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灯を絶やさないために
知は、少なくとも二つのかたちで受け継がれてきたのだと思います。
一つは、本のように、カタチあるものとして守ること。
もう一つは、灯のように、誰かから誰かへ継いでいくこと。
本は、人の手から人の手へ渡されます。
灯もまた、人から人へと受け継がれていきます。
どちらも、その時代を生きた誰かが、
「ここで終わらせたくない」
と願ったからこそ、未来へ残ってきました。
実は、このサイトには最初、
【●●の灯】という名前をつけようとしていました。
ある物語に登場する、
世界から消されようとした知を、命がけで未来へ託した人たち。
そのエピソードにちなんだ名前でした。
結局、その名をサイトにつけることはありませんでした。
けれど、
この場所の魂の風景として、その灯は今も残っています。
ヴァジム・ゼランドが青年時代を過ごしたソ連では、
西側の書物や、政治的に「危険」と見なされる文章に触れること自体が、時に大きなリスクを伴いました。
それでも人々は、本を手から手へ回し、
ときにはタイプライターで一冊ずつ複写し、
消えないように次の人へ渡していきました。
彼らを動かしていたものは、
いったい何だったのでしょう。
単なる知的好奇心ではなかったはずです。
知を次へ渡そうとする意志について考えるとき、
私はもう一つの灯を思い出します。
比叡山延暦寺には、「不滅の法灯」と呼ばれる火があります。
千二百年、一度も絶やされることなく受け継がれてきた灯です。
2022年の初夏、初めて比叡山延暦寺を訪れたとき、
その火について尋ねたことがあります。
「当番は決まっているのですか?」
返ってきた答えは、とても静かなものでした。
“決まっていない”ということでした。
厳密な当番表があるわけでもなく、
誰かに命じられるわけでもなく、
ただ、“意識して”“気づいた人が”そのとき油を継ぎ足す。
その積み重ねが、千二百年続いてきたのだそうです。
その話を聞いたとき、「不滅」という言葉の意味が変わりました。
不滅とは、決して消えないことではありません。
いつでも消え得るものを、それでも今日も灯そうとすること。
毎日が未完成で、
毎日が危うく、
だからこそ、毎日誰かが手を添える。
本当に受け継がれてきたのは火ではなく、
「次の人へ渡したい」
という、小さな意志だったのだと思います。
この場所も、そんな小さな灯の一つでありたいと思っています。
ロシア語の一次ソースを調べ、
原典を読み、
翻訳し、
背景を確かめ、
必要な補助線だけを添えて、
再び原典へ戻っていける道を残す。
ここで目指しているのは、「知識を増やすこと」ではありません。
知が、人から人へ受け渡され、
誰かの人生の中で静かに息を吹き返すことです。
だから、このサイトは広告を置かず、できる限り自由に開かれたオープンアーカイブとして続けています。
とはいえ、この場所も何もしなければ消えてしまいます。
サーバーも、
資料も、
書籍も、
ロシア語の調査も、
AIによる翻訳や整理も。
灯と同じように、少しずつ油を必要とします。
もし、この場所に価値を感じてくださったなら。
もし、この灯を未来へ渡したいと思ってくださったなら。
そのための油を継ぎ足していただけたら、とても嬉しく思います。
いただいたご支援は、このアーカイブを静かに灯し続けるために、大切に使わせていただきます。
これは、知識の代金ではありません。
記事を買っていただくことでもありません。
灯に、もうひとしずく油が継ぎ足される。
ただ、それだけのことです。
そして、いつの日か。
あなた自身が誰かに、
「この本を読んでみて。」
「この一次ソースに触れてみて。」
そう言いたくなる日が来たなら。
そのとき、この灯はもう、わたしだけのものではありません。
あなたの手を通して、また次の誰かへ受け継がれていきます。
知は、集めるだけでは未来に残りません。
誰かが守り、
誰かが次の人へ渡そうとしたとき、
知は一つの灯になる。
そしてその灯は、
誰かの命へとつながっていく。
知は、消費するためにあるのではなく、
命(ち)へ還り、
また次の命(ち)へ受け渡されていくもの。
この場所もまた、
その循環の中にある小さな灯でありたいと願っています。