記事 — Article / 振り子・自由
操り糸を断ち切って
──振り子のある世界で自由に生きる
昨日、「振り子は、どの『糸』を引いて、私たちを操るのか?」という記事を公開しました。
振り子に巻き込まれるとき、私たちのどんな「糸」が引かれやすいのか。5つの主な罠を手がかりに、その仕組みを見ていく記事です。
昨日の記事では最後に、「振り子ではなく、まず自分を見る」というところまでたどり着きました。
では、そこから先はどうなるのでしょう。
振り子から自由になるとは、そもそも振り子のない場所へ行くことなのでしょうか。
前回の記事を作成していた2026年8月28日、トランサーフィンセンターで『すべての人が振り子の外で生きることは可能か?』というQ&Aが公開されました。
「振り子のない世界で生きられますか?」
→「いいえ、物理的には無理です」
→「でも自由にはなれます」
という、一見矛盾するところからはじまります。
「振り子の外に出る」と「振り子から自由になる」。この二つを分けて考えることが、今回のQ&Aの中心です。
まずは、実際に寄せられた質問から。
「私は、私たちの人生における振り子の意味と役割について、よく考えます。
トランサーフィンにおいて、振り子は主にネガティブな成り立ちとして見なされています。私たちは振り子にエネルギーを与えるとき、エネルギーを失います。エネルギーが弱まるにつれて、私たちは自分自身から、そして自分の真の目標からどんどん遠ざかっていきます。しかし、振り子は人々や人々のグループによって、意識的に、あるいは無意識に創り出されているものです。
すべての人が振り子なしに、自分の喜びのために生き、自分の人生や興味に没頭することは可能なのでしょうか? それとも、それは集合的な意識のレベルが大幅に向上した場合にのみ、可能なことなのでしょうか?」
日本でトランサーフィンに初めて触れた人からは、あまり出てこない種類の質問かもしれません。
「振り子とは何か」「どう離れるか」ではなく、振り子の仕組みをある程度理解したうえで、その先を問うているからです。それが
「個人が振り子から自由になることはできても、そもそも人間全体が振り子のない世界で生きることは可能なのか?」でした。
まず、「振り子とは何か」のおさらいから
回答は、まず「振り子とは何か」の確認から始まります。
ただし、ここでいう振り子は、最初からどこかに存在しているものではありません。
トランサーフィンでは、人々がある考えやアイデアを共有し、そこへ多くの人の思考や感情が集まることで生まれるものと考えます。
最初にあるのは、一つの考えやアイデアです。
そこに同じ考えを支持する人が増え、多くの人が関わるようになると、そのまとまりは次第に大きくなっていきます。
そして、現実の中では組織や制度など何らかの具体的な形として現れる一方、エネルギーの側には、その形を支える「エネルギー情報体」が残ります。
ここは、トランサーフィンを初めて読む人には、かなりわかりにくい定義かもしれません。
つまり、最初は一人や少数の考えだったものが、多くの人に共有され、集団として持続するようになると、個人を超えた一つの仕組みとして働き始める。
トランサーフィンでは、そのエネルギー情報的な側面を「振り子」と呼びます。
日本語で「アイデア」というと、何かの企画やちょっとした思いつきを連想しやすいかもしれません。
けれど、ここで使われているロシア語の идея(イデーヤ)は、もう少し広い言葉です。
たとえば、思想、理念、構想、ある考え方やテーマのようなものまで含みます。
しかし、ここで言っているのは、「誰かのちょっとした思いつきが、そのままストレートに振り子になる」という話ではありません。
最初はまだ物理的な形を持たない、ある考えや理念があります。
↓
そこに多くの人の思考や感情が集まり、支持者が増えていきます。
↓
すると、その考えはやがて現実の中で何らかの具体的な形を持つようになります。
たとえば、「誰でも学べる学校をつくろう」という考え。最初は誰かの頭の中にある構想にすぎません。
けれど、その考えに賛同する人が集まり、資金や役割が生まれ、やがて「学校」という目に見える形になっていく──
あるいは、「動物を食べない生き方をしよう」という考えがあったりします。最初は形のない思想ですが、それを共有する人が増えれば、コミュニティや団体、店、商品、制度など、さまざまな具体的な形を持つようになります。
そんな、具体的な形になる前の段階にある考えをイメージすると近いでしょう。
トランサーフィンでは振り子を「本質的に破壊的」だと言っています。
振り子が、私たちのエネルギーを糧にして成り立っているからです。
ただし、ここでいう「破壊的」は、振り子が悪意をもって人を傷つけようとしている、という意味ではありません。
タチアナ・サマリナ(プロフィール)は、すぐにそこを補足します。
彼らには意識がありません。つまり、意図的に何かをしているわけではないのです。
タチアナ・サマリナ/トランサーフィンセンター
振り子は、私たち人間が作り出した、ある種のプログラムのようなものだとサマリナ氏は説明します。
そこへ私たち自身が感情的に反応することで接続し、無意識のうちにエネルギーを与えているのです。
振り子から「抜け出す」──でも、システムの外へ出るわけではない
質問者が尋ねていたのは、「振り子のない状態で生きることはできるのか」ということでした。
これに対してサマリナ氏は、途中からこの問いを「振り子から抜け出す」という言葉で言い換えています。
ただし、ここでいう「抜け出す」は、会社を辞める、社会を離れる、振り子の存在しない場所へ移動する、といった物理的な意味ではありません。
では、何から「抜け出す」のでしょうか。
サマリナ氏の答えは、振り子そのものが存在する世界から出るのではなく、振り子に感情的に引っ掛かり、注意とエネルギーを持っていかれている状態から出ることです。
ただしそれは、振り子そのものが存在しない場所へ移動する、という意味ではありません。
振り子から自由になるために、社会を離れたり、日常生活そのものを捨てたりする必要はありません。
振り子から「抜け出す」とは、お金も、お店も、交通機関も、病院も、家族も、仕事もなしに生きる――という意味ではないのです。
サマリナ氏は、こうした私たちの現実をここで「二元的な現実」、そして続けて「3Dの現実」と表現しています。この二つは両方とも「振り子が存在する現実」です。
この世界で身体を持って生活しているかぎり、「振り子がまったく存在しない場所」へ物理的に抜け出すことはできない――というのが、ここでの答えです。
では、それでも「振り子から自由になれる」とは、どういうことなのでしょうか。
「二元」と聞くと、トランサーフィンを知っている方は「二元鏡」を、日本のスピリチュアルに馴染みのある方は「善と悪」「陰と陽」を思い浮かべるかもしれません。
ここでは、少し注意が必要です。
トランサーフィンには以前から、物質的な現実と「バリアントの空間」という二つの側面を表す「二元鏡」という概念があります。
しかし近年のトランサーフィンセンターでは、それとは別に、「二元的な世界(дуальный мир)」と「3D現実」をほぼ重ねて語る用法が見られます。
この場合の「二元」は、プラス/マイナス、良い/悪い、賛成/反対など、相反する二つの極のあいだで、人の思考や感情が揺れやすい現実という意味合いを持っています。
一方の「3D」「3Dの現実」「3Dシステム」は、近年のトランサーフィンセンターで、4D・5Dとの対比の中で使われることが増えた言葉です。3Dプリンターの「3D」のように、単に「縦・横・高さのある三次元空間」という意味だけで使われているわけではありません。(3D・4D・5Dの違いは、端的に言えば意識の在り方(認識モード・周波数)の違いによるものです。詳しくは別の記事で。)
「二元的な現実」も「3Dの現実」も、今回の文脈では、私たちが身体を持ち、お金や仕事、社会制度などとかかわりながら暮らしている現在の現実と、その中で働くシステムまで含めた言葉として読むと、話がつながりやすくなります。
つまり、ここで言われているのは単に「三次元の物質世界には振り子があります」ということではありません。
私たちが賛成/反対、好き/嫌い、恐怖/高揚といった極のあいだで反応しやすいこの3Dのシステムそのものが、振り子の働く環境でもある――という背景のことを言っています。
ここで、話の焦点が「振り子のない世界の有無」ではなく、「自分がそこにどう接続しているか」へ移ります。
振り子はなくならない。システムからも出られない。
けれど、自分の注意の向け方を変えることで、その振り子との接続を切ることはできる。
「振り子の虜」──本当に捕まえているのは誰なのか?
自分の注意が自分のものではなく、目の前に現れた振り子に感情的に反応し続けているかぎり、私たちは振り子の「虜」になっている。
ここまでは、これまで見てきた振り子の説明と同じです。
ところが動画版で、サマリナ氏はその直後に、かなり重要な一言を加えます。
つまり本質的には、自分自身の虜になっているのです。
タチアナ・サマリナ/トランサーフィンセンター
「振り子の虜」と聞くと、外側にいる何者かに捕まえられているように感じます。
けれど、ここまで見てきたように、振り子にはそもそも意識がありません。私たちを個人的に狙って捕まえているわけでもありません。
では、何が私たちをそこにつなぎ止めているのでしょうか?
目の前の出来事に自動的に反応し、そこへ注意を向け続けてしまう、自分自身の反応です。
ムカついたことについて、考え続ける。
怖いと思って、気にし続ける。
嫌だから、避けようとしながらも、そのことが頭から離れない。
振り子に捕まっているように見えて、実際には、自分の注意がそこから離れられない状態に捕まっているのです。
そして、サマリナ氏の話は、この直後に「振り子をどうするか」ではなく、自分の注意を取り戻すことへ進みます。
▲ 目次に戻る振り子から「見えなくなる」とは
では、振り子との接続が切れると、何が変わるのでしょうか。
サマリナ氏は、振り子そのものが消えるとは言っていません。
会社もある。お金もある。人間関係もある。
ニュースも、社会の仕組みも、これまでと同じように存在しています。
変わるのは、そこに触れたときの自分の反応です。
以前なら、誰かの一言にすぐ腹が立った。
不安をあおる情報を見ると、そのことが頭から離れなくなった。
認めてもらえないと、何とかして自分の正しさを証明したくなった。
けれど、注意が自分に戻り、そうした反応に自動的に引っ掛からなくなると、同じものが目の前にあっても、以前のようには自分を揺らさなくなります。
サマリナ氏は、その状態を「透明人間になる(振り子にとって見えない存在になる)」ようなものだと表現します。
そして、こんな喩えを使います。
『犬の群れのそばを通り過ぎる。
けれど、こちらがあまりにも穏やかで平静なので、犬たちはその状態を読み取り、吠えようとさえしない。』
ここで大事なのは、「犬に吠えられない方法」の話をしているのではありません。
犬はそこにいる。
こちらも、そのそばを通る。
けれど、そこに”反応のラリー”が始まらないということです。
頑張って振り子を消そうとする必要はない。振り子から逃げ切ろうとやっきになる必要もない。
以前なら反応していたものが、もう自分を引っ掛けなくなる。
世界から振り子が消えるのではなく、自分と振り子のあいだで、いつも起きていた”反応”が起きなくなる。
「振り子から自由になる」とは、そういう状態です。
この回答で見落としたくないのが、動画版の「わざとらしくではなく(не нарочито)」という言葉です。
「振り子に反応してはいけない」と歯を食いしばって我慢することではありません。
腹が立っているのに平静を装うことでもありません。それは、表面的にはともかく、実際のところ、注意はまだその対象に向いたままだからです。
サマリナ氏が言っているのは、注意を自分に取り戻し、気づきが深まった結果、そもそも以前のようには引っ掛からなくなるということです。
ここには、「反応を抑える」と「反応しなくなる」の違いがあります。
質問の後半では、「集合的な意識のレベルが大きく変われば、すべての人が振り子から自由になれるのか」という、さらに大きな問いが出てきます。
ここでタチアナ・サマリナは、近年のトランサーフィンセンターで語られている「『新しい時代』における『新しい現実』への移行」へ話を広げます。
大多数の人の意識がいまより自由になれば、人と人との関わり方そのものが変わり、振り子に巻き込まれることを前提としない、別の相互作用へ移っていく。
――サマリナ氏はそう説明します。
大多数の人の「意識(сознание)」――自分や世界を捉える認識全体のあり方――が大きく広がれば、振り子から自由な、これまでとはまったく異なる「相互作用(взаимодействие)」のレベルへ移っていく――と。
しかし、ここで話は「地球全体が変わるのを待ちましょう」には進みません。
むしろ、その逆で、集合的な変化を語る前に、まず一人ひとりが自分の注意を取り戻すこと。
自分の注意がどこへ向いているのかに気づき、それを自分で管理できるようになる。
↓
すると、外側の出来事に自動的に引っ掛かって感情を揺らされる状態から、少しずつ外れていく。
トランサーフィンセンターでは、この注意の管理を「最も基本的なスキル」と位置づけています。
これがなければ、自分自身や、自分の現実、人生の出来事を管理していくこともできない、と。
つまり、ここでの順序は、
「集合意識が変わる → 私も自由になれる」ではありません。
「まず自分の注意を自分に戻す → 一人ひとりの関わり方が変わる → その先に、集合的な変化がある」という順序です。
「次元」や「集合意識」という大きな言葉が出てきますが、サマリナ氏がここで最初に求めていることは、驚くほど地味です。
いま、自分の注意は誰のものになっているのか。
そこから始める、ということです。
原文の взаимодействие(ヴザイモジェイストヴィエ)は、日本語では「相互作用」と訳せますが、物理学の専門用語に限りません。英語の interaction に近く、何かと何かが関わり合い、互いに影響し合うことを広く表す言葉です。
トランサーフィンセンターでも、この言葉は人間関係だけでなく、振り子との関わりについて繰り返し使われています。
たとえば、振り子について「完全に避ける」のではなく、意識的に関わることで、自分もそこから利益やエネルギーを受け取る相互に有益なエネルギー交換が可能だと説明しているところや、家族、仕事、健康的な生活なども、その例として挙げられています。
つまりトランサーフィンで問われるのは、単に「振り子と関わるか、関わらないか」ではありません。
どのような状態で、どのように関わっているのか。
無自覚に巻き込まれ、感情と注意を奪われる関わり方もあれば、自分の注意を保ったまま、必要なシステムとかかわることもできる――という考え方です。
今回サマリナ氏がいう「振り子から自由な、まったく別の相互作用のレベル」は、その延長にある表現として読むことができます。さて、いったいそれはどのようなものなのでしょうか?
注意を自分に戻すことは、ただ振り子に巻き込まれないためだけではありません。
外側の声や出来事への反応でいっぱいになっていた注意が自分に戻るとき、今度は自分自身の声、そして自分の魂の声を聞く余地が生まれます。
そうして自分の内側とのつながりを取り戻すことが、必要な知識へアクセスする道になる――サマリナ氏はそう語ります。
▲ 目次に戻るあなたの魂は、すべての問いへの答えを知っています。
タチアナ・サマリナ/トランサーフィンセンター
システムを出るのではなく、システムの中で、目を覚ます。

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