意図と目標の実現
まだ、何も起きていないように見えるとき。
──意図が現実になるまで、どう過ごす?
実現の速度を決める、3つの要因
意図を設定した。実践もしている。
——それなのに、いつまで待てばいいのか、誰も教えてくれない。
この「注文してから、ピザが届くまでの待ち時間」に、不安になり、焦り、自分で重要性を上げて脱落・逆戻りしてしまうことが少なくありません。
この記事は、トランサーフィンセンターに届いた質問から、まさに「もっとも挫折しやすい凪(なぎ)の時期」に、「重要性を上げずに、エネルギーを循環させ続けるための、具体的な過ごし方」が述べられています。
意図が実現するまでの時間を、どのように耐え抜けばいいのでしょうか?
ええ、私たちは信じていますし、実践も行っています。しかし、そもそも意図が実現するまでの期間とは、どれくらいなのでしょうか?
そして、落胆することなく、静かにこの人生を生きながら、その時間をどう過ごせばいいのでしょうか?
回答は、期待されていたであろう「◯ヶ月です」という答えを、最初に手放すところから始まります。
実現までの期間については、非常に個人差があり、いくつかの要因にかかっています。
タチアナ・サマリナ
この「いつまで待てばいいの?」「いつになったら叶うの?」という姿勢は過剰ポテンシャルの表れでもあります。過剰ポテンシャルあるところに実現なし。
しかし、タチアナ・サマリナは「あなた、過剰ポテンシャルを発生させてますよ」と通常であれば真っ先に指摘していいはずのことに触れていません。なぜでしょうか?
そこには「疑い深い理性をロジカルに黙らせ、安心させて、別の安全な行動に注意を方向転換させる」目的を感じます。
タイムラグの期間を左右する要因1 ── 現在地と目標の「距離」
ギャップが大きすぎると、理性がその意図を「10年、15年かかるもの」として記録してしまう。すると、その意図に自分の波長を合わせること自体が難しくなる。
例を挙げてみましょう。
あなたは「使用人のいる郊外の豪邸に住み、月に500万〜700万ルーブル(日本円で約1000万〜1,350万円)の収入を得たい」と望んでいるとします。しかし現在のあなたは、賃貸アパートに住み、月収は5万ルーブル(日本円で9万円~10万円)。
当然のことながら、「理性」にとってこの差はあまりにも大きい。あなたの頭はすぐにこの意図を、「5〜7年、あるいは10〜15年かかる長期的なもの」として記録してしまいます。
たとえあなたが「1年でこの目標に到達する」と自分に言い聞かせたとしても、これほどのギャップがあれば信じるのは難しく、この意図に自分の波長を合わせることは困難になるのです。
もし目標が、現在からかなり遠く離れた「人生ライン」にある場合、そこに自分の放射を合わせることは事実上不可能である。
ヴァジム・ゼランド
現在の現実: 賃貸アパート暮らしで、月収 5万ルーブル(約9万円~10万円)
目標の現実: 使用人のいる郊外の大邸宅に住み、月収 500万〜700万ルーブル(約1,000万〜1,350万円)
額面だけで見ると、なんと「100倍〜140倍」のギャップです。
「月収9万円のフリーターの人が、いきなり「月収約1,000万円(年収1億2,000万円クラス)」の超富裕層を目指している」という構図になりますが、ロシアの物価水準や購買力(現地での生活実感)を考慮すると、このギャップは日本円の単純換算(9万 vs 1000万)よりも、さらに広がります。
タチアナ・サマリナがこの記事で言いたいのは、まさにここにあります。
これほどの乖離があると、理性が黙って目を閉じてビジュアライズしようとしても、頭の片隅で「いや、どう考えても物理的に100%無理でしょ。今の私の給料を見てみろよ」という強力な反発(過剰ポテンシャル)を無意識に生み出してしまうのです。
「移行の連鎖」を、つくる
では、どうするか。このようなケースで効果的なのが、「移行の連鎖(トランスファー・チェーン)」を創り出すことです。
自分の大きな目標を、小さな目標(サブゴール)に分割する。そうすることで、あなたは意図をより実感できるものにし、進んでいくプロセスの中で、すでに目に見える結果を受け取れるようになります。
たとえば、グローバルな目標は5年計画だとしても、最初の小さな目標は1〜2ヶ月で達成できるようにする。そうすれば、モチベーションを維持するのがはるかに簡単になります。
そうでなければ、1年、2年、3年と経つうちに、高い確率で途中で諦めてしまうでしょう。目標が遠すぎて、叶わぬ夢のように思えてしまうからです。
5年、7年、10年と静かに結果を待ち続けられるほど、大きな目標に対して高いモチベーションを保てる人は、ごく僅かです。
目標を分割する、と聞くと、「夢を諦めて現実的なサイズに落とす」ことのように響くかもしれません。けれど、ここで語られているのは、そういう話ではありません。
問題は、目標の大きさそのものではなく、理性がそれを信じられるかどうかです。ギャップが大きすぎると、理性は勝手に「10年後の話」として処理してしまう。そうなると、放射する状態も「10年後にはそうなるかもね」という遠い温度になってしまいます。
だから分割するのは、目標を小さくするためではなく、信じられる距離まで、次の一歩を引き寄せるため。最終目標は5年先のままでいい。ただ、最初の一歩が1〜2ヶ月先にあれば、理性は「これならありうる」と受け入れられる。
——扱っているのは、目標のサイズではなく、理性の納得できる歩幅のほうなのです。
タイムラグの期間を左右する要因2 ── 行動の「規則正しさ」
1〜2ヶ月で「進展がないように見えるから、もう意味がない」と興味を失えば、実現までの期間は何年にも延びうるし、まったく実現しないこともありうる。
あなたがどれほど望んでいようと、行動を起こさなければ結果は得られません。
なぜなら、あなたの「古いライフスタイル」が、あなたを慣れ親しんだ場所にしっかりと引き留め、新しいものへと進ませないようにするからです。
私たちの思考、感情、そして慣れ親しんだ反応——これらすべてを短期間で変えることは、ほぼ不可能です。
正確に言えば、変えることは可能ですし、実際に起こり得ます。
ただしそれは、「人が心を開いて生きており、その内面状態が望む現実へとジャンプする準備ができている場合」に限られます。
つまり、自分の放射の中で「すでにその現実に存在しており、それがまさに自分のために用意されていると確信している」状態です。そのような時、変化は急速に起こります。
しかし、「心(魂)」よりも「頭(理性)」で生きている人、「上手くいくか、いかないか」と常に疑っている人は、しばしば「立ち往生」してしまいがちです。変化は彼らのもとにも訪れますが、すぐにはやって来ません。
もしあなたが「考えすぎて動けない」タイプなら、サマリナ氏からのアドバイスは一つだけです。
▲ 目次に戻る行動してください。
タチアナ・サマリナ
上手くいっていなくても、行動してください。最終的には必ず上手くいきます。
タイムラグの期間を左右する要因3 ── 結果の「過小評価」
人はしばしば、「すでに上手くいっていること」や「新しい状態に波長を合わせる助けとなるはずのこと」の価値を、自ら切り下げてしまいます。
「結果の価値の切り下げ(過小評価)」とは、「目標に向かうプロセスにおいて、すでに現れ始めている小さな変化やポジティブな兆候(サイン)を、『こんなのは大したことない』『ただの偶然だ』と頭(理性)が無視し、切り捨ててしまう心のバグ」を指しています。
目標を設定して実践を始めると、世界は必ず「注文を確かに受け取ったよ」という小さなサインや変化を送り始めます。
例えば、キャリアアップを意図したときに、友人からふと面白い仕事の噂を聞いたり、今の職場でちょっとした褒め言葉をもらったりすることです。
しかし、私たちの理性は、次のような自動的な思考パターン(バグ)を持っています。
「不足」にしか目を向けない:
「確かに結果(サイン)は出た。でも、これは些細なことで注目に値しない。もっと違う目標はまだ叶っていない」と、大目標に比べて目の前の進歩が小さすぎるために無視します。
疑いの火にガソリンを注ぐ:
理性は「こんなのたまたまだ。お前はこれができたかもしれないが、これは単なるメロチ(些細なこと)だ。ほら、あっちの目標はまだ叶っていないじゃないか」と、自己否定や疑念を膨らませる燃料にしてしまいます。
結果として、すでに手の中に「ある」変化を無視し、「まだ叶っていない部分(不足)」ばかりを睨みつけることになります。
そうするとどうなるでしょうか?
①世界の鏡による「ハイ、その通りです」:
物理的現実は必ず遅れてついてくるため、タイムラグの期間中も「すべてはうまくいっている」というリラックスした確信(予感)を放射し続ける必要があります。
しかし、小さな変化を「こんなの無駄」と切り下げると、内側は一瞬で「不満、焦り、不信、がっかり」という重いエネルギーに占領されます。世界の鏡はそれを正確に反射し、「がっかりするような現実(停滞)」を映し出して現実化してしまうのです。
②脳(理性)が「新しい現実の足場」を失う:
理性が「本当に叶うんだ」と確信を深めるためには、途中の小さなサインを記録し、それを確信の足場にする必要があります。
これらをすべて「偶然」と無視してしまうと、脳にはいつまでも「何も起きていない」というデータしか残らないため、モチベーションが完全に途切れ、途中で実践を投げ出してしまいます(これが、タイムラグが数年へ引き延ばされるか、完全に消滅する原因です)。
③外的意図のホースを自分で踏みつけてしまう:
「まだ叶わない、いつになったら叶うんだ!」と目の前の結果をジャッジする行為は、世界のパズルに力ずくで介入しようとする「内的意図の暴走(重要性の肥大化)」そのものです。
これによって外的意図(世界を動かす自然な力)のエネルギー循環を自分でガチガチにせき止めてしまうことになるのです。
だからこそ、目標への道のりにおけるあらゆる進展を「書き留める」べきなのです。
時には、何らかの結果を得ても「それほど大したことじゃないから、わざわざ書く必要はないだろう」と思ったり、価値ある結果を得て喜んだのに、結局書き留めなかったりすることがあります。
すると、しばらく経てば、確実にそのことを忘れてしまいます。
私たちの「理性」は、自分の達成したことを過小評価することに慣れきっており、私たちの疑いや自己卑下の炎に「薪をくべる」のが大好きなのです。
これを達成したんだね、えらいえらい。でも、こんなの些細なことだし、注目する価値もないよ。
理性の口ぶり
じゃあ、こっちはできるの? これはまだできてないじゃないか!
つまりあなたは常に、「自分が持っていないもの」ばかりに目を向けているのです。「自分がすでに持っているもの」に焦点を当てる代わりに。
過小評価のパターンを取り除く「感謝」
この習慣的な過小評価のパターンを取り除く助けとなるのは、何でしょうか。
——それは「感謝」です。
自分の人生を見渡してみてください。あなたはすでに、非常に多くのものを持っています。
もしそれらのうちの何かが消えてしまったら、あなたは後悔しませんか? おそらく、自分が持っている恵みの大半について「ええ、もちろん後悔します」と答えるでしょう。
それなら、なぜそれを大切にし、感謝しないのでしょうか?
1年に1回ではなく、常に、毎日です。
自分が持っているものを大切にし、そこに注意を向ける時、あなたは自分の思考を変化させます。
自分に対する不満のエネルギーや、自分の力への不信感が蓄積するのをやめ、反対に、自分自身の中に「支え」を見出し始め、自分が思い描いた人生に「自分はふさわしい」と感じるようになるのです。
「毎晩、良かったことを20個書き出す」——前回の放射の記事でも、同じ実践が出てきました。
けれど、理由が違います。あちらでは「放射の質を祝祭ベースに切り替えるため」でした。こちらでは「理性の過小評価グセに、証拠を突きつけるため」です。
理性は、放っておけば「まだできていないこと」ばかりを数え上げます。だから、書き留めていない進展は、なかったことにされる。記録は、記憶のためではなく、理性への反証のためにあるということになります。
——同じ一つの習慣が、まったく違う二つの働きをしている。だからこそ、繰り返し勧められているのでしょう。
スランプの日の「リブート(再起動)」
とはいえ、時には手をこまねいてしまい、「行動しているのに何も起きない、目標はどこか遠くにある」と感じてしまう日もあるでしょう。そのような日には、自分を信じられなくなってしまいます。
そんな時は、自分自身に「ストップ!」と言い聞かせてください。
そして、自分の動き——思考、感情、言葉、そして可能であれば行動における動きを、止めてください。
立ち止まり、自分の人生を見つめ直し、自分自身に次のような問いを投げかけてみてください。
内なる見張り役/観察者を活性化させるための質問です(※裏を返せば、焦りや無力感に襲われているときというのは、私たちの内なる見張り役(観察者)が働いていないときです)
- 今、私に何が起きているのか?
- 何が私を支配しているのか?(どんな感情、どんな状態か?)
- なぜ私は、自分を信じられなくなったのか?
- 私の中の「誰」が、自分を信じるのをやめたのか?
原則として、自分を信じず、疑い、私たちの歩みを妨げるのは——私たちの「エゴ(振り子/システムとコードが繋がった低次の自分)」であり、古い習慣を持った「眠っているキャラクター」です。
それはすべてを過小評価し、金の魚の童話に出てくる老婆のように「もっと、もっと」と際限なく欲しがるのです。
プーシキンの『漁師と金の魚』に出てくる老婆のことです。願いを叶えてくれる金の魚に、新しい桶、家、身分……と際限なく要求を重ね、最後には「魚そのものを支配したい」と言い出して、すべてを失い、元の壊れた桶の前へ戻される——という話です。
ここで示されているのは、過小評価と際限のない渇望が、同じ一つのものの裏表だということでしょう。
老婆にとっては、「壊れていない新しい桶」も「新しい立派な家」も「裕福な貴族の身分」もすべて“これくらい”でしかありませんでした。
手にしたものを「これくらい当然」と切り下げるからこそ、次を求めずにいられない。そして満たされる瞬間が、永久に来ないループにはまってしまうのです。
ですから、このエゴの「思考のミキサー」の中で一度立ち止まり、自分の思考、状態、行動を少し分析してみてください。
あなたの人生にすでに存在している「価値あるもの」に目を向け、それに感謝してください。あなたが今ここに存在し、生きており、この人生で多くのことができるという事実を、認識してください。
この「停止」を、あなたの「リブート(再起動)」にしましょう。
再起動の後は、意図の実現のための好きな実践を一つ選び、それを実行し始めてください。
1回、2回、3回、10回……100回と行ってください。101回目には、あなたは自分がすべて上手くいっていることに気づき、元気に前へ進んでいることでしょう。
意図が実現するための絶対的な条件 ── それは「あなたの」目標であること
もう一つ、絶対的な条件があります。
あなたが向かっている目標は、本当に「あなた自身の(真の)目標」でなければなりません。
他人の目標は、道のりのごく初期段階を除いて、あなたのモチベーションを高めることはありません。しばらくすると、実践することすら難しくなるでしょう。
なぜなら、「魂」がそれに同意していないからです。そして、絶えずあなたに問いかけてくるからです。
▲ 目次に戻る私たちは、どこへ向かっているの? 私は、そんなことには全く興味がないわ。
あなたの魂
まとめ ── 4つの問い
このように、意図の実現の正確な期間を、あなたに教えてくれる人は誰もいません。それはいくつかの要因次第であり、そしてその大半は、あなた自身の個人的なあり方に左右されるからです。
- 現在の現実から、遠く離れすぎた目標を設定していませんか?
- エゴの罠に屈することなく、行動する準備はできていますか?
- 自分の結果を過小評価する癖が、ついていませんか?
- あなたは「心(魂)」から生きていますか? それとも、休むことを知らない「理性」に支配されていますか?
これらすべてが、あなたの意図がどれほど早く実現するかに、影響を与えているのです。
▲ 目次に戻るこの回答、よく見ると質問に正面から答えていません。けれどそれは、話をずらしたということではないと思います。
質問者は「いつまで待てばいいのか」「どう耐え抜けばいいのか」と尋ねていました。この問い方そのものが、すでに過剰ポテンシャルです。
期限を知りたい、というのは、不確かさに耐えられないから、確定した情報で安心したいという欲求です。しかも「静かにこの人生を生きながら」と言いつつ「いつまで」と急いている時点で、実はもう静かではありません。
だからサマリナ氏が返したのは、待ち方のコツではなく——「その質問の仕方自体が、実現を遠ざけている側の症状です」という指摘だったのだと思います。「いつまで」と焦って尋ねる状態のままでは、どんな期限を教えられても、また次の不安が生まれるだけだからです。
そのうえで返ってきたのが、「実現の速度を決めるのは、次の3つの要因です」という話でした。「どう耐えるか」ではなく、「なぜそんなに耐えなければならない状態になっているのか」への問い返しです。
ギャップが大きすぎるのかもしれない。行動が途切れているのかもしれない。進展を自分で消していて、進んでいないように見えているだけかもしれない。あるいは、そもそも自分の目標ではないのかもしれない。
——耐える技術を教える代わりに、耐える必要のある設計そのものを疑わせているわけです。
これは、当サイトで何度か見てきた形でもあります。質問者のWant(どう耐えるか)に直接答えず、まずNeeds(なぜその状態にいるのか)から入る。「人の頼みを断れません」でも、「仕事もなく、返済もある状況で」でも、同じ順序が取られていました。
そして、この記事にはひとつ、静かに厳しい前提が置かれています。「意図の実現の正確な期間を、あなたに教えてくれる人は誰もいません」。
期日を教えてもらえたら、人はずいぶん楽になります。あと3ヶ月と分かっていれば、たいていのことは耐えられる。けれどそれは、外側に判断を預けるということでもあります。
誰も教えてくれない、という不便な事実は、裏を返せば——速度を決めているのは、待っているあなた自身のほうだ、ということになります。
問われているのは、待ち方ではなく
待たなければならなくしている、その「設定」のほう
「実践しているのに何も動かない」という状態については、古い道は終わったのに、新しい道が見つからない。どうすれば?でも、移行期という角度から扱っています。
また、放射と状態の関係は あなたの人生は24時間ライブ放送中! をどうぞ。

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[…] 意図を立てて唱え始めたあと、「何も起きていないように見える」時間をどう過ごすか。そのことだけを扱った記事が「まだ、何も起きていないように見えるとき。」です。本記事の第7節の続きとして、あわせてどうぞ。 […]