「自分を見て、現実を見る」─唱えるだけでOK?

タフティ

「自分を見て、現実を見る」
── 唱えるだけでOK?

トランサーフィンセンター公式サイト Q&A より

「自分を見て、現実を見る」
——タフティが示す、目覚めのための一文です。
けれど、この言葉を口にした瞬間に、人は目覚めているのでしょうか。
トランサーフィンセンター公式サイトのタフティQ&Aに寄せられた、率直な質問への回答をお届けします。

質問

おそらく愚かな質問だと思いますが、自分が「目覚めた」と理解できるようになるには、どうすればいいでしょうか?
「自分を見て、現実を見る」——つまり、自分の注意がどこへ向けられているか、内側と外側を見るのだということは、分かっているつもりです。
ということは、このフレーズを発したその瞬間に、私はすでに目覚めているということになるのでしょうか?

回答は、「全く愚かな質問ではありません」から始まります。そして、こう続きます。

実践が示しているように、「自分を見て、現実を見る」というフレーズを口にするだけでは、ほとんどの場合、不十分です。
単に言葉を発するだけでなく、その意味を深く認識する必要があるからです。

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「自分を見る」── 引き裂かれた注意を、一点に集める

まず、「注意」についておさえておきましょう。「注意」とは「エネルギーの向け先」のことです。
「自分を見る」とは、自分が今どのような状態にあるか、自分がどこにいるかを見るという意味です。自分自身を、全体的な(一つにまとまった)ものとして認識すること。

というのも、私たちはしばしば、バラバラな状態であるからです。何か一つを感じていながら、思考では全く別のところにいて、身体は第三の何かをしている──回答では、そんな例が二つ挙げられています。

スマートフォンでメッセージを返信している。その時、子供が何かを話しかけてくる。身体としては子供と同じ空間にいるように見えて、思考はメッセージのやり取りの中にあり、感情としては「邪魔をされている」という苛立ちが募っている。
あるいは、投資家にプロジェクトのプレゼンテーションをしながら、頭の中では昨日の妻との口論を繰り返し再生していて、その仲違いのせいで自分がどれほど不安になっているかには気づいていない。

注意がまるで「引き裂かれている」かのようで、自分のものではない。この瞬間、あなたは自分自身を全く見ていません。
(※つまり、「引き裂かれた注意」とは、貴重なエネルギーの矢印が、スマホ、ニュース、仕事の愚痴、過去の後悔、未来の不安などに八つ裂きに分散され、振り子/システムにエネルギーを吸い取られている状態のことです。このとき人は、自分を見ることができていないのです。)

「自分を見る」と声に出して言うことは、ばらばらになった自分を一つのポイント、気づきのポイントに「集める」ような働きをします。自分の感情、思考、身体の感覚を認識し、自分に全体性を取り戻すのです。

ただし、ここに一つニュアンスがあります。

集まっている

自分の感情・思考・身体の感覚を、そのまま認識できている。ばらばらだった注意が一点に戻り、全体性が回復している。

まだ眠っている

「自分を見る」と言ったのに、内側に恨み、怒り、苛立ちが居座ったまま。あるいは頭が何らかの問題を「反芻」し続けている。

言葉を唱えても、内側に恨み、怒り、苛立ちなどが居座ったまま。あるいは内側で何らかの問題を「反芻」し続けているなら、本当の目覚めは起こっていません。まだ眠りの虜(とりこ)のままなのだと——回答は、そう明言します。

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「現実を見る」── 評価せず、ただ観察する

ではもう一方、「現実を見る」とは何についてでしょうか。

それは、周囲のものを評価することなく、穏やかに、そして受容をもって(良い・悪いというラベルを貼るのをやめて、振り子に感情のエネルギー(エサ)を渡すのをストップして)見るということです。
周囲が人為的に作られた環境であり、その中でキャラクターたちが行動しているのだと認識する。そしてあなたは、闘争に足を踏み入れることも、巻き込まれることも、非難することもなく、ただ観察する。

「見る」という言葉は同じでも、向きが違います。ひとつは内側へ、ひとつは外側へ。けれど、どちらも「評価せずに認識する」という点では同じ姿勢です。

NOTE ──「人為的に作られた環境」とは

「このマトリックスは人工的なものです」——タフティのアバターでもあるトランサーフィンセンターのタチアナ・サマリナは、2022年7月25日に行われたウェビナー「あなたの魂のシナリオとは?」でそう語ります。

「これは私たちの霊的進化のために『人工的に創られたプラットフォーム』なのです。そして私たちは、自らこの実験に参加することを選びました」と。

つまり「人為的に作られた環境」とは、悪い宇宙人が人間を支配するために作った檻……といったものではなく、私たちが魂のレベル上げをするためにログインした「VRゲームのステージ」や「映画のロケ地のセット(デコレーション)」のことです。

そして、たとえば目の前で理不尽に怒っている上司や、文句ばかり言う同僚も、自分の意志でそうしているのではなく、人工的に作られたゲームステージの中で、台本(プログラム)通りに動かされている登場人物、キャラクターにすぎない。だから、いちいち反応して感情(エネルギー)を奪われるのはナンセンスだ、ということです。

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なぜ、両方そろって意味を持つのか

なぜ、「自分を見る」と「現実を見る」の両方を合わせたフレーズ全体に意味があるのか。一つはもう一つと結びついているからだ、と回答は説明します。

あなたが本当に意識の中心(気づきの中心点)から現実を見ている時、あなたは自動的に自分の感情や思考との同一化(感情も思考も、自分自身ではありません)を解除し、キャラクターであることをやめます。
ということは、あなたは「自分」に「自分」を取り戻すのです。

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そしてこれらすべては、あなたが自分自身と自分の注意を管理している時にのみ可能だと言います。これが目覚めの基盤である、と。

NOTE ──「気づきの中心点」との関係

ここで言われている「一つのポイント、気づきのポイントに集める」「意識の中心から現実を見る」は、タフティの気づきの中心点そのものを指しています。

つまり「自分を見て、現実を見る」というフレーズは、独立した呪文ではなく、気づきの中心点に立つための、実践上の入口だということになります。内側(自分)と外側(現実)の両方を同時に視野に収めた地点——それが中心点です。片方だけでは、その位置に立てない。だからフレーズ全体で一つなのです。

系譜としては、内なる見張り役(観察者)から気づきの中心点へ、そして注意の管理へと連なる線の上にあります。

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崩れることはある。それでも、続ける

回答の後半は、いま何が起きているかの認識へと進みます。

現在、出来事は次のように展開している——あなたが自分自身のものになる(自分自身を所有する)か、あるいはシステムとその振り子が、あなたを完全に操縦するかのどちらかである、と。

NOTE ──「СВ(オーナーの状態)」という新しい概念

ここで、2025年以降に新しくアンパックされた「СВ(Состояние Владельца:オーナーの状態・所有者の状態)」と呼ばれる重要概念が登場します(初出はヴァジム・ゼランド公式サイト「新しい現実」2025年10月18日掲載『СОСТОЯНИЕ ВЛАДЕЛЬЦА(オーナーの状態)』)。

「あなたが自分自身のものになる(自分自身を所有する)」と聞くと、なんだかとても奇妙な気がします。しかしゼランド氏はこう語ります。「『私はオーナーか、それともユーザーか?』と自問したこともなかったはずです」と。
そもそも、わたしたちは「自分のものではない」というわけです。そしてタフティは「あなたの注意があなたのものでなければ、あなたの人生もあなたのものではないのです」と言います。

私たちがスマホの通知に気を取られ、ニュースを見て不安になり、他人の言葉にイライラしているとき、私たちの「注意(エネルギーの矢印)」は完全にシステム(振り子)に奪われています。この状態のとき、私たちは自分の人生の「所有者(オーナー)」ではなく、システムに操縦される「操り人形」であり、自分の体という乗り物の単なる「ユーザー(乗客)」に成り下がっている、というわけです。

自分で自分の車(心と体)を運転する(自分自身を所有する)のか。それとも、自分の車なのに運転席に座っておらず、振り子が運転するのを助手席で「そっちじゃないのに!」「あのパーキングエリアに寄りたかったのに、どうしてスルーするの!?」と始終やきもきしている(ユーザー状態)か。そのどちらかだと言っているのです。

眠っている人たちを見れば、何が起こっているかがわかるでしょう。あなたの親しい人や知人の中にも、きっとそのような人がいるはずです。
ただし——彼らを非難するべきではありません。誰が優れているわけでも劣っているわけでもなく、ただ私たち一人一人が、自分の目的のためにこの世界にやって来ただけなのですから。それでも、現在の現実がまるで渦巻きのように文字通り彼らを「吸い込み」、彼らが完全に自分自身を失っていく様子を、観察することはできます。

もう一つのタイプについても触れられています。目覚めるためにこの転生にやって来たのに、その選択をしない人たち。短い時間目覚めたかと思えば、また眠りへと落ちていく人たちです。
しかし、そのような右往左往をしばらく続けた後、彼らは目覚めることができないどころか、目覚めることを選ぶことさえできなくなるだろう、と続きます。
彼らに何か問題があるからではなく、注意(エネルギーの注ぎ先)が完全に奪い取られてしまうからです。これはすでに起こっている、強力なエネルギーの乗っ取り(ハッキング)が進行中なのだ、と。
(※「超リアルなVRゲーム」に完全に没入しきって(注意を乗っ取られて)、VRゴーグルを被っているという事実すら忘れてしまい、ゲームが現実だと思い込んで「ゴーグルを外そう(目覚めよう)」という発想すら湧かなくなることを想像してください)

では、長く真剣に実践している人は安全かというと、そうではありません。感情的な崩壊や、古い反応への逆戻りは起こります。崩壊の後、まるでゼロから始めているかのような感覚が生じることもあります。

NOTE ──「ビギナーズラック」と「静寂の試練」

このような現象を「ビギナーズラック」と、その後に来る「静寂の試練」といいます。

ゲームでいうなら、最初のチュートリアルとして「ラッキー・ギフト」を体験させてもらえます。ところがその後、システム(振り子)が「おや? こいつマトリックスから逃げようとしているな?」と気づき、あなたを元の「眠り(エサの状態)」に引き戻すために、わざと強烈なトラブルや、感情を揺さぶるイベント(古い反応を引き出す罠)を仕掛けてくるのです。あるいは、過去の放射が遅れてやってきた反射である場合もあります。

いずれにせよ、「ゼロに戻った」というのは、システムが見せている幻覚(イリュージョン)に過ぎません。

そのような場合にどうすればいいか。回答は一つです。

答えは一つです。続けることです。
注意のハンドリングを実践し、自分の魂に耳を傾け、自分に光を取り戻すのです。

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重要なのは、どのような形式でそれを行うかではなく、定期性と一貫性です。転落や崩壊はあるかもしれない。しかし実践に戻るたびに、自分の中により大きな力と支えを感じるようになるでしょう——記事は、そう結んでいます。

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NOTE ── HEH編集部

この短い回答が、まず最初に否定しているのは「唱えれば効く」という受け取り方です。フレーズを口にするだけでは、ほとんどの場合、足りない、と。ここを外すと、この一文はアファメーションの一種として扱われ、実践の中身が空洞のまま形だけが残ります。

では何が違うのか。アファメーションは、まだそうでない状態を言葉で先取りする技法です。「私は豊かだ」と唱えることで、豊かさの側へ寄せていく。けれど「自分を見て、現実を見る」は、先取りではなく、点検です。唱えた瞬間に何かが与えられるのではなく、唱えることで「いま自分はどこにいるか」を確かめにいく。だから回答は、言った後に内側を見よ、と言うのです。恨みや苛立ちが残っていたなら、それは失敗ではなく、点検の結果が出たということになります。

その意味で、この記事でいちばん実務的なのは、末尾の「崩壊はある、それでも続ける」という部分かもしれません。点検である以上、望ましくない結果は必ず出ます。出たときに「まだ目覚めていなかった」と落ち込んで手放すか、そのまま次の点検に進むか。定期性と一貫性が強調されているのは、そのためだと読めます。

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唱えた瞬間に、目覚めるのではなく
唱えたあとに、見にいく

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この記事を書いた人

トランサーフィン/タフティのロシア語一次ソースを辿り、誰でも原典へ還れる知のインフラ〈Heh〉をつくっています。
源泉と日本語のあいだに立ち、消費されて終わる「知」ではなく、知から、命(ち)へ。
その道の先で、原典と人生が交差することを願っています。

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