という映画のフィルムに、望むコマを設定する」というタフティの世界観が、ロシア語話者にはすっと伝わるのです。
まだタフティの「設定する」という考え方に馴染みがない方は、先に関連記事を読むと、この記事の内容がぐっと分かりやすくなります。
「設定するのか、それとも選ぶのか?」という核心テーマは 記事「現実は”設定”する?それとも”選ぶ”?タフティが語ること」 で詳しく扱っています。タフティの全体像は 用語辞典「タフティ」 へ。
PART 1注意・現在のシナリオ・力み・実践不足
多くの人がやりがちな間違いは、「夢の中」にいるような無意識の状態で現実を設定しようとすることです。三つ編みを使ったワークを急ぐあまり、事前に「気づきの中心点」に入ることを忘れてしまうのです。
しかし、「眠っている」人間は現実を設定できません。眠っているとき、あなたは無力であり、周囲の現実はあなたの意志とは無関係に存在し、ただ外部の状況に服従するだけになってしまいます。
よくある間違いの2つ目は、すでに起こってしまった事象(既成事実)に働きかけようとすることです。しかし、今流れている映画のフィルムを変えることは、もうできません。現在のフィルムのコマを変えようとして抵抗することも、周囲の人々を変えようとすることも、同じく無意味です。
影響を与えるべきなのは、「いま、ここ」で起きている出来事ではなく、最終的な結果である「未来のフレーム(ワンシーンのコマ)」です。まさにそこに注意を固定する必要があります。
やるべきことは無理やり現実を従わせることではなく、現実の方からあなたのところへやってくるのを許すことです。強制してはいけません。現実をガシッとつかもうとするのではなく、外部センター(三つ編み)で、これから来る現実を照らすのです。
ヴァジム・ゼランド『タフティ・ザ・プリーステス』Lesson 11
あなたは何でもコントロールすることに慣れていますが、形而上学的な(目に見えないもう一つの)現実では、それは機能しません。現実に「しがみついて死守」しようとしたり、何かを要求したりする必要はないのです。
ほとんどの人は、ファントム(幻肢)としてのエネルギーの結び目である「三つ編み」が非常に弱く、感じることさえできません。しかし、この感覚も三つ編み自体も、トレーニングによって強化し、自分の最も強力なツールに育てられます。
PART 2ラーダ・真の本質・日常・発信
憂鬱、不安、苛立ち、無気力——そんな状態のまま現実を設定しようとしていませんか。言い換えれば、自分の世界と「調和(ラーダ)」していない状態です。
タフティのテクニックでは、この特別な発信(あなたが無意識に放っている『思考・感情・エネルギーの電波』)を「ラーダの状態」と呼びます。自分の内側と周囲に、お祭り・喜び・軽やかさ・調和の雰囲気を作り出すこと。ラーダの状態にいるとき、現実はより素直に、あなたの味方になり、設定がずっと簡単になります。
喜び、愛、快適さ、お祭り気分——つまり「ラーダ(調和)」を放射することで、あなたは人々を引き寄せ、同時に成功の現実をも引き寄せます。
ヴァジム・ゼランド『タフティ・ザ・プリーステス』
Лада(ラーダ)とは「調和、喜び、心地よさ」という意味で使われていますが、同時にキリスト教が入ってくる前のロシアで広く信仰されていたスラブ神話に出てくる『愛と美、家庭の幸せと調和を司る女神』の名前でもあります。
つまり、単なる「気分の良さ」ではなく、「自分自身や世界全体と深く調和し、女神のように愛と美のエネルギーを放っている状態」という神聖なニュアンスが込められているのです。
このラーダ(Лада)ですが、邦訳本では『スイート・ハーモニー』という言葉で表されています。日本だとスラブ神話に馴染みがないうえに、「ラーダ」と日本語に訳しても、ロシア語のニュアンス(すべて順調、調和)が伝わらないため、直感的に伝わりやすい「スイート・ハーモニー」という表現に置き換えられたのだと考えられます。
自分が単なる人間であり、肉体であり、システムの枠に閉じ込められた意識だと感じているとき、あなたは現実を設定できません。物質によって物質に影響を与えようとしても、それは非効率な方法だからです。
自分がエネルギーであることを感じ、本当は何者であるかを認識したときにのみ、現実に真の影響を与えられます。慣れ親しんだ境界線・思い込み・固定観念から抜け出し、恐怖や疑いから解放され、すべてのリソースがすでに自分の内側にあることに気づくこと。
「自分がすべてであり、同時に無である」という思考のない状態に入る、とはどういうことでしょうか? それはVRゴーグルの取り外しのように、意識のチャンネル切り替えのようなものといってもいいかもしれません。
自分が「無」である:「〇〇会社の社員」「親である」「借金がある」「これだけ稼いでいる」「病気である」といった、物理世界で着ている「着ぐるみや仮面(肩書き・レッテル・悩み・肉体・これができるといった機能的価値)」を全部脱ぎ捨てること。それらを全部さっぴいて、名前も性別も年齢もない「ただの透明な意識(観察者)」になること。これを「無」と言っています。
自分が「すべて」である:着ぐるみや仮面を脱いで「ちっぽけな登場人物(カタツムリ)」をやめた瞬間、自分は映画のスクリーンに映る一部ではなく、「映画館という空間そのもの(あるいはプロジェクターの光そのもの)」だと気づきます。だから「すべて」なのです。これはセルフ・トランサーフィンの実践にも繋がっています。
多くの人は、ターゲット・スライドを視覚化したり、三つ編みを起動したりしている「その間だけ」現実を創っていると考えています。しかし本質は、私たちは「常に」、絶え間なく、毎日毎分、自分のトランズレーション(思考・感情・感覚)によって現実を形成している、ということです。
世界は巨大な鏡であり、私たちがそこに送るものすべてを反射し、返してくれます。
タチアナ・サマリナ
実践を「その場限りの儀式」にして満足し、日常のルーチンに戻ったところで再び「眠り」に落ちる——。その間も、不安・恐怖・憎しみ・苛立ち・嫉妬といった低波動の感情のすべてが、あなたが望むと望まざるとにかかわらず、現実を形成し続けています。実践は、生活の一部にならなければならないのです。
トランサーフィンの第一の原則を思い出してください。「世界は鏡のように、あなたの世界に対する態度を反射する」。いくら瞑想で内なる調和を得ても、その直後に子どもや家族に怒鳴り散らし、人生の不満を漏らし、暗いニュースを論じていては、何の意味があるでしょうか。あなたが放射した思考は決して消えず、空間にエネルギーの痕跡を残します。
自分と周囲の世界とが良い関係にあるならば、あなたによる調和の取れた放射は、周囲の世界に伝播する。すべてがうまく行くよう調和して振動する場をあなたは身の回りに作っている。ポジティブな気分はいつも成功や創造へと導いてくれる。
ヴァジム・ゼランド『リアリティ・トランサーフィン 第1巻3章幸運の波』
この記事で繰り返し出てくる「発信(トランズレーション)」とは、あなたの思考・感情・感覚・エネルギーの状態が、そのまま周囲の世界に放たれていることを指します。ロシア語の Трансляция は「放送・中継」の意味。私たちは常に、自分という放送局から何かを”放送”し続けていて、世界の鏡はそれを忠実に反射する——というイメージです。
テクニックが効かないのではない。
たいていは、この8つのどれかでつまずいている。
まず目を覚まし、力を抜き、調和を放つ。設定の技術は、その土台の上ではじめて働き始めます。
タフティの基礎は 用語辞典「タフティ」、「設定するか選ぶか」は 記事「現実は”設定”する?それとも”選ぶ”?」、目を覚ます実践は 「観察者」 でどうぞ。
