愛・人間関係
なぜトランサーフィンは、こんなにも「女性」を語るのか
──「本当の自分に戻る」という、もう一つの基本
トランサーフィンセンターの記事一覧を眺めていると、あることに気づきます。
「愛・人間関係」の棚に並んでいる記事の多くが、女性に宛てて書かれているのです。
タチアナ・サマリナが女性だから、というだけの理由ではなさそうです。では、なぜなのか。
ただし、ここで扱われているのは、女性だけに関係する話でもありません。
女性に「良い妻」「良い母」「自立した女性」「愛される女性」といった役割があるように、男性にも「強くあれ」「稼げ」「弱音を吐くな」「家族を守れ」といった役割があります。
形は違っても、どちらにも共通しているのは、いつの間にか外から渡された“こうあるべき自分”を、自分自身だと思って生きてしまうことです。
女性をめぐるトランサーフィンセンターの発信は、その仕組みをとても見えやすい形で映し出しています。
本ページでは、同センターの公開記事「女性の幸せは、今ここに!」と、そこに束ねられた2本の動画(2015年のアニメーション・レッスンと、2025年の記事朗読版)を翻訳・再構成しながら、なぜこれほど「女性」が繰り返し語られるのか、その先にどんなトランサーフィンの基本が見えてくるのかを、原典の言葉に沿って辿ります。
長く入手しづらい状態が続いていた『リアリティ・トランサーフィン』の続巻が、まもなく日本語で読めるようになります。その前に、もう一度基本へ還っておくために。
まず、棚を見てみる ── 誰に向けて書かれている?
トランサーフィンセンターの公式サイトには、テーマ別に記事と動画が整理された「トランサーフィン&タフティ AtoZ」という大きな棚があります。その中の「愛・人間関係」を開くと、次のようなタイトルが続きます。
「どうすれば自分を愛せるのか? 女性のためのアドバイス」
「女性の幸せは、今ここに!」
「自分の中の女性らしさと軽やかさを保ちましょう」
「幸せな女性になるには?」
恋愛や結婚生活を扱う棚でありながら、宛先が「あなた(女性)」で書かれている記事が、次々と並ぶ。読み進めていくと、これは偶然の編集の癖ではなく、意図された宛先であることが分かってきます。
では、その理由をセンター自身はどう説明しているのでしょうか。
▲ 目次に戻るセンター自身の答え ── 女性には「使いやすい入口」がある
記事「女性の幸せは、今ここに!」は、こんな一文から始まります。
多くの場合、女性は男性よりもトランサーフィンを実践しやすい傾向にあります。直感、エネルギーを向ける能力、自分自身を満たしてエネルギーの源となること——これらはすべての女性の強みであり、魔法のような能力なのです。
トランサーフィンセンター「女性の幸せは、今ここに!」
ここだけを読むと、「では、トランサーフィンは女性向けなのか?」と思うかもしれません。
もちろん、そういう話ではありません。
トランサーフィンの基本原則そのものに、男性用・女性用があるわけではありません。ここでセンターが説明しているのは、女性にはもともと、トランサーフィンの実践に“入りやすい入口”がある、ということです。
ここで挙げられているのは、3つです。直感。エネルギーを向ける力。そして、自分で自分を満たし、源になれること。
いずれも、「力ずくで何か(人、物事、世界)を動かす」という方向の力ではありません。感じ取り、満たし、エネルギーの向きを変えていく力です。
記事は続けて、女性は自らの本質に属するエネルギー——愛、喜び、調和、軽やかさ、遊び、インスピレーション、慈愛、善、思いやり、至福——を放射するだけで十分だ、と述べます。
必要なのは、新しく何かを身につけて「パーフェクト」になることではありません。
自分の真の本質と内なる力を思い出し、そのエネルギーを必要な方向へ向けること。
そうすれば、人生は「障害物競走」ではなくなる、とセンターは説明します。
そして、ここから話の焦点が少し変わります。
問題は、女性にその力が「あるか、ないか」ではない。あるのに、忘れてしまっている。センターはそう捉えているのです。
残念ながら、女性は自らの本性を、自分が本当は何者であるかを忘れてしまうことがよくある。多くの女性が、日常生活の中でいちど「眠り」に落ちたことで、その状態を失ってしまっている——と。
ここから先に見えてくるのは、「本来、女性は男性より優れているのだから、今こその力を取り戻しましょう」という話ではありません。
むしろ、人はどうやって、自分に備わっていたものを忘れ、“自分ではない生き方”を自分だと思うようになるのか。
女性をめぐる話は、そこへ入っていく入口になります。
この記事には、日本語で読むと少し引っかかる一段があります。
「子供の頃から、すべての女性は、『娘』、『姉妹』、『友人』、『母親』、そして『良い人間』であるとはどういうことかを教えられて、知っていると思ってます。しかし、『女性』であるとはどういうことかという知識は、稀な幸福な例外を除いて、私たちの文化ではまだ世代から世代へと受け継がれる習慣にはなっていません。」
ここでいう「私たちの文化」は、ロシア語圏の読者に向けられた言葉です。何が受け継がれ、何が受け継がれていないかは、地域や世代によって当然異なります。日本ではむしろ、「女性とはこうあるもの」という像そのものは、さまざまな形で受け継がれてきた、と感じる人もいるでしょう。
ただ、この文章で対比されているものには注目しておきたいと思います。
娘、母、友人——これらはすべて、誰かとの関係の中で生まれる「役割」です。
それに対してセンターがここで問い直しているのは、役割としてではない「女性」とは何か、ということです。
そして記事は、その答えを『外から与えられる理想像』ではなく、『すでに自分の内側にあるものを思い出すこと』に置いています。
この「役割としての自分」と「その手前にある自分」との違いは、この先の記事を読むうえでも一つの鍵になります。
もう一つの理由 ── そもそも、女性からの相談が多い
もう一本、同じ棚にある記事「どうすれば自分を愛せるのか?」には、サマリナ氏自身のこんな言葉があります。
何年も「どうすれば自分を愛せるのか」という相談に向き合ってきて、私は、この地球上で自分の個性と唯一性を受け入れられずにいる何千人もの女性を見てきました。
タチアナ・サマリナ「どうすれば自分を愛せるのか? 女性のためのアドバイス」
そして原文には、括弧書きでこんな一言が添えられています。
「『どうすれば自分を愛せるのか』という問いに悩むのは、たいてい女性です」
つまり、女性向けの記事が多い理由は、センターが一方的に「女性について語りたい」からだけではありません。
そもそも女性から、「自分を愛せない」「自分を受け入れられない」という相談が多く寄せられている。
↓
それに答えていった結果、女性に向けた記事も増えていった——という面があるわけです。
では、なぜ女性から、こうした問いが多く寄せられるのでしょうか。記事では、その理由がかなり具体的に挙げられています。
▲ 目次に戻る「理想の女性」は、誰が決めた?
記事では、女性が自分の顔や髪型、体型、声、服装を、いつの間にか「世の中の基準」と比べるようになる、と書かれています。
そして、その基準を次々につくり出しているものとして挙げられるのが、振り子です。たとえば・・・・・・。
もちろん、これらの業界そのものが「悪の温床」「諸悪の権化」という話ではありません。服も美容も運動も、必要なら使えばいいし、楽しめばいい。それは「自分を表現する道具」なのか、「自分の価値を測る物差し」なのかによって変わってきます。
問題になるのは、そこで示される基準を「これが正しい女性の姿だ」と受け取り、盲目的に信奉し、自分の価値までその基準に預けてしまうことです。
「みんなと同じでなければ」
「いま流行の基準に合っていなければ」
「理想の女性のようにならなければ」
──そうでなければ”理想的な”彼女たちが手にしているような幸せは自分にはやってこない。
そんなふうに思い始めると、女性はその基準を追いかけるようになります。
けれど、その「理想」はずっと同じではありません。
ルーベンスの絵に描かれた女性たちは、豊かな体つきをしています。
少し前には、驚くほど細い身体が理想とされました。今度はジムで、別の体型を目指す。
(※日本でも現代と平安時代では「美人の基準」はまったく別モノです。)
基準のほうが、どんどん変わっているのです。しかし、その基準はいったい誰が決めているのでしょうか?
ここに、トランサーフィンでいう「システム」の仕組みが見えてきます。
基準は、「外(システム/振り子)」から与えられます。しかもその基準は、わたしたちの希望や都合とは無関係に移り変わります。移り変わる基準に、
「これが正しい」、「これに近づかなければ」
と大きな意味を与えるほど、私たちはその基準に振り回され、重要性も上がっていきます。そしていつの間にか、
移り変わる基準に合わせようとするかぎり、追いつくことは原理的にできません(振り子の目的は「ゴールさせること」ではなく「走らせ続けること」なのですから)。
そして追いつこうとする努力そのものが、その振り子へ流し込むエネルギーになるだけでなく、その背後にある「今の私は不完全で、美しくない(欠乏・自己否定)」という想いのエネルギーを放射することになり、それが世界の鏡によって固定化されるのです。
「基準に合わなければ、幸せは受け取れない」と信じている状態は、トランサーフィンでいう重要性が外側に張りついた状態です。
誰かが決めた基準を至高のものと見なし、そこに届かない自分を値引きする(不合格スタンプを押す)。世界はあなたの「ユニークな光(唯一無二の波動)」に反応してあなたの扉を開くのであって、「誰か別の人間(偽物の基準)になるためのエネルギー」を使ってしまっているときには、何の恩恵も与えてくれません。
「この体型でなければ」「このくらい若く見えなければ」「こういう女性でなければ幸せになれない」。
こう思い始めたとき、二つのことが同時に起きます。
ひとつは、外にある基準を必要以上に大きなものにすること。
もうひとつは、その基準と比べて、今の自分を必要以上に小さく見ること。
トランサーフィンでは、前者を「外的重要性」、後者を「内的重要性」と呼びます。
「あれこそ正解だ」と持ち上げすぎる。
「それに届かない私はダメだ」と自分を下げすぎる。
この二つがセットになっている、ということです。
問題は、美しいものに憧れることでも、目標を持つことでもありません。
その基準に「これを満たさなければ私は幸せになれない」というほどの重さを与えると、そこから比較、不安、自己否定、「もっと変わらなければ」という力みが始まります。
トランサーフィンでは、この『必要以上の重さ』を重要性と呼びます。
そして重要性が大きくなるほど平衡力と関係して、自分が望んでいる状態からますます遠のいてしまうのです。
そのうえでサマリナ氏は、記事の中で一枚の言葉を置いています。
あなたは、この地上で女性という役を演じている女神です。
タチアナ・サマリナ「どうすれば自分を愛せるのか? 女性のためのアドバイス」
「女神」という言葉はかなり強烈ですが、ここではいったん脇に置きます。
注目したいのは、「女性という役を演じている」という部分です。
「女性であること」を、その人のすべてとは置いていないのです。
女性という役には、時代や社会によってさまざまな“設定”がくっついてきます。
「こう見えるべき」「この年齢ならこうあるべき」「妻ならこうするべき」——。
問題なのは、女性という役を生きることではありません。
その役についてきた基準まで、「これが私自身だ」と思い込んでしまうことです。
そして、その役割の基準「母親なら……である」「自立した女性なら……であるべきだ」という基準に満たないとき基準に届かないときに、「私はダメな人間だ、価値がない」と自分をディスカウント(値引き)し始めます。それは「役」にすぎず、「あなた自身」「あなたそのもの」ではないにもかかわらず。
▲ 目次に戻る女性の話をしていたはずなのに、最後は「自分」の話になる
興味深いのは、「女性のためのアドバイス」と題されたこの記事の後半です。
そこには、ヴァジム・ゼランドの言葉がいくつか引用されています。
世界は鏡です。自分の像がそれを含んでいないのに、反映のどこから愛が現れるでしょうか。……愛はブーメランに似ています。世界へ送れば、こちらへ返ってくる。反映がこちらへ動き出すのは、あなたが最初の一歩を踏み出したときだけです。
『78日間トランサーフィン実践マニュアル 15日目:私の目的は、私』より引用・抜粋
振り子は、あなたに自分自身を裏切らせようとします。自分の魂に背を向け、「あの人たちのほうが上だ、だから同じようにしろ、似た者になれ、マトリックスに座っていろ、歯車でいろ」という規則に従わせようとするのです。しかし実際には、あなたは唯一無二の存在です。自分のほうへ向き直り、ありのままの自分を受け入れ、自分自身であることを自分に許しなさい。
『78日間トランサーフィン実践マニュアル 14日目:自分への愛』より引用・抜粋
あなたを未完成呼ばわりする人のことを信じる必要はありません。皆さんがこの先どうなるかは、誰も知ることができないのですから。自分を変えようとすることは不要です。
『リアリティ・トランサーフィン第一巻 まえがき』
ここまで来ると、「女性はどうあるべきか」という話ではなくなっています。
ゼランド氏が言っているのは、
・誰かが決めた基準に自分を合わせるな。
・自分を欠陥品のように扱うな。
・自分自身であることを、自分に許せ。
ということです。
だから、女性向けの記事の中で語られていることも、突き詰めれば「理想の女性になる方法」ではありません。むしろ、
「こういう女性でなければ」という基準から離れて、自分のほうへ戻ってくること。
自分を変えるのではなく、本来の自分に還る、ということが一貫して語られているのです。
アニメーション・レッスン ── 女性の幸せは、今ここに(2015年)
この主題には、10年以上前に公開されたアニメーション動画があります。サマリナ氏自身が画面の外から語る、短いレッスンです。
ロシア語ですが、以下に全訳の要点を並べていますので、あわせてご覧ください。
「幸せになりたい。でも――」
「今の年齢じゃ」「こんな見た目じゃ」「前もうまくいかなかったし」「まず○○を何とかしてから」
と、幸せになるための“入場条件”を自分で増やしていく。
これが動画の冒頭で語られている、望みを現実の話にしようとした途端、今の自分や状況を見るや「それを、自分に許せない理由」を、いくつも見つけてしまう──理性(マインド)は、夢の実現を信じさせてくれない——といっていることです。
あなたが、自分の人生に愛する人を引き寄せたいと思っているとしましょう。これは、あなたが放射している状態に、完全に依存しています。もしあなたの魂の中に不和があるなら、環境もそれにふさわしいものになり、あなたをさらに大きな落胆へと突き落とすでしょう。
タチアナ・サマリナ「アニメーション・レッスン ── 女性の幸せは、今ここに!」(2015年)
これは、引き寄せの話に見えて、実はそうではありません。
「魂の中に不和がある」とは、「理性(頭)が望んでいること」と「魂(潜在意識・本心)が感じていること」の間に、激しいズレ(嘘)がある状態です。たとえば、
頭(理性)では「素敵な人と出会いたいな」と思っていても、過去に傷ついた経験、嫌な経験があると、本音の部分(魂)は「もうあんな痛い思いは絶対に嫌だ!」と強烈に警戒しています。すると、あなたの放射は、「素敵な人と出会ってルンルン」ではなく、どこかで「男性=私を傷つける敵」「世界=危険な場所」という恐怖と不信がベースになり、それが世界の鏡に映されます。
望んでいるのは「愛」なのに、実際に自分から出ているものは「警戒」や「不安」になっているのです。
ここでタチアナ・サマリナが注目しているのは、「何を願っているか」より、「普段どんな状態で人や世界に向き合っているか」です。
過去の関係で傷ついた経験から「また同じことが起きる」と身構えていれば、その警戒は言葉にしなくても、表情や距離の取り方、雰囲気、相手への反応に表れます。
自分をいつも批判して、
「もっと綺麗なら」「もっと気が利けば」「もっと価値のある人間なら」
と思っていれば、それも人との関わり方に出てくる。
動画では、そうしたものまで含めて「放射している状態」と呼んでいるのです。
つまりこれは、
「運命の人を引き寄せる方法」の話というより、自分が自分をどう扱っているかは、人との関係にも表れるという話です。
過去の関係でのつらい経験の繰り返しを無意識に予想(頭では考えていないつもりでも、潜在意識の底で静かに自動再生され続けている、デフォルトの『警戒プログラム』の作動)していれば、相手は遠くから避けて通る。こちらの拒絶を感じ取るからだ、と続きます。
自分に対して過度に厳しく、自分を批判していれば、それも微細なレベルで表に出る。そして「何か罪を犯した、価値のない女性」として扱われることになる——と。
自分に対して「私は気が利かないな」「もっと完璧にやらないと愛されない」と厳しく批判しているとき、潜在意識は「今の私は不完全で、悪い状態(=罪がある状態)」だと認識しています。
その状態を毎秒、世界の鏡に放射していることになります。
「無意識の言い訳」という罠
タチアナ・サマリナは、2025年9月に行われた無料ウェビナー『人間関係:質疑応答の夕べ』の中でこんなことを述べています。
「多くの人が無意識のうちに、まだ誰にも責められていないのに、頭の中や態度で言い訳(自己弁護)をし始めている」と。
例えばこんなシーンに心当たりはないでしょうか。
「すみません、私が仕事遅いから……」とオドオド、ペコペコしながら書類を渡す。
「最近忙しくて家事が手抜きで申し訳ないんだけど……」と家族やパートナーに前置きする。
条件反射的に「すみません(申し訳ありません)」と言うのが癖になっている。
このように、まだ誰もあなたを起訴していないのに、自分から「申し訳ありません(私は有罪です)」と公言して歩いてしまっているときに出ている、「お伺いを立てるような、弁解がましいエネルギー」こそが、危険なシグナルだといっているのです。
自分自身に対してマイナスの方向への強烈な重要性(過剰ポテンシャル)が上がっている状態です。この不自然な「高低差(歪み)」があるところに、「均衡を平らにする」というバランサー(平衡力)が働き、こと人間関係においては「罪悪感がある(自分を責めている)ところには、必ずそれを罰する人(出来事)が現れる」という現象が生じるのです。
ここで語られているのは、条件ではなく状態です。誰と出会うか、どう扱われるかは、こちらが何を放射しているかの反映の結果にしかすぎないのです。
では、どうすればいいのか?について次で語られます。
では、何をするのか ── 4つの実践と、一週間の提案
レッスンの後半は、驚くほど具体的です。以下は、その内容を実践のかたちに整理したものです。
ありのままの自分を受け入れてもらうためには、まず自分自身を受け入れることを学ぶこと。
毎朝ベッドから起きたらすぐに鏡の前に立ち、自分自身と、新しい一日に挨拶をします。
「おはよう、愛しい私。なんて綺麗なの。今日は素晴らしい一日が待っているわ」
「いや、無理」「そんな恥ずかしいことできない」
と思った人もいるかもしれません。
その場合、この実践でいちばん高いハードルは「鏡の前に立つこと」ではなく、自分に向かって、そんな言葉を本気で言えるかどうかなのでしょう。
鏡を見れば、
「寝起きでひどい」
「ここが気になる」
「そもそも自分の顏キライなんだけど」
「なんで私が自分にそんなこと言わなきゃいけないの」
と、むしろ反対の言葉が出てくる人もいるでしょう。
トランサーフィンセンターの別の記事や動画では、「無理に綺麗だと自分を説得しなくていい」「評価せずに見る」といった補足もされています。
けれど、この動画でサマリナ氏が最初に置いているのは、「自分を綺麗だと思い込め」という命令ではなく、「まず自分自身を受け入れることを学ぶ」という順序です。
だから、ここで「無理」と感じたなら、それも含めて、この実践が触れている場所なのだと思います。
そして面白いことに、「なんて綺麗なの」と言った瞬間に「いや、私は綺麗じゃない」と反論したくなったとしたら、ほんの少し前に見てきた「基準」の話が、もうここに現れています。
その「綺麗じゃない」は、誰の基準でしょうか?それに気づいてください。
日中、できるだけ頻繁に、心の中で二つの宣言文を唱えます。
「私は調和と喜びと愛を放射し、自分の人生に引き寄せます」
「私は愛し、愛されています」
ただし条件があります。感情を込めて唱え、その言葉で自分を満たすこと。次第にそれは、潜在意識にとって行動の指針として受け取られるようになる、と語られます。
人生を変え、自分の目標を見つけ、本当の愛に出会うことを固く意図しているなら——過去のネガティブな経験を、まるで存在しなかったかのように思い出さないことをルールにする。
不平を言わないこと。ネガティブな感情を引き起こす会話に加わらないこと。気づいたうえで、そこから離れるか、必要な方向へ話を移すこと。
「過去のネガティブな経験を、まるで存在しなかったかのように思い出さないこと」
ただ、これは字面どおりに「嫌な記憶が浮かぶこと自体を禁止する」と読むと、かなり無理があるように思えます。
思い出そうとしていなくても、記憶は突然よみがえります。「考えないようにしよう」とするほど、逆にそのことばかり気になることもあります。無理やり抑えようとすればそれそのものが過剰ポテンシャルにもなりえます。
トランサーフィンセンターの記事や動画ではたびたび、ネガティブな思考そのものと力ずくで闘うのではなく、それに気づき、そこへ注意や感情を注ぎ続けず、別の方向へ注意を移すということが繰り返し述べられています。
つまり、「思い出してはいけない」ではなく、「思い出した過去を、何度も今日の現実として再上映し続けない」。そのための工夫として
ただ「観察」してスルーする(のめりこまない)の他、過去から「レッスン(学び)」を回収して用事を終わらせる、「考えない」のではなく別のチャンネルに「注意を引っ越す」というのがあります。
愛する人が現れたら。豊かになったら。自分を見つけられたら——そうやって、よりよい時を待つのをやめること。
今すぐ、それらをすでに持っているかのように生きること。そのときはじめて完全に自己充足した状態になり、その結果として、環境も、人も、状況も、その新しい状態に合致し始める、と語られます。
「恋人ができたら、幸せになれるのに」 「お金が入ったら、安心できるのに」
こうやって「よりよい時」を待っているとき、世界の鏡へ放射しているベースのパラメーターは何でしょうか?
それは、「私は今、愛されていなくて寂しい(欠乏)」「私は今、お金がなくて不安だ(不足)」という強烈なマイナスのエネルギーです。
その結果、鏡によって「さらに恋人を待ち続けなければならない、寂しい現実」「さらにお金を求め続けなければならない、不安な状況」が現象化され続けます。
つまり、「条件が揃ったら幸せになろう」と待っている限り、その条件が揃う未来は原理的に絶対にやってこないのです。
そして誤解されやすいのが「すでに持っているかのように生きる」ということ。
これは、物質的なフェイクを演じることではなく、「その願いが叶ったときに、自分が感じているであろう『感情の周波数(状態)』を、今この瞬間に先取りして生きる、ということです。
それが「安心感」「リラックス」「ゆったりした誇らしさ」という周波数(状態)なら、目の前に恋人やお金がなくても、今この瞬間に自分の力で作り出すことができます。美しい花を見る、お気に入りの温かい紅茶を丁寧に淹れて飲むとき。
「待つのをやめる」とは、現実に対する主導権を、外側の状況から自分自身に取り戻すことであり、その状態で日々を生きるのです。
レッスンはこう締めくくられます。この簡単な指示に従って、まず一週間生きてみて、自分の人生に起きる本当の変化を、自分自身で確かめてみてください。
PRACTICE 2 は、日本語で読むとアファメーションの話に見えます。実際、言葉を繰り返すという形だけを取り出せば、そう見えます。
けれど原文には、外せない条件が付いています。「感情を込めて唱え、その言葉で自分を満たしてください」。唱えることが目的なのではなく、唱えている最中に、どんな状態でいるかが目的です。心の中で不信を抱えたまま百回唱えても、放射されているのは不信のほうです。
この区別は、当サイトの「自分を見て、現実を見る」──唱えるだけでOK?で扱っている論点と、まったく同じものです。言葉は状態を運ぶ器であって、言葉そのものが力なのではありません。
言葉と状態をセットで扱う実践としては、エネルギー・メッセージも参考になります。
ここまで見てきて、最初の疑問に戻ります。
なぜ、トランサーフィンセンターの「愛・人間関係」の棚には、女性に向けた記事がこんなに多いのか?
どうやら、理由は一つではありません。
トランサーフィンセンターでは、女性には直感やエネルギーを向ける力など、トランサーフィンを実践するうえで使いやすい性質がある、と説明しています。
その一方で「どうすれば自分を愛せるのか」という相談を持ってくるのは、たいてい女性だとも書いています。
その両方が重なって、現在の「棚」ができているのでしょう。
では、女性たちは何に悩んでいたのでしょうか?この記事で繰り返し出てきたのは、
「私は、このままでいいのか」
「もっとこうならなければ、愛されないのではないか」
「理想の女性に近づかなければ、幸せになれないのではないか」
という強迫にも似た問いでした。
そして、その背景にはいつも「基準」があります。
どんな顔が美しいのか。どんな身体が理想なのか。何歳ならどうあるべきか。妻なら、母なら、女性なら、どう振る舞うべきなのか。
トランサーフィンでは、こうした「これが普通」「これが正しい」という基準を作り、人をそこへ合わせようとする働きを、振り子の作用として捉えます。
問題は、ファッションや美容やフィットネスのような業界そのものではありません。
外から渡された基準を、自分(の価値)を測る物差しにしてしまうことです。
「あれが正解だ」と基準を大きくし、「そこに届かない私はダメだ」と自分を小さくする。
この記事で見てきた「重要性」も、「自分を愛せない」という問いも、ここでつながってきます。
そして、ここまで来ると、これはもう女性だけの話ではありません。
男性にも、「男なら強くあれ」、「稼げ」、「弱音を吐くな」という基準があります。
親には「良い親」、仕事には「成功している人」、年齢には「この歳ならこうあるべき」という基準がある。宛名は違っても、起きていることはよく似ています。
誰かが作った「こうである」を、自分自身だと思い込んでしまう。
ですから今回、女性についての記事を読んでいたはずなのに、最後にはトランサーフィンの基本へ戻ってきました。
誰かの基準に合わせて、自分を作り替えるのではなく、自分ではないものを一つずつ外して、自分のほうへ戻っていく。
この記事が女性について語りながら、女性だけの話では終わらない理由は、そこにあります。
結び ── まず、自分に許すところから
トランサーフィンには、何度も繰り返される原則があります。
「自分が自分らしくいることを許し、他人がその人らしくいることを許す。」
後半分の「他人がその人らしくいることを許す」は、人間関係の話として分かりやすいでしょう。けれど今回、女性に向けられた記事をいくつも辿ってきて見えてきたのは、その前半分にある言葉でした。
自分が、自分らしくいることを許す。
誰かが決めた美しさに届いてからでもなく、理想の女性になってからでもない。欠点を全部直してからでもない。
「こうでなければ」という基準に自分を合わせ続けているかぎり、私たちはまだ、自分自身に「自分でいていい」と許可を出していません。
もちろん、変ってはいけないというわけはありません。綺麗さを求めるのであれば美容やファッションを楽しめばいいし、身体を鍛えたければ鍛えればいい。けれど。
「そうならなければ、私は足りない」とは、まったく別の話です。
「女性の幸せは、今ここに」。
元のトランサーフィンセンターの記事や動画のタイトルが指しているのも、おそらく「何もしなくても幸せになれる」という話ではありません。
幸せになるための資格を、未来の自分にしか与えないのをやめること。
自分を変え終わった先で、ようやく自分を許すのではなく、まず今ここで、自分の側に立つということ。
そこから、トランサーフィンの原則は始まるのだと思います。
「闘って手に入れる」という姿勢がなぜ力を奪うのかについては、「戦う姿勢が女性の力を奪う理由──愛から行動するという道」が続きになります。
この記事の土台にある世界の仕組み(両面の鏡と、閉じた円環)は、「トランサーフィンの基本に還る」で一枚にまとめています。
理想の自分になってから、自分を許すのではなく
今の自分に、自分でいることを許す。
そこから、始まります。
