用語辞典 — Glossary / タフティ
気づきの中心点
DEFINITION
物理的な場所のことではなく、「自分の内側(思考や感情、身体の状態)と、外側(周囲の状況)を同時に客観視できている『状態』」のこと。タフティにおいて、三つ編みを起動し現実を設定する、すべての基本の前提となる状態。
なぜ「気づきの中心点」が重要なのか
タフティが「三つ編みを使う前には、絶対に気づきの中心点に入りなさい」と口酸っぱく言うのには理由があります。
なぜなら、私たちが現実を設定するのは、まさにこの気づきの中心点から映像や言葉を放射することによってだからです。そのとき初めて、実践は効果を発揮するのです。
しかし、通常、私たちの意識の向き先は内部スクリーンか、外部スクリーンのどちらかによっていて、気づきの中心点にないことがほとんどなのです。
内部スクリーンに張り付く:「今日の夕飯どうしよう」「あの人に言われた一言がムカつく!」と、自分の思考や感情に没入して、周りが見えていない状態。
外部スクリーンに張り付く:スマホのニュースや、目の前で怒っている人、トラブルなどに気を取られ、自分自身を忘れてしまっている状態。
タフティは、どちらかのスクリーンに意識が吸い込まれているこの状態を「映画の中で眠っている(台本の言いなりになっている)」と呼んでいます。内部であれ外部であれ、スクリーンに張り付いたまま(眠ったまま)力ずくで現実を変えようとしても、それは「現在の映画のフィルムの中で、登場人物があがいているだけ(内的意図の空回り)」なのです。
多くの人は、「三つ編み」を起動する前に、まず気づきの中心点に入るという「基本のき」を忘れてしまいます。自分の意識の置きどころをマスターせず、中心に置かないまま、ターゲット・フレーム(目標の一コマ)の照らし出しへと直接急いでしまうのです。その結果、効果を得られなくなっているのです。
三つ編みを使ってターゲット・フレームを設定する前には、必ず気づきの中心点に入らなければなりません。「眠り」の状態から現実を創造するテクニックに取り組もうとしないでください。
常に自分自身をチェックしましょう。もし実践と並行して、頭の中に執拗な雑念が湧き上がってきたり、不安になったり心配したりしているなら、それはあなたがまだ「眠り」続けている証拠です。
「気づきの中心点」とはどこか?
「気づきの中心点は体のどこにあるんですか?」
タフティを読んだ多くの方がそんな疑問を抱きます。気づきの中心点とは、物理的(肉体的)な場所や空間的な位置を指しているわけではありません。内側と外側を同時に見渡せる客観的な『状態』のことです。
自分の周りで何が起きているかを自覚し、その状況との同一化を解除して(のめり込まずに)、それを外側から客観的に眺めます。人々やその行動、会話、出来事が見えていながら、同時に自分自身の姿をも目撃している——自分がどう感じ、何に没頭し、どんな行動をとり、何を望んでいるかを完全に自覚している状態です。
“同一化を解除”と聞いてもあまりピンとこないかもしれません。「同一化」とは、「自分自身」と「感情や出来事」がべったりとくっついて、見分けがつかなくなってしまっている状態のことです。
例えば、誰かに嫌なことを言われたとき、「ムカつく!許せない!私がこんなに傷ついたのに!」と怒りや悲しみに100%飲み込まれている状態です。
タフティはこの状態を「映画の中で眠っている」と表現しています。
同一化の解除とは、文字通りその「ベッタリくっついた状態」をベリッと引き剝がすことです。
トランサーフィンセンターの解説では、これを次のように説明しています。
「”まやかし”の感情の中で眠りに落ちたとき、あなたは『自分が戦っている、自分が痛みを感じている、自分がかわいそうなのだ』と信じ込んでしまっています。(中略)しかし、あなたの感情や経験は、あなた自身ではありません。あなたはそれらと同一化を解除し、外側から観察し、痛みや恐れ、恨みと自分を同一視するのをやめなければなりません。自分自身に『私は私の恐れではない』『私は私の怒りではない』と言い聞かせてください」
つまり、「同一化を解除する」というのは、自分と出来事を切り離して「あ、今スクリーンの中で『怒り』というプログラムが動いているな」「目の前で『トラブル』という映像が流れているな」と、観察者モードで冷静に眺めることなのです。
それは、あなたが歩哨(見張り番)のように身を置く「観察地点(ポスト)」です。そこから、次の3つを常にモニタリングします。
① 今この瞬間、自分の注意がどこにあって、何に没頭しているか
② 自分の周囲で何が起きているか
③ 今この瞬間、自分自身が何をしているか
「気づきの中心点」とは、観察ポイントのことで、意識がどこに向き、何に注がれているかが見えるところです。そこでは周りで何が起きているか、自分が何をしているかを見ることができます。
ヴァジム・ゼランド『タフティ・ザ・プリーストLesson 2:夢の中を自由に歩く』
注意(意識のピント、向け先)を気づきの中心点に置くとき、あなたは最大限に集中し、効果的になります。「今、ここ」の瞬間にトータルに存在(プレゼンス)し、この存在と観察の状態から現実を設定できるようになるのです。
「存在(プレゼンス)」がわかりにくい時は、その逆の「不在(存在していない)=心ここにあらず」状態を想像するとわかりやすいかもしれません。
私たちは普段、物理的な体は「今ここ」にあっても、頭の中は「明日の仕事嫌だな(未来)」とか「あの人に言われたことムカつく(過去)」とか、あるいは「スマホの画面(別の場所)」へと、意識のピントがあちこちに飛んでしまって「心ここにあらず」の状態になっています。
つまり「今、ここの瞬間にトータルに存在(プレゼンス)する」というのは、あちこちに飛んで散漫になっていた「注意/意識のピント」を、スッと「今、自分の体があるこの瞬間・この場所」に100%戻してあげることです。
つまり、「存在と観察の状態」を映画館の比喩で言えば、「映画のストーリーにのめり込んで我を忘れていた状態(不在)」から、「ハッと我に返って、自分が映画館の客席にドシッと座っている感覚、ポップコーンの味、周りの空気感などを100%自覚できている状態(プレゼンス)」に戻るということです。
この「しっかり我に返って、自分と現実を客観的に眺めている(観察している)客席」にあってはじめて、新しい映画のフィルムを映写機にセットすることはできますよ、ということなのです。
「気づきの中心点」に入るとどんな感覚になるのか?
「実際にトライしてみたけど、ホントに気づきの中心点に入ってるかわからない……」
タフティを読んで実践した人の多くが最初に抱く疑問ではないでしょうか。
ヴァジム・ゼランドのもとには、この状態に入ることができた読者から、数多くの「驚きの体験談」が寄せられています。それらに共通する「感覚の変化」を、大きく5つに分けて解説します。(これを”絶対的なもの”としてとらえず、参照にしてください)
最も多くの人が最初に感じるのが、視覚や聴覚の劇的な変化です。
世界が立体的になる:普段の「平面的で色あせた現実」が、突然立体的(3D)になり、色が鮮やかに、輪郭がくっきりと見え始めます。
初めて見るような新鮮さ:毎日見慣れた通勤路や部屋の景色が、「まるで初めてここに来たかのような」「子どもの頃に感じていたような」新鮮で驚きに満ちた世界に変わります。曇りガラスをキュッと拭き取って、急に視界がクリアになったような感覚です。
普段、私たちの頭の中では「あの上司ムカつく」「明日の仕事どうしよう」といった思考のおしゃべりが止まりません。しかし、中心点に入った瞬間、これがピタッと止まります。
思考が消える:悩みや雑念がスッと消え去り、心地よい無音状態(静寂と平和)が訪れます。
「ただ見ている」という感覚:頭でいろいろと分析したりジャッジしたりするのではなく、ただ「自分と世界をありのままに観想している(見つめている)」というクリアな状態になります。
物理的な「肉体の重さ」から解放されたような感覚になります。
境界線が消える:自分の体の輪郭がなくなり、自分が「空間そのもの」になったような、あるいは部屋全体に自分が拡大したような感覚になります。
背中や頭の微細な感覚:人によっては、背中(肩甲骨の間)や後頭部のあたりに、温かさ、ピリピリとした心地よい刺激、あるいは「何かが引っ張られるような感覚」を物理的に感じることもあります。
映画のストーリー(問題やトラブル)から一歩外に出るため、ネガティブな感情が嘘のように消え去ります。
「私は何でもできる!」という確信:不安や焦りが消え、「自分は運命の犠牲者ではなく、この現実を創り出している創造主なのだ」という、静かだけれど圧倒的な自信と全能感が内側から湧き上がってきます。
これが一番不思議で、タフティならではの感覚です。
キャラクターからの離脱:「自分(アバター)」という着ぐるみを着たまま、その背後や内側から、別の大きな自分(観察者)が世界を眺めているような感覚になります。自分が映画の登場人物であることをやめ、まるで自分の行動や思考を「他人のもの」のように客観的に眺められるようになります。
最初から全部を感じようとしなくて大丈夫です。初めは「あ、なんか今、頭の中が静かになったかも」「いつもより景色が少し明るく見える気がする」といった、ほんの小さな気づきから始まります。アラームを使った「目を覚ます練習」を繰り返していくうちに、ある日突然「これが気づきの中心点か!!」と、腑に落ちる瞬間が必ずやってきます。タフティの言葉を忘れないでください。
大丈夫。できますよ。ただ、そんなことができると言ってくれた人は誰一人いなかったし、そういうふうにすればいいのだと思ったことが今までなかっただけなのです。
ヴァジム・ゼランド『タフティ・ザ・プリーステス』
気づきの中心点に入る ── 今すぐできる実践
定期的に実践しさえすれば、誰でも簡単にできるようになります。今すぐ試してみましょう。あなたの鼻の先で、指をパチンと鳴らしてみてください。そして自分に問いかけます——「今この瞬間まで、私はどこにいたか?」「内なる視線は、外を向いていたか、内を向いていたか?」
「外側にあるもの」と「内側にあるもの」の中間地点を見つけてください。そこからなら、自分の思考と、周囲で起きていることの双方を同時に観察できます。これこそが気づきの中心点です。両方のスクリーンを同時に見つめることを妨げるものは何もありません。あなたにはその能力があります。ただ、使ってこなかったために忘れているだけなのです。
今すぐ目を覚まし、問いかける
「私の注意は今、何に没頭しているだろうか?」
自分を外側から客観的に見つめる
あなたは今、何をしていますか? どこにいますか? 何を感じていますか?
あなたを取り囲むものを見渡す
あなたの周囲では今、何が起きていますか?
自分に言い聞かせる
「自分をみて、現実を見る」
アファメーション(設定)を行う
「私の意識は明晰である。私は自分の内側と周囲で起きていることを、完全に自覚している」
今日の一日の意図を設定しましょう。「今日は少なくとも1時間(難しければ30分)、気づきの中心点を維持する」と。散歩に出かけ、2つのスクリーンの間の地点に留まり続けてみてください。注意(意識の向け先)がブレブレになってどこかへ逃げ出そうとしたら、そのつど中心へと引き戻します。
人々、車、鳥のさえずり、風のそよぎ、木々の葉の擦れる音を観察する。それと同時に、自分が今何を感じているか、身体は快適か、マインドは穏やかか、魂にどんな欲求が生まれているかを観察する。この状態で過ごしてみて、自分に何が起きるかを見届けてください。
「ジャッジしない」という調和の状態
気づきの地点とは、現実とは何であるかをはっきりと意識している状態です。マインドは静まり、頭は軽くなり、不安な思考や状況、問題にのめり込まない、調和のとれた平穏な状態になります。そして、まさにこの状態から、あなたは現実を創造し始めるのです。
タチアナ・サマリナは、この状態を「場所」ではなく「状態」だと強調しています。
気づきの地点とは、自分のマインドの状態と、目の前に見える空間を、一切の偏見のない公平な状態から観察することです。私はこの現実がどう仕組み化され、何が起きているかを、できる限り自覚しています。だからこそ、非難せず、批判せず、評価(ジャッジ)もしません。
私はただ、すべてがあるべき姿のまま存在しているのを見ています。自分を裁かず、責めず、ネガティブな感情もありません。重要なのは「調和」——自分自身と現実を、評価なしに受け入れる調和です。
タチアナ・サマリナ(プログラム『タフティ:現実の中で目を覚ませ!』第1講より)
このスキルを身につければ、「三つ編みをどうやって感じればいいのか」「ターゲット・フレームをどう設定すればいいのか」といった疑問はもはや消え去り、すべてが軽やかに、遊び感覚でうまくいくようになります。
気づきの中心点から起動する実践ツールを確認する:用語辞典「タフティ」 / 用語辞典「三つ編み」