観察者・マインド ── トランサーフィンセンター
トランサーフィンが
「ブロックを外しましょう」と
言わない、シンプルな理由
「ブロックがある限り、何を実践しても上手くいかないのでは?」
実践を続けている人ほど、どこかで一度はぶつかる問いかもしれません。
けれど、少し立ち止まってみると、「ブロック」あるいは「ブロックを取り除く」というのは不思議な言葉でもあります。
そもそも、ブロックとは何なのでしょう?
目に見えるわけでも、触れるわけでもありません。
「取り除く」と言っても、何をどうしたら取り除けたことになるのか、その実体は案外よくわかりません。
そして、トランサーフィンやタフティを読んできた人なら、
「そういえば、“ブロック”という言葉って、そんなに出てきたっけ?」
と思うかもしれません。
本ページでは、トランサーフィンセンター公式Q&Aと、2026年3月のタチアナ・サマリナのウェビナー回答をもとに、「ブロックとは何か。そして、なぜ“取り除く”ことから始めないのか」をたどります。
「このブロックさえ外れれば」と思ったとき
お金の話をしていると、「ブロック」という言葉はとても自然に出てきます。
収入が増えない。
受け取れない。
行動しようとすると、なぜか止まる。
すると、「私の中に、何かブロックがあるのでは?」と考えたくなります。
そして次に、「では、それをどうやって取り除けばいいのか」というハウツー問答が生まれがちです。
2026年3月17日、トランサーフィンセンターで、無料ウェビナー『お金に関する思考フォーム:それを自分流にアレンジする方法』が配信されました。
トランサーフィンセンターでは、お金に関する記事や質疑応答が数多く公開されています。
それだけ、お金は実践の中で繰り返し問いが生まれるテーマなのでしょう。
2026年3月17日のウェビナーでも、本題の実践に入る前に、事前に寄せられた質問がいくつかとりあげられていました。
失業のあとの無力感、仕事の先行きへの不安、人間関係——お金に限らない相談が続き、
本題に入る直前の、最後の一問が、今回この記事のテーマとなる「内なるブロックは、取り除く必要があるのでしょうか?」という問いでした。
ところが、タチアナ・サマリナは「Yes」でも「No」でもなく、「そもそもトランサーフィンでは、ブロックをどう見ているのか」というところから、話し始めます。
お金をテーマにしてウェビナーから生まれた話ですが、ここで問われているのはもっと根本的なことです。
自分を足止めしているプログラムを、どう見るのか。
その「観方」の話です。
「ブロック」という言葉はない。でも、語られている
なぜトランサーフィンでは、内なるブロックや疑念について、一度も触れられないのでしょうか?
たとえば、お金持ちになりたい、健康になりたいと思っていても、その人の中に内なるブロックや恐怖があれば、どれだけトランサーフィンを実践しても、何も上手くいきません。
ブロックは、取り除く必要があるのでしょうか?
「なぜトランサーフィンでは、内なるブロックや疑念について、一度も触れられないのでしょうか?」
そんな質問の前提をひっくり返すところから、サマリナ氏の回答は始まります。
「トランサーフィンでも、内なるブロックは語られています。」
ヴァジム・ゼランドは、「ブロック」という言葉そのものは使っていないものの、著書の中で、内なる疑念や、不安や、恐怖について語っています。
新聞売店へ新聞を買いに行くのと同じくらいあっさりと、自分のものを取りに行く——それを妨げているものについて。
それこそが、ブロックです。
実際、実践していても、すべてが上手くいくわけではありません。人はその事態にぶつかり、なぜそうなるのかの答えを探します。
だからこそ著者(ヴァジム・ゼランド)は、本の中でも、自身のSNSでも、それにどう対処すればいいのかを説明している——つまり、ブロックというテーマを扱っているのです。
「ただ、トランサーフィンにおけるブロックとの向き合い方は、従来の心理学や、ほかの秘教的(エソテリック)な教えとは、違って見えます。」
つまり、言葉は違っていても『ブロックなるものが存在している』というのは、質問者と回答するサマリナ氏ともに共通の認識です。
分岐するのはここからです。
質問者は、こうも尋ねました。
「では、そのブロックを取り除く必要があるのでしょうか?」
ここでトランサーフィンは、「はい、取り除きましょう」とは進みません。
違うのは、ブロックがあるかないかではなく、それをどう扱うか。
原因を遡り、掘り下げ、取り除くのか。
それとも、今そこにあるものを別の位置から見るのか。
ここから、二つの道が分かれていきます。
新聞売店のたとえが背景にしている「願望」と「意図」の違いは、意図の項目で扱っています。
二つの道 ── 過去へ遡るか、それとも
「内なるブロックや恐怖があるなら、どれだけトランサーフィンを実践しても、うまくいかないのでは?」
という問いに、サマリナ氏は、まず、
「はい、その通りです」
と答えています。
自分の中で何が起きているのかに気づかないままでは、同じ反応や行動を繰り返してしまう。
その状態で、トランサーフィンを実践しても、瞑想をしても、アファメーションをしても、結果が出ないか、出るまでに長い時間がかかる。
つまり、「ブロックなんて気にしなくていい」と言っているわけではありません。
まず、自分の中に何があるのかを見る必要がある。ここまでは、質問者の考えと同じです。
違いが出るのは、その次です。
ブロックが見つかったとき、トランサーフィンでは
「では、その原因を掘り下げて、取り除こう」
とは進みません。
トランサーフィンでは、細かく分析したり、過去へ遡って分解したりするのではなく、
まず、それに気づく。
自分がそのプログラムの中にいることを見る。
そこから始めます。
過去へ遡る道
たとえば従来の心理学では、私たちはしばしば過去へ遡ります。
ブロックが正確にいつ、どの瞬間に、どんな理由で形成されたのかを思い出そうとする。それを分解し、もう一度生き直し、根を探す。
これは有効な方法です。
ただ、多くの時間がかかり、しばしば私たちを、過去のさらに深いところへ引き込んでいきます。
つまり、問題を解決するために過去を掘っているつもりが、トランサーフィンの見方では、その問題に注意(エネルギーの向け先)を注ぎ続け、かえってその中に深く入り込んでしまうこともある、ということです。
問題から抜け出すために始めたはずの作業が、問題の中に居続ける作業へ変わってしまうこともあるということなのです。
もう一つの道
そして今、新しい時代には、別の可能性が現れている、と記事は続けます。
トランサーフィンでは、ブロックに対して、細かな掘り下げや徹底的な分解によってではなく、осознание(オソズナーニエ/自覚・認識。ここでは便宜上「気づき」と表記)を通して扱います。
ただ気づくことによって、どんなブロックでも中和することができる。
ここでいう「気づく」は、単に「あ、自分にはこんなブロックがあるんだ」と知ることではありません。
原文では、「それを見て、認識する(увидев и осознав)」と表現されています。
そのプログラムの中にいる自分ごと、俯瞰して見られる位置へ移ることが、このあと語られていきます。
もちろん、そのブロックにつながった過去の出来事を思い出すことはできます。
けれども大切なのは、何を思い出したかではありません。
それを、どんな状態から見ているか。
ここが、トランサーフィンのアプローチを理解する鍵になります。
▲ 目次に戻る思い込みは、どうすれば見えるのか
思い込み(固定観念)は、潜在意識の中に住んでいます。
では、それをどうやって見ればいいのでしょうか。
一つは、一つひとつを分解していく方法。時間をかけて、プロセスに深く入り込んでいくやり方です。
もう一つは、気づきの中心点に入り、そこから見ることです。
私たちはよく「何も見えない、わからない」と言います。
けれども、見ようという意図があり、そのプログラムとの同一化を解こうという意図があるとき、それは可能になる、と記事は語ります。
(※ここでいう「同一化」とは、そのプログラムの中にすっぽり入り込み、「これが自分だ」「これが現実だ」と思っている状態のことです。NOTEを参照してください)
私たちはしばしば、見たがらないのです。「私にはできない、何も見えない、何もわからない」と言う。
けれど、この気づきの中心点に入るとき、それらを見ようという意図があるとき、それらとの同一化を解こうという意図があるとき——それは可能なのです。
タチアナ・サマリナ(ウェビナー抜粋動画より)
映画を観ているうちに、登場人物に入り込みすぎて、自分まで追い詰められているように感じる。
そんな状態をイメージすると近いかもしれません。
「お金が足りない」という状況があることと、
「私はお金に困る人間だ」というプログラムの中にすっぽり入ることは、同じではありません。
ハッと一歩引いて、「いま私は、このプログラムの中から世界を見ている」と気づく。
ここでいう「同一化を解く」は、そのような意味です。
トランサーフィンでは、ここから先へ進みます。
私たちは、自分がいまどんなプログラムの中にいるのか、そして、どんな経験を経てここまで来たのかを見ていきます。
ただし、そこで過去を延々と掘り続けるわけではありません。
「あの経験があったから、いま自分はここにいる」——そこまでを見たら、その経験から得られるものを受け取り、次へ進む。
公式記事はこれを、こう表現しています。
「過去にとどまるのではなく、過去をジャンプ台として使う」
過去を見るとしても、そこで
「あの経験には、いったいどんな意味があったのだろう」
と、答えが出るまで掘り続ける必要はありません。
タフティの「アドバンテージの法則」にも似たところがあります。
「これにはどんなアドバンテージがあるのだろう?」と見て、何かが見えればそれを受け取る。
けれど、何も見えなければ、無理に答えをひねり出さなくてもいい。
大事なのは、過去の意味を完全に解明することではなく、過去に注意を固定したまま居続けないことです。
「過去をジャンプ台として使う」とは、過去から“正解の学び”を発掘してから前へ進む、というより、過去をそこで立ち止まる場所にせず、次へ向かうための通過点にする、と読む方が近いでしょう。
動画の中でサマリナ氏は、ブロックにつながった状況——自分が完全にプログラムの影響下にあると感じた場面——を思い出し、自分に気づきながら、それを外側から見る(俯瞰してみる)ことに触れています。
失業をきっかけに無力感に陥ったという別の相談への回答の中で、「問題を分析すること」ではなく、今のシナリオに飲み込まれている状態からいったん抜けるためのワークが紹介されました。
いま自分が入り込んでいるシナリオから一度離れ、ほかの選択肢が見える位置に戻るためのワークです。
用意するのは2枚の紙と筆記具です。
1枚目に「今どこにいて、何が起きているか」を、
2枚目に「どう生きたいか」を書きます。
どちらも「〜になりますように」ではなく、現在形で、事実を確認するように書くのがポイントです。
書き終わったら、書いたものを外側から眺めます。このとき、本当に「物理的に」一歩下がってもかまいません。
そうして、内なる見張り役の位置に立ち、今いるシナリオとの同一化を解いて、「今の自分」だけが唯一の現実ではないということを確認します。
2枚目に書いた「どう生きたいか」という自分も、トランサーフィンでは、バリアント空間に存在しています。
今はまだ、それが自分の現実として表に現れていないだけ。
2枚を並べて見ることで、「私は今、このシナリオの中にいる。でも、これしかないわけではない。こっち(どう生きたいか)の私も存在している」と確認するのです。
サマリナ氏は「まだ自分のエネルギーで満たされていないもう一つのバリアント」と表現していますが、それは、まだそこへ注意とエネルギーを向けていないバリアント、という意味なのです。
2枚の紙を前に一歩引いた位置で見たら、そこで何かを分析する必要はありません。
良い/悪いのジャッジ、評価、できるか、失望や期待などの感情も不要です。
それらの葛藤に巻き込まれず、ただ眺める。
サマリナ氏は、この状態を「穏やかでニュートラル」と表現しています。
「ブロック」を取り扱うときの、「どんな状態から見るか」の「状態」とは、この穏やかでニュートラルな観察の位置のことだというのがうかがえます。
タチアナが「影」と呼ぶもの~「悪いものを見つけた。では捨てよう」ではない
ここでサマリナ氏は、「自分の影の側面を見る」という表現を使います。
「影(シャドウ)」と聞くと、ユング心理学のシャドウを思い浮かべる人もいるかもしれません。
ただし、ここで心理学のシャドウ概念を説明しているわけではありません。タチアナ・サマリナ自身が
「私は、私たちがその中で生きている思い込みやプログラムを、そう呼んでいます」
と断っています。
整理すると、ここでいう「影」とは、普段は気づかないまま、その中から考えたり反応したりしているプログラムや思い込みのこと。
人によって、その中身は違っていて、一人ひとりが、それぞれのプログラムとシナリオの組み合わせを持っているのです。
では、それに気づいたらどうするのか。
私たちはネガティブな思い込みやプログラムに気づくと、つい「これは悪いものだから、消さなければ」と考えます。
サマリナ氏は、ここでまた少し違う見方をします。
「影」の中にあるのは、掃除して捨てるべき“ゴミ”ではなく、まだ見えていない可能性(ポテンシャル)である。と言っているのです。
プログラムは「試練」なのか?
ここからサマリナ氏の話は、少しレイヤーが変わります。
ここまでは、「プログラムに気づく」「そこから一歩引いて見る」という、実践として比較的わかりやすい話でした。
ところが彼女はさらに、
「プログラムは、私たちの経験のための素材である」
と語ります。
プログラムに気づき、自分との一体化を解き、そこから出ることで、人は次の段階へ進む。
プログラムがなければ発展もない、と。
ここだけ読むと、「苦労や困難は、人を成長させるために与えられている」という精神論と、何が違うのだろうと思うかもしれません。
しかし、少なくともトランサーフィンが提示し続けているのは、苦しみに耐え続けることではありません。むしろ逆で、
自分を動かしていたプログラムに気づき、「これが自分そのものだ」と思っていた状態から離れること。
そうすると、自動的に反応していたところに、別の選択肢が生まれる。
この意味において、「次のレベルへ進む」という表現も理解できます。
一方で、「なぜそもそもプログラムが与えられているのか」「それが人間の進化のためなのか」については、この回答の中ではそれ以上の説明はありません。
ここは、サマリナ氏が提示している世界観として読んでおくのがよさそうです。
私たちはいつも、何らかのプログラムの中に存在しています。本当にそうなのです。プログラムが、私たちを所有している。では、何のために? それらとの同一化を解き、そこから出て、何かしらの経験を得るためです。
(中略)成長は、まさにここにあります。見て、気づいて——わあ!——パッと変容させて、先へ進む。
タチアナ・サマリナ(ウェビナー抜粋動画より)
「見て、気づいて——わあ!——パッと変容させて、先へ進む。」
と、聞いてもあまりピンと来ないかもしれません。
別の回における質問(『人の頼みを断れません。罪悪感を抱かずにいるには?』)への回答のなかで、サマリナ氏は、
「理解」と「認識」は違う、
と説明しています。
頭ではすべて理解していても、つい同じことを繰り返してしまう。
けれど「認識」は、暗い部屋で突然明かりがつくようなものだ、と。暗闇の中で出口を探し続けるのではなく、明かりがついた瞬間に、部屋全体と自分の位置が見えてしまう。
今回の「プログラムに気づく」も、これに近いのかもしれません。
「私はこういうプログラムを持っている」と理解することと、
「あ、自分はいまこのプログラムの中から世界を見ていたんだ」と認識することは、似ているようで同じではありません。
「認識」が生じたとき、それまで自分そのものだと思っていたプログラムから離れます。すると、そこで初めて、別の反応や別の選択が見えるようになる。
ここでいう「次のレベルへ進む」は、そのような切り替わりとして読むと、かなりわかりやすくなります。
ここでサマリナ氏が使っている скрытый потенциал は、直訳すると「隠れたポテンシャル」。まだ表に出ていない可能性や力、という一般的な意味です。
一方、トランサーフィンの用語である過剰ポテンシャル(избыточный потенциал)は、重要性を高めすぎたときに生じるエネルギーの偏りを指します。
同じ потенциал という語が入っていますが、ここでいう「隠れたポテンシャル」は、「過剰ポテンシャル」のことではありません。
「持って生まれた性質」にも意味がある?
サマリナ氏はここで、もう一歩踏み込みます。
「どんなネガティブなプログラムにも、ポテンシャルがある」
としたうえで、感情や характер(ハラクテール) を例に挙げます。
характер(ハラクテール) は通常「性格」と訳せますが、ここでは「あなたはそれを持ってここへ来た」と語られているため、生まれ持った性質や反応の傾向まで含んだ意味で使われていると考えた方がわかりやすそうです。
サマリナ氏は、同じ家庭に生まれた子どもでも、傾向や世界への反応の仕方がまったく異なることを挙げ、「すべてが親や養育だけから来るわけではない」と説明します。
公式Q&Aではさらに、それはその人自身の「学び」や、魂が計画した経験のために与えられている、という世界観まで示されています。
そして、そうした一見ネガティブに見える性質やプログラムにも、「隠れたポテンシャル」があるという。
ただし、ここでいうポテンシャルが具体的に何を指すのか——才能なのか、別の反応の可能性なのか、成長の余地なのか——この回答では具体例までは示されていません。
語られているのは、「悪い性質だから消す」という見方ではなく、そこにまだ見えていない何かがある、と見るところまでです。
過去を掘り続けず、次を見る
ある思い込みやプログラムから抜け出したくて、
「なぜこうなったんだろう」、「原因はどこにあるんだろう」と過去をたどり続ける。
しかし、ここにはトランサーフィンから見て、一つの落とし穴があります。
過去を見続けているあいだ、注意もそこに向き続ける。
そして、注意を向けるところには、エネルギーも流れていく。
つまり、
自分がそこから自由になりたいと願っているものに、何度も何度も、エネルギーを与え続けてしまう。
しかし、過去を完全に理解してからでないと、未来へ進めないわけではありません。
だからサマリナ氏は、過去を延々と掘るよりも、今ここから、これから向かいたい方向へ注意を戻すことを勧めます。
ターゲット・フレーム(ゴール/目標のコマ)を決める。
思考フォームを使う。
これらに取り組みながら、「これから、どんな状態でいたいか」を形にしていく。
そうして新しい状態へ注意を向け続けることで、古いプログラムの影響を弱め、別の反応や選択をつくっていく。
これを「自分自身を再プログラミングする」と表現しています。
▲ 目次に戻る問いの動詞が、置き換わるとき
最初の質問は、こうでした。
「ブロックを取り除く必要はあるのでしょうか?」
ところがサマリナ氏の回答は、最後まで単純な「はい/いいえ」にはなりませんでした。
質問者の言っていることの半分は、むしろはっきり肯定されています。
自分の中にある恐怖や疑念、思い込みに気づかず、自分に何が起きているのかも見えていないままでは、トランサーフィンであれ、ほかの実践であれ、十分には働かない。
だから、サマリナ氏はここの部分では「はい、同意します」と答えています。
違うのは、その次からです。
質問者は、ブロックを「成功する前に取り除いておかなければならない障害物ではないか」と捉えていました。
しかし、ここでも回答は、「では、そのブロックをどうやって取り除きましょうか」とは進みませんでした。
「取り除く」ではなく、まず見る。気づく。
しかも、ここでいう「見る」は、ブロックをじっと見つめ続けることでも、根っこを探して延々と掘り返すことでもありません。
過去へ入り込み、その原因を探し続ければ、注意もエネルギーもそこへ移ることになるからです。
その一方、現在に留まり、ターゲット・フレームや思考フォームを使って未来へ注意を向けることで、古いプログラムを中和し、自分を再プログラミングすることができる——サマリナ氏はそう説明しています。
つまり、一度見る(観察する)ことと、そこに「居続ける」ことは違うのです。
少し乱暴なたとえをするなら、ブロックは雑草に似ています。
「この雑草をなくさなければ」と、毎日その場所ばかり見て、土を掘り返し、根を探し続ける。
ところがトランサーフィンやタフティの法則では、注意を向け続けるところには、エネルギーも流れていきます。
なくしたいはずなのに、結果として、雑草にせっせと水をやり続けている。
そんな状態にもなり得ます。
これは原文にそのまま書かれている表現ではありません。
けれども、「過去へ注意を移すと、そこへエネルギーも移る」という回答の論理を延ばしていくと、そう読むことができます。
そして、ここにトランサーフィンの「鏡」まで重ねると、もう一つ気になることがあります。
「ブロックがある限り、私は成功できない」
そして、
「ブロックがなくなれば、成功できる」
この二つは反対のことを言っているようで、実は同じ前提を共有しています。それは、
「今の私は、まだ成功できる状態ではない。」
ブロックを探すたびに、その前提を確認する。
「まだある」
「まだ外れていない」
「だから、まだ成功できない」
トランサーフィンの「世界の鏡」では、鏡はこちらが放射したものを反映すると説明されます。
だとすれば——ここからは編集部の読みですが——「ブロックのある私は、まだ成功できない」という状態を何度も確認し続けること自体が、その同じ状態を鏡へ放射し続けることにもなります。
さらにタフティの言葉で見るなら、これは現在の台本と闘い続けている状態とも言えそうです。
『タフティ』では、今起きている出来事をどうにか思いどおりに変えようとして台本に抵抗するのではなく、現在の映画は流れるに任せ、自分はゴールシーンへ注意を向けるよう、繰り返し語られています。
映画そのものを交換できるのに、なぜ今流れている映画の中身を延々と心配するのか——というのが、タフティの立場です。
そう考えると、
「このブロックをどうやって消せばいい?」
という問いそのものが、すでに「現在の(変えられない)台本」の中から発せられている問いなのかもしれません。
それは、「ブロックのある私」という現在の映画を、あれこれいじくって何とかして「ブロックのない私」にしようとすることです。
しかし、タフティが説くのは、現在の映画をいじくり倒して改変することではありません。
まず、「私はいま、このプログラムの中にいる」と気づく。
そこで一歩引く(俯瞰する)。
そして、現在の台本をなんとかしてやろうと闘いを挑むのではなく、
「では、私はどの映画へ行くのか」を設定して、そこへ注意を切り替えていく。
ここで、最初の問いそのものが変わります。
「何を取り除けば、成功できるのか」から、「私は、これから何を育てるのか」へ。
雑草が一本もなくなるまで花を植えられない、と思っている限り、庭の主役はずっと雑草です。
雑草があることには気づく。
でも、毎日そこを掘り返すのではなく、これから育てたいものにも水をやり始める。
そう考えると、この回答の直後にサマリナ氏が、
「このテーマを続けて、今度は思考フォームについて話します」
と本題へ移ったことも、自然な流れに見えます。
彼女はそのまま、望む現実を実現するための道具として思考フォームの説明へ入っています。
さらに後半では、古いプログラムよりも新しい思考フォームを「身に馴染んだもの」にしていく必要がある、と語っています。
ですから、ウェビナー冒頭でとりあげられたブロックへの回答は、本題前のアイスブレイクではなかったのだと思います。
「何を取り除くか」から、「何を見るか」へ。
そして最後には、「これから何を育てるか」へ。
問いの動詞が変わったところで、その夜の本題——新しい思考フォームをどう自分のものにしていくか——が始まっていたのです。
▲ 目次に戻る結び ── 闘うのではなく、選び、設定する
この記事を作成しながら、ふと、ある言葉を思い出しました。
「自分の生きる人生を愛せ。自分の愛する人生を生きろ。」
難しい用語を全部外してしまえば、トランサーフィンとタフティが繰り返していることも、案外このくらいシンプルなのかもしれません。
今の気に入らない現実と闘い続けるのではなく、
自分が生きたい人生の方を選ぶ。
トランサーフィンなら、気に入らない現実と闘うのではなく、望む現実(人生ライン)を選ぶ。
タフティなら、今の映画の台本を直そうとするのではなく、次の映画を設定する。
ブロックを消すことに人生を使うのではなく、
生きたい人生を生きることに、人生を使う。問題を全部なくしてから、生き始めるのではなく、生きたい人生を、先に選び、設定するということです。
内側と外側を同時に見る「気づきの中心点」の実際は「気づきの中心点──内側と外側を、同時に見るには?」で。見張り役の視点を日常で鍛える実践は「実践ワーク『内なる見張り役(観察者)の視点』をレベルアップしよう!」をどうぞ。恐怖や疑念を「重要性」として捉える視点は、用語辞典重要性へ。
ブロックに詳しくなるだけでは、
生きたい人生に近づくとは限らない。
ブロックをジャンプ台にして、現実を更新する
