記事 — Article / 愛・人間関係
共感しすぎてしまうあなたへ
── 他人の痛みを背負うのをやめるには
как перестать принимать на себя чужую боль?
他人の痛みを、自分のことのように感じてしまう。相手の落ち込みや不安が、まるで自分の身に起きたことのように胸に刺さり、気づけば一緒に沈んでいる——。優しい人ほど、この「共感のしすぎ」に静かに消耗していきます。
トランサーフィンセンターに寄せられた、ある女性の切実な問いと、それへの回答を訳して紹介します。これは単なる「繊細な人のための処世術」ではありません。タチアナ・サマリナの解説をたどりながら、魂(ソウル)のレベルから、精神(スピリット)のレベルへという、トランサーフィンの成長観そのものを見ていきます。
読者からの問い
十代の頃から、私は他人の人生や出来事、問題に深く入り込んでしまうことに気づいていました。他人の痛みを——感情的なものも、時には肉体的なものまで——自分のものとして体験してしまい、多くの場合それは無意識に起こります。
そのせいで、ここ数年は人と関わることがとても辛くなりました。私の周りには、愚痴をこぼしたり困難を打ち明けたりする人が多く、私はその痛みを常に見つめ、感じています。けれど私自身は、幸せやポジティブなものを求めているのです。
どうすれば、これらと同一化せずにいられるのでしょうか。すべてを自分に背負い込まないようにするには——。これは精神的な不快感だけでなく、現実の肉体的な不快感まで引き起こすのです。
「敏感さ」は欠点ではなく、成長のサイン
他人の状態にとても敏感で、その気分や痛みを「肌で」感じ取れること。それは高いエンパシー(共感力)の証であり、相手の感情に寄り添い、深くつながる能力を示しています。本来これは素晴らしい資質です。他者と繊細に波長を合わせ、より調和のとれた関係を築き、必要なときに力になれるのですから。
けれど、その特性があなたを悩ませ、消耗させ始めているのなら——それは「ここからさらに成長していく必要がある」というサインなのだ、とサマリナ氏は語ります。
分かりやすく言えば、あなたは「魂(ソウル)」のレベルまでは育っているけれど、「精神(スピリット)」の状態にはまだ達していない、ということ。自分自身を精神として認識できるようになると、その「今ここに在る」状態では、自分と他人の両方を包み込めるほどのエネルギーが満ちてきます。相手に共感し、思いやりを向け、必要なら現実的に手を貸すこともできる。けれど、感情的に相手の問題へ巻き込まれることはなくなる——そういう在り方です。
「魂(ソウル)」のレベルまでは育っているけれど、「精神(スピリット)」の状態にはまだ達していない、という表現がわかりづらく感じた方もいるかもしれません。トランサーフィンにおける「魂(Душа)」と「精神(Дух)」の概念の違いから、ここで述べられている「成長のプロセス」を3つのポイントでお話しします。
1. 「魂(ソウル)」のレベル=同調しすぎて一緒に溺れてしまう状態
トランサーフィンにおいて「魂」とは、愛や直感、豊かな感情の源泉です。このレベルが育っている女性は、優しくて思いやりがあり、相手の痛みや悲しみをまるで自分のことのように「肌で」感じ取ることができます。しかし、魂(の感情)だけで他者と関わると、相手との境界線が曖昧になり、相手のネガティブな感情(恐れ、悲しみ、怒り)にどっぷりと巻き込まれてしまいます。トランサーフィンの観点では、相手のために一緒に苦しんだり、過剰に心配したりすることは、相手の状況を良くするどころか、ネガティブなエネルギーを増幅させ、自分自身のエネルギーを枯渇させてしまう(消耗する)原因になります。
2. 「精神(スピリット)」のレベル=揺るぎない「内なる軸」がある状態
一方、トランサーフィンにおける「精神(スピリット/Дух)」とは、あなたという存在のより高次な本質、「絶対的な光と力の源」を指します。自分自身を「精神」として認識できるようになる(精神と繋がる)と、自分の中に「強固な内なる支え(опора)」と「全体性(целостность)」が生まれます。この状態に達すると、心が完全に自立しブレなくなるため、他人のネガティブな感情に引きずり込まれたり、エネルギーを奪われたりすることが一切なくなります。
3. 「同情(一緒に苦しむ)」から「思いやり(光で包む)」への進化
「精神」のレベルに達した女性は、相手の痛みに気づかないわけではありません。しかし、エゴから来る「かわいそう(同情)」という感情で一緒に苦しむのではなく、相手の魂の力を信じ、高い波動の「愛と光(思いやり)」を放射することができるようになります。相手の苦しい状況でさえも「魂が成長するための尊い経験」として尊重できるようになるため、感情的に巻き込まれず(過剰ポテンシャルを作らず)に、ただ純粋な愛のエネルギーで相手を包み込むことができます。そして、結果的にそれが、相手をどん底から引き上げる最大のサポートになるのです。
「魂」と「精神(理性)」が同じ方向を向いている状態を、トランサーフィンでは大切にします。詳しくは 用語辞典「魂と理性の一致」 で扱っています。
「魂」のレベルにひそむ罠
魂のレベルにいるあいだは、その敏感さが罠になることがあります。他人の痛みの中で「眠り」に落ち、本当の自分を忘れ、エネルギーを失ってしまう。だからこそ、あなたはそうした状況を避けたくなる。あなたの敏感な性質が、防御を求めているのです。
「魂」のレベルにひそむ罠とは、一体何でしょうか。
まず、「エネルギーが枯渇する」ことがあげられます。なぜエネルギーが無くなるのか。相手の問題に強く心を揺さぶられ、感情的にのめり込むことは、他人の人生の課題に対して「過剰な重要性」を与えている状態です。他人の学び(レッスン)を代わりに生きようと焦る「救済者」になろうとして、自然なバランスを崩す原因になります。この場合、その“場”のエネルギーに歪みをもたらしているのは、「あなた」になります。するとバランスを元に戻そうとする平衡力が働きます。その際、平衡力は「重要性を高めて、他人の問題にギュッと執着している張本人(あなた)」に矛先を向けます。そこで、あなたに精神的・肉体的な不快感(スランプや体調不良など)を与えたり、手を離さざるを得ないようなさらなるネガティブな状況を引き起こしたりすることで、その過剰な重要性を強制的に引き下げ、バランスを取り戻そうとするのです。そのプロセスにおいて、エネルギーは消耗してしまいます。
もう一つは、振り子の罠です。相手の悩みや苦しみに同化して葛藤するとき、そのエネルギーはまさに振り子にとっては「ご馳走」です。振り子は同調した葛藤の感情、悲しみや同情といった感情を利用してあなたを揺さぶり、エネルギーを吸い取ろうとします。これが「他人の痛みの中で『眠り』に落ち、本当の自分を忘れ、エネルギーを失っている状態」なのです。
その結果、あなたの心と体は、「このまま関わり続けると、自分が空っぽになって壊れてしまう」と本能的に危険を察知するため、苦しんでいる人や揉め事から「逃げたい」「避けたい」と感じるようになるのです。
けれど同時に、これは一つの合図でもあります。他人の痛みに直面する状況それ自体は、あなたへの脅威ではありません。それらはただ人生の現実であり、人生には常に喜びと困難の両方が居場所を持っています。目を背けることは解決になりません。周りに誰の痛みもないかのように目を閉じてふりをすることは、そもそもできないのですから。
だから、向けるべき注意は外ではなく、自分の内なる状態へ。気づいてほしいのは、あなたがまだ世界を白と黒に分けている、ということです。「これは良くて楽しいから受け入れる、これは悪くて痛いから要らない」と。けれど世界はひとつの全体であり、その両方が存在している。だとすれば、変えるべきは世界でも、痛みから隠れることでもなく、自分の認識のほうなのです。
トランサーフィンにおいて、人は恐れや脅威を感じると、無意識のうちに自分を守るための「見えない壁(バリケード)」を築こうとします。
相手の痛みに敏感すぎるがゆえに、傷ついたりエネルギーを奪われたりしないよう、「これ以上踏み込まないようにしよう」「あえて冷たく接しよう」「関わりを断とう」と心を閉ざして、自分を守るためのバリア(防御)を張ろうとしている状態が、まさにこれにあたります。
しかし、「だから壁を作って逃げなさい」とトランサーフィンが推奨しているわけではありません。壁を作って相手を避けたり、防御したりする行為は、「恐れ」から来る反応です。恐れから相手を拒絶しても、根本的な解決にはならず、愛や調和からは遠ざかってしまいます。魂のレベルに潜む罠から抜け出すポイントは、3つあります。
1. 白黒3Dマトリックスのゲームから降りる
私たちは無意識のうちに、目の前の現実をジャッジ(評価・測定)して分類しています。白(良くて楽しい=善)VS 自分にとって都合が悪いもの(嫌なもの=悪)というように。他人の痛みやネガティブな状況を見て、「これは嫌なもの(黒)だ、私を脅かすものだ」と強く拒絶したり、隠れようとしたり、あるいは逆に「私がなんとか変えなきゃ」とコントロールしようとするとき、そこには過剰な重要性(恐れや執着)が生まれています。その結果、トランサーフィンの法則通りに平衡力が働き、あなたをさらにそのネガティブな渦中へと引きずり込んでしまうのです。重要性を下げ、過剰ポテンシャルを防ぐのは、どのようなケースにおいても大切です。
2. 「世界はひとつの全体」であると認識する
朝があって夜があるように、光があれば、影が生まれるのは自然なことです。「他人の痛み」や「ネガティブな状況」も、この世界のパズルを構成するパーツの一部に過ぎず、それ自体があなたを直接脅かす脅威ではありません。脅威となるのは、それに対して「恐れ」「怒り」「拒絶(あってはならないという抵抗)」などの強い感情を抱き、「重要度(重要性)」を極端に高めてしまったときです。サマリナ氏が言う「世界はひとつの全体」とは、「光も影も、すべてがただそこにある現実として、同じ世界に存在することを許す(受け入れる)」という、広くフラットな視点を持つことです。
3. 変えるべきは世界ではなく、自分の認識
外側の世界からいくら逃げ隠れしようとしても、あなたの頭の中に「白黒つけるエゴのフィルター」が残ったままだと、また別の場所で「嫌なもの(黒)」を見つけては反応し、エネルギーを消耗するサイクルを繰り返してしまいます。すると、自分自身の「見方(認識)」も、それまでの「疲れる。もう嫌だ」から、「あの人は今、魂の学び(契約)のためにその経験をしているのだな。世界にはそういう痛みも存在する。私はそれに引きずられることなく、自分の内なる光と調和を保ち、ただ愛と思いやりで相手を包み込もう」という風にシフトしていきます。
「精神」のレベルへ ── それぞれの痛みは、その人だけのもの
精神において成長しはじめると、明確な気づきが訪れます。すべての人には、それぞれの人生、それぞれの道、それぞれの学びがある——という気づきです。
他人の代わりに人生を生きること、他人の代わりに痛みを引き受けることは、不可能であるだけでなく、必要もありません。むしろ私たちにはその権利がない、とサマリナ氏は踏み込みます。誰もが、自分だけの荷物と、自分だけの成長の課題を携えてこの世界にやって来るのですから。
もちろん、苦しんでいる人に出会ったとき、あなたは本当の意味で力になれます。ただし「助ける」とは、無意識に相手の状態へ入り込み、その痛みと融合してしまうことではありません。私たちはしばしば、まさにそのやり方で「助け」てしまう。状況を変えられないまま、ただ相手の隣に横たわり、一緒に苦しみはじめる。そこに実用的な意味はあるでしょうか——何もないのです。
評価(ジャッジ)を手放す
状況をありのままに受け止め、評価せずに見ること。すべての人がそれぞれの道の途中にいると理解すること。常に喜びの中に留まっていられる人は、実際にはごくわずかです。多くの人は、しばらく喜びに入っては、すぐに低い波動へ滑り落ち、思い悩み、苦しみます。誰もが、自分の痛みを生きているのです。
それらすべてを見たとき、あなたは状況の「上」に立ち上がります。傲慢さからではなく、精神に留まるという新しい状態から。目の前の状況や人物よりも、自分自身が大きな存在であると認識する。そうして、自分のフィールドの中ですべてが起こることを許容できるようになります。自分が人生に持ちたいものへ注意の焦点を合わせ続けながら、それでいて、苦しむ人々を自分の道から排除したり、人生に在るものから心を閉ざしたりはしない。
状況の「上」に立つとは、どういうことでしょうか。
これは「自分は目覚めているから波動が高くて優れている。あの人は波動が低くて劣っている」と相手を見下すことではありません。そう思ったなら、それは重要性、「傲慢(優越感)」という過剰ポテンシャルであり、振り子の罠です。
そうではなく、他人の問題やネガティブな状況に感情的に巻き込まれて「一緒に溺れる(同化する)」のをやめ、自分が無限のエネルギーを持つスピリット(霊的な本質)であることを思い出して、一歩引いた高い視点からすべてを包み込むという在り方のことを言います。私たちは普段、自分自身を肉体という小さな殻に閉じ込められた「ちっぽけな存在」だと思い込んでいますが、実際は宇宙や創造主の一部である「多次元的な光の存在」である——そのことに言及しているのです。
苦しむ人々を自分の世界から冷酷に排除したり、心を閉ざしたりする必要はなく、ただ、彼らの学びを尊重し、許容しながら、あなた自身は「自分の人生に持ちたいもの(目標や光)」に静かに注意の焦点を合わせ続ける――これこそが、自分をすり減らさないスピリットの生き方なのです。
世界を「良い・悪い」「白・黒」に裂く見方を、トランサーフィンでは二元性(ドゥアリティ)と呼びます。この分割こそが「振り子」にエネルギーを差し出す入口になります。仕組みは 用語辞典「振り子」 で詳しく扱っています。
あなたの中の、まだ気づかれていない痛み
そしてもう一つ。あなたの状況は、鏡のように、あなた自身の内側にも無意識の痛みが在ることを教えてくれている、とサマリナ氏は指摘します。その痛みが、他人の痛みを引き寄せているのだ、と。
喜びや調和だけを求め、本能的にその痛みを「閉ざして」いるあいだ、それは内側から静かに影響を与え続けます。けれど、どんな状況にもプラスとマイナスの両面がある。あなたの痛みは、成長の道を指し示してくれている。そこにこそ、痛みの意味があります。だから、目を背けるべきではないのです。
ポジティブなものだけを求めて、本能的にネガティブな痛みから目を背け(閉ざし)ていると、自分自身の内側にある無意識の痛みが、かえって他人の痛みを鏡のように引き寄せ続けてしまいます。
外側の状況は、あなたの内なる状態を映し出す「鏡」にすぎません。「あの人の悪口が悪い、消えてほしい」と外側をコントロールしようとするのではなく、「なぜ私はこれほど感情を揺さぶられるのだろう。自分の中にどんな痛みが隠れているのだろう」と、自分の内なる状態を静かに観察すると、そこに自分自身の中にある重要性に気が付きます。そして、自分自身の抵抗や執着(重要性)を手放していくことこそが、最も本質的な解決策(認識の変化)になるのです。
「どちらか」の振り子から降りる
成長するほどに、二元性という歪んだフィルターを通さずに、現実をはっきりと見られるようになります。私たちはしばしば、「相手と一緒に苦しみに浸らなければ、自分は冷淡な人間になってしまう」と思い込みます。
けれどこれは、「感情のない人間になるか、他人の痛みに溶け込んで自分を見失うか」という両極端のあいだで私たちを揺さぶる、システム(振り子)の幻想にすぎません。そしてこの幻想には、実に引っかかりやすいのです。
傷つかないために、感じることをやめる。痛みを見ないふりをして、人との関わりそのものを避ける。一見ラクになっても、本当の自分から切り離されていきます。
相手の痛みと融合し、一緒に横たわって苦しむ。優しさのつもりが、自分を見失い、エネルギーを失う。相手の状況も、実際には何も変わりません。
どちらの極とも自分を同一視しない。状況の中ではなく、上にいる。必要なら適切な援助を行う——他人の学びを代わりに生きようと焦る「救済者」としてではなく、揺るぎなく波長の合った「導き手」として。
フィールドが変わっていく
そうしていくうちに、あなたのフィールドからは、常に苦しみの中に生きる人が少しずつ減っていくことに気づくでしょう。世界から苦しむ人がいなくなったからではありません。あなたが、闘いや痛みの中ではなく、あなたと同じように「愛と受容」を学んでいる人々を引き寄せはじめるからです。
もしそれが起きていると感じたなら、あなたは霊的な成長において新たなレベルに達したということ。あるいは、助けを必要とする人々が引き続きあなたのそばに留まっていたとしても——今度は、自分のエネルギーを失うことなく、消耗することなく、彼らを支えられるようになっています。
これこそが、成長の本質です。世界から逃げ出すのではなく、全体性を持って、意識的に、そして自己犠牲を必要としない愛をもって、新しい仕方で世界に在ることを学ぶこと。
痛みから目を背けるのでも、痛みに溺れるのでもなく、
その上に、静かに立つこと。
共感しすぎて疲れてしまい相手から逃げたくなるのは、心が冷たいからではありません。その優しさが自分を削るものになっているなら、それは「魂から精神へ」という次の一歩への招待状なのかもしれません。
