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自分をコントロールしなくても、人生の舵は握れる──トランサーフィンセンターが語る「注意の管理」
и не подавление своих мыслей и эмоций
私たちは毎日、数えきれないほどのことに注意を向けています。
誰かに言われた一言。
気がかりな出来事。
まだ起きていない未来への不安。
やらなければならないこと。あるいはやりたくないこと。
そして、自分が本当に望んでいること。
けれども、その注意の向け先を、私たちはどれほど自分で決めているでしょうか。
リアリティ・トランサーフィンや『タフティ』では、「注意」は、自分の現実を選び、人生の主導権を取り戻すための重要な鍵として位置づけられています。
なぜなら、自分の注意がどこに向いているのかに気づかなければ、私たちは周囲の出来事や頭の中の思考に引きずられ、習慣やプログラムに従って反応し続けることになるからです。
自分で選んでいるつもりでも、実は選ばされている。
そこから抜け出し、自分の意思で選択するために必要なのが、注意を自分の手に取り戻すことなのです。
では、「注意を自分の手に取り戻す(管理する)」とは、具体的にどういうことでしょうか。
自分が何を考え、何を感じているのか、絶えず監視すること? ネガティブな感情が湧いたら、すぐに押さえ込むこと?
実は、そうではありません。
そして、実践者の間でも誤解されがちなところでもあります。
今回取り上げるトランサーフィンセンターの記事と、タチアナ・サマリナのウェビナー公開動画は、まさにこの誤解を取り上げています。
注意を自分で方向づけることと、自分の思考や感情をコントロールすることは、同じではない。
では、その違いはどこにあるのでしょうか。
出典は、トランサーフィンセンター公式サイトの記事と、タチアナ・サマリナによるウェビナー『注意の管理(Управление вниманием)』の公開抜粋動画です。
サマリナ氏はここで、注意を自分に取り戻すことは、思考や感情を監視したり、抑え込んだりすることではないと説明しています。
日常生活から離れることなく、自分の注意を自分のものにする。
そして、周囲の出来事や習慣に流されるのではなく、自分の意思で選択する。
そのために何が大切なのかを、記事と動画を通して見ていきます。
日本語版『タフティ』を読んだ方は、「注意を管理する」「注意を自分に取り戻す」という言葉に、少し違和感があるかもしれません。
実は、邦訳本では、原文の「注意」にあたる表現が「意識」と訳されている箇所があります。
たとえば「意識を向ける先」「意識をコントロールする」といった表現です。
ところが、ヴァジム・ゼランド自身は、ロシア語の「注意(внимание/ヴニマーニエ)」と「意識(сознание/サズナーニエ)」を使い分けています。
この二つは関係の深い概念ですが、同じ意味ではありません。
今回取り上げる「注意(внимание/ヴニマーニエ)」とは、簡単にいえば、自分の内側や周囲の出来事の、どこにエネルギーが注がれているのかということです。
頭の中の考え事や悩み事に注意が向いているのか。
あるいは目の前で起きていることに向いているのか。
それとも、自分が本当に望んでいることに向いているのか。
そして、その向け先を自分で選べているのか。
当サイトHEHでは、原文で使われている言葉の違いを大切にするため、『внимание/ヴニマーニエ』を「注意」、『сознание/サズナーニエ』を「意識」と表記しています。
日本語版『タフティ』で学んだ「意識を向ける」という実践とも照らし合わせながら、読み進めていただければと思います。
「注意を管理する」ことと、「自分を監視する」ことは違う
サマリナ氏は、こう切り出します。注意の管理について話すと、多くの人がすぐに、ある感覚を抱くのだと。
「これからは、自分を見張っていなければならない」
何を考えているか。今、何を感じているか。どんな感情が湧いているか。
万が一、ネガティブな感情でも出てこようものなら、「このままでは、現実をネガティブに創ってしまう」と不安になる。
そうして、本来は自分の注意を取り戻すための実践が、いつの間にか、自分の思考や感情を監視し続けることにすり替わってしまうのです。
さらに、注意を別のことに向けるためには、まずネガティブな感情を消さなければならない、と考える人もいます。
怒りや恨みが湧いたとき、その感情を無理に押さえ込んでしまえば、気持ちを切り替えて、別のことに注意を向けられるはずだと思うのです。
こうして、注意を自分に取り戻そうとしているはずが、今度は自分の感情を押さえつけることに懸命になってしまいます。
しかし、サマリナ氏ははっきりとこう言います。
実際には、そのどちらも注意の管理の助けにはならない。
まったく、そういう話ではないのです、と。
注意を管理するとは、思考も感情も、コントロールすることでも、抑え込むことでもありません。
タチアナ・サマリナ(ウェビナー抜粋より)
しつこく湧いてくる考えを、常に手で払いのけ続けることでもありません。
まったく別のプロセスなのです。
原語の『Управление вниманием(ウプラヴレーニエ・ヴニマーニエム)』は、「注意の管理」「注意のマネジメント」と訳せる表現です。
当サイトではこれまで「注意の管理」と訳してきましたが、本記事では、意味をより具体的に伝えるために「注意の舵取り」という表現も用いています。
ここでいう「管理」とは、自分の思考や感情を監視し、望ましくないものを取り締まることではありません。
自分の注意が今どこに向いているのかを把握し、必要に応じて、その向け先を自分で選ぶことです。
ロシア語の『управлять(ウプラヴリャーチ)』は、車を運転する、船を操るといった場面でも使われる動詞です。
船の舵取りを思い浮かべてください。
舵を握る人は、風や波を止めようとはしません。
海の状態を見ながら、進みたい方向へ船を導いていきます。
注意についても、これと似たことがいえます。
思考や感情を無理に消そうとするのではなく、それらが生じていることを認識しながら、自分の注意をどこへ向けるかを選ぶ。
本記事で「舵取り」という言葉を使うのは、注意の管理が、思考や感情を押さえつけることではなく、注意の向け先を自分で選び、方向づけることだと伝えるためです。
なお、このあと第3節で引用する公式サイトの記事には、「規律(дисциплина/ディスツィプリーナ)」という言葉が出てきます。「管理」と同じように、この言葉も、監視や強制の方向へ受け取られやすいかもしれません。
つまり、ここでいう規律は、自分を厳しく取り締まるためのものではなく、不要なことに費やしていた時間や注意を、自分の手に取り戻すためのものなのです。
現実から逃げず、現実に呑み込まれず──「中心」にいるということ
見張る、抑え込む。
そうかと思えば、その反対側で、人はときに別の極端へ走ります。
「私はこの現実から抜け出す」
「この依存(※マトリックス/振り子や目の前の不快な出来事に注意を奪われ、心が振り回されている状態全般)から離れて、どこでもない場所へ行く」。
そして、精神世界に深く入り込み、そこに没頭し、結果として物質的な世界を生きることをやめてしまうのです。
けれど、とサマリナ氏は続けます。
私たちが物理的な世界にいるのは、偶然ではありません。
私たちは、人生のあらゆる領域が存在するこの現実を生きるために、ここへ来ました。
いまこの時点では、金融のシステムも存在しています。
そうしたものをすべて払いのけるとき、私たちはその経験を得られません。
よくわからない場所へ逃げ込んで、それを生きないことになるのです、と。
注意の管理というプロセスは、私たちの人生からの逃避ではありません。
タチアナ・サマリナ(ウェビナー抜粋より)
どこかの山の茂みの陰にこもって、ひたすら瞑想だけをする——そういうことではないのです。
そもそも瞑想は、生活の流れの中でもできるものです。
そして、逆の極端もあります。注意の管理とは、社会の中へ強く入り込み、そこに呑み込まれることでもありません。
この二つの極端を、まず見てください——とサマリナ氏は言います。
いちばん大切なのは、その中心にいることだ、と。
「私はそれを観察している。
けれど、コントロールする必要はない」
公式サイトの記事は、この「中心」をこう言い表しています。
あなたの注意があなた自身のものであるとき、あなたはもはやシステムの中にはいません。
トランサーフィンセンター公式サイトの記事より
それでいて、この人生をあらゆる側面において生きています。
あなたはどこか中間に身を置き、起きていることを外側から観察することができる。
しかも、それを力ずくで統制しようとする必要はないのです。
仕事、お金、人間関係、社会の仕組み。私たちの注意を奪うものは、日常の至るところにあります。
だったら、そうした煩わしいものから離れて、精神的な成長だけに集中すればいいのではないか。瞑想や精神世界の探求に専念すれば、もっと自由になれるのではないか。
そう思うのも自然なことかもしれません。
しかし、サマリナ氏は、それも注意の管理とは違うと説明しています。
彼女によれば、私たちがこの物理的な世界にいるのは偶然ではありません。人生のさまざまな側面を経験するために、ここに来たのだといいます。
そこには、仕事や人間関係だけでなく、お金や社会の仕組みとの関わりも含まれています。
とはいえ、ここで疑問を感じる人もいるでしょう。
「社会から離れて、静かに暮らせるなら、それの何がいけないの?」
もちろん、静かな暮らしを選ぶことや、精神的な探求に専念すること自体が問題なのではありません。
問題は、不快な現実を見なくて済むように、現実との関わりそのものを放棄してしまうことです。
サマリナ氏は、ウェビナーの中でこう語っています。
「そもそも瞑想は、生活の流れの中でもできるものです」
精神的な実践と日常生活は、必ずしも切り離す必要がない。
仕事をし、人と関わり、日々の問題に対処しながらでも、自分の注意がどこに向いているのかに気づくことはできます。
一方で、サマリナ氏はもう一つの極端について──社会の出来事や周囲の要求に深く入り込み、そこに呑み込まれてしまうこと──も語っています。
例えば、SNSで誰かの発言を目にして、腹が立ったとします。
その瞬間から相手のことが頭を離れず、何度も投稿を読み返し、反論を考え続ける。気がつけば、本来やろうとしていたことは、すっかり後回しになっている。
このとき、自分の意思で考え、行動しているつもりでも、実際には、目にした情報に注意を奪われ、そこから生じた感情に引っ張られている状態です。
けれども、そこで「私は今、この発言に腹を立てて、ずっとそのことを考えている」と気づいたらどうでしょうか。
怒りを無理に消す必要はありません。相手の発言を肯定する必要もありません。
ただ、反論するのか、画面を閉じるのか、それとも別のことに注意を向けるのか。そこから先の行動を、自分で選び直すことができます。
サマリナ氏が勧める、二つの極端のどちらにも偏らず、「中心」にいることというのは、現実から逃げるのでも、現実に呑み込まれるのでもなく、起きていることを観察しながら、自分の注意の向け先を選ぶ、と言い換えることもできます。
ここでいう「システムの外にいる」とは、社会から物理的に離れることではなく、周囲の出来事や習慣的な反応に、自分の選択をすべて委ねないことだと理解できます。
私たちは、それまでと同じように日常生活を送っています。しかし、その中での自分の状態は違ったものになっています。
以前なら、周囲の出来事に注意を奪われ、知らず知らずのうちに自分の進む方向まで左右されていたかもしれません。
注意を取り戻した後は、今、何が起きているのかを見ながらも、自分が何を望み、どこに向かいたいのかを見失わずにいられる。
サマリナ氏が「システムの外にいる」と表現しているのは、そうした状態なのです。
社会の仕組みの中で暮らしながらも、自分の注意まで、その仕組みに明け渡さない。
それが、サマリナ氏の語る「中心にいる」ということなのでしょう。
「注意の向け先を選ぶ」ために、日常を整える
ここまで、注意を自分に取り戻すことは、思考や感情を監視することでも、現実から逃げることでもないと見てきました。
大切なのは、自分の注意がどこに向いているのかに気づき、その向け先を自分で選ぶことです。
では、それを日常生活の中で実践するには、どうすればいいのでしょうか。
私たちは、「自分で選ぼう」と思っていても、いつもの習慣に流されてしまうことが多々あります。
だからこそ、何に時間を使い、何を優先し、どんな習慣を続けていくのか。
自分の生活そのものを整えることも、注意の管理につながってきます。
ここで、サマリナ氏が取り上げているのが「規律(дисциплина/ディスツィプリーナ)」という言葉です。
自分の注意を管理するとは、自分の人生と自分自身を律し、整えることだと言うのです。
ただ、「規律」と聞くと、ほとんどの人が厳しいルールや我慢を思い浮かべるかもしれません。
サマリナ氏は、そうした早合点をしないよう、次のように説明しています。
規律とは、憂鬱と悲しみしかもたらさない厳しい制限だ——と、早急に結論を出さないでください。
トランサーフィンセンター公式サイトの記事より
実際には、自分を律することで、あなたは不要なものを手放しているのです。
あなたは自由と、本当に必要な時間のゆとりを手にします。
そして自由とは、制限の対義語です。
(「規律」という言葉の受け取り方については、第1節のNOTEでも触れています。)
記事はここから、選択の話へと進みます。
注意を自分で舵取りができ、方向づけられるようになると、意識的に選択することが可能になります。
反対に、注意の向け先を自分で選べない「眠っている」人々は、無意識のうちにプログラムやシナリオ(台本)の影響を受けた選択をしています。
それらのプログラムの中にいると、私たちは習慣に従って、望んでもいない方向へ注意を向けてしまうのです。
(原文記事では、ここからネガティブなシナリオを抜け出すための手順を扱った別記事へ案内しています。)
「眠っている」とはどういう状態か。起きているのに、眠っている?──「眠り」の正体と、目を覚ますべき理由
注意を自分に取り戻すと、何が変わるのか ── 5つの状態
ここまで、注意を管理するとはどういうことなのか、そして、自分で注意の向け先を選べるようになるために、なぜ日々の生活を整えることが大切なのかを見てきました。
では、実際に注意の主導権を取り戻すと、私たちにはどのような変化が起こるのでしょうか。
サマリナ氏は、注意を自分で管理できるようになったときの状態を、5つの項目にまとめたスライドを使って説明しています。
(※以下は、ウェビナーで示されたスライドをもとに、HEH編集部が日本語版として再構成したものです。)
※公開動画はウェビナーの抜粋のため、注意を管理する具体的な実践方法の説明は含まれていません。
では、注意を自分に取り戻したときの5つの状態について、サマリナ氏の説明を順に見ていきましょう。
なぜそうなるのか。注意を自分に取り戻すことは、自分のエネルギーを取り戻すことだからです。(「これについては、すでにお話ししましたね」と添えられており、ウェビナー本編の前半で扱われた内容と見られます。)
気分がなめらかに整い、調和し、喜びを帯びた、肯定的な色合いのものになる。注意を管理しているときは、いつも良い状態にいる——とサマリナ氏は語ります。
ここで彼女は、ロシア語の一つの言い回しに立ち止まります。「быть в духе」——直訳すれば「スピリットの中にいる」。人が「в духе」であるとは、自分のスピリット、真の自己、自分の神聖な側面とつながっているということ。だからこそ、状態も気分も良いのだ、と。
ロシア語の быть в духе(ブィチ・ヴ・ドゥーヘ)は、普通に日常会話で「機嫌がいい」「調子がいい」という意味で使われる表現です。
反対に не в духе といえば、「機嫌が悪い」という意味になります。
この言葉のなかに、Дух/ドゥーフ(スピリット)の字義がふくまれていますが、普段の会話では、特別にそういう霊的・精神的な意味を込めて使っている言葉ではありません。
ところが、サマリナ氏はここで、この表現に含まれる Дух(ドゥーフ/スピリット) という言葉に注目しています。
「機嫌がいい」とは、自分のスピリット、真の自己、神聖な側面とつながっていることなのだ、と。
つまり、普段は何気なく使われている言葉を、精神的な意味から捉え直しているのです。
そして彼女は、この「スピリットとつながっている状態」から、自分が何を望んでいるのかがわかり、自分に備わった可能性を発揮し、自分の道からそれなくなる、という説明へ進んでいきます。
ここで述べられている5つの状態は、「注意を取り戻すとこんな良いことがあるよ」というのを、ただ単に並べただけのものではありません。
それぞれがどうつながっているのか(バラバラに単独で成立するものではない)を説明しているのです。
なお、当サイトでは、ロシア語の Дух を、トランサーフィンではアバターの要素である魂を意味する Душа(ドゥシャー)と区別するため、「スピリット」と表記しています。
前の項目で、サマリナ氏は「スピリットと共にある」とは、自分の真の自己とつながっている状態だと説明しました。
そして、その状態から、自分が何を望んでいるのかがわかるようになる、と話を進めています。
スライドには「自分が何者で」という言葉も含まれていますが、公開動画では、この部分についてそれ以上の詳しい説明はありません。
その結果として、あなたは自分の中に置かれていた人生の可能性を、実現していくことになります。
最後の5つ目は、自分の進む道からそらされず、心の均衡を崩されないという状態です。
動画の中でサマリナ氏は、その理由を、先ほど説明した「スピリットと共にある」ことに結びつけています。
自分のスピリットとつながり、均衡を保っているからこそ、周囲の出来事に振り回されず、自分の道を進むことができる、という説明です。
そして彼女は、このような状態を指して、「システムの外にいる」と言います。
(この言葉の意味については、第2節のNOTEでも触れています。)
5つの状態を説明したあと、サマリナ氏は、改めて今回のテーマに話を戻します。
注意を管理するとは、現実から逃げ出したり、システムから身を閉ざしたりすることではない。
今ここで、この人生を生きながら、自分自身の進化の道を、意識的に進んでいくこと。
そして、その先には、別の現実を選び、設定するという可能性があると語ります。
「なぜなら、あなたは現実を設定できるのですから」
▲ 目次に戻るシステムに従うか、自分で選ぶか
ここまで、注意を自分に取り戻すことで何が変わるのかを説明してきたサマリナ氏は、最後に二つの選択肢を提示します。
トランサーフィンでは、バリアントの空間には数多くの選択肢があると伝えてきました。
けれども、ここで彼女が問いかけているのは、どの現実を選ぶかではありません。
自分の注意と選択をシステムに委ねるのか。それとも、自分自身で選びながら生きるのか。
その二つのあり方です。
システムの奴隷になる。
自由であること。自由な人間であること。
そしてサマリナ氏は、ここで『タフティ』の一節を引用します。
前を見つめる、光り輝く存在——創造主はあなたたちをそのように構想し、太古の昔、あなたたちはそのような姿で生まれてきたのです。
タフティ公式動画 第1話『過去世を取り戻せ!(Верните свои прошлые жизни)』
そして、自分が本当は何者で、何ができるのかに気づいたとき、注意を管理するというプロセスは、もっと容易になるのだと語ります。
ここで、公開動画の抜粋は終わります。
▲ 目次に戻る結び ── 注意は、鍛えられるスキル
システムに自分の選択を委ねるのか。それとも、自由な人間として生きるのか。
サマリナ氏が最後に示した二つの選択は、ずいぶん大きな問いに聞こえるかもしれません。
けれども、その選択は、日々の生活の中で注意をどう扱うかという、ごく身近な実践にもつながっています。
公式サイトの記事は、最後にこうまとめています。
注意の管理とは、コントロールでも、自分の思考や感情の抑圧でもありません。
トランサーフィンセンター公式サイトの記事より
外の世界から隠れようとする試みでも、何か抽象的な精神修行でもありません。
それは規律であり、自分自身を整えることであり、何に注意を向けるかの選択です。
注意の管理は、鍛えることができ、そして鍛える必要のあるスキルなのです。
エネルギーを高めること。
心を安定させること。
自分が何を望んでいるのかを知ること。
自分の可能性を発揮すること。
そして、外側の出来事や環境に振り回されず、自分の道を進むこと。
どれ一つとっても、それだけで一つの講座や教材や実践のテーマになるようなことです。
実際に、こうした状態を求めて、さまざまな方法を学んでいる人もいるでしょう。
ところが、今回トランサーフィンセンターで示されたのは、5つの目標に対する、5つの異なる方法ではありませんでした。
注意を自分の手に取り戻すことから、これらの状態がつながって生じていく。
サマリナ氏は、そう述べていると読むことができます。
だからといって、今度は「エネルギーが高いか」「良い気分でいられているか」「自分の道からそれていないか」と、一つひとつ必死になって自分を点検し始めると、「それは違います」と指摘されていた、思考や感情を絶えず監視することになってしまいます。
大切なのは、理想の状態を無理につくり出すことではなく、今、自分の注意がどこに向いているのかに気づき、その向け先を自分で選ぶこと。
その選択は、一度きりではありません。
日々の生活の中で、何度でも繰り返すことができます。
求めるものは、いくつもある。けれども、始めるところは一つ。
自分の注意を、自分に取り戻すこと。
自由とは、何にも心を動かされなくなることではなく、心が動いたあとも、自分で選ぶことを手放さないこと。
注意の管理は、その選択を日々の中で重ねていく実践なのです。
「観察する位置」をもっと知るには、用語辞典観察者(内なる見張り役/内なる観察者)と気づきの中心点へ。実際に視点を育てるワークは実践ワーク「内なる見張り役(観察者)の視点」をレベルアップしよう!、「システムの外」についてはシステムの「歯車」であることをやめ、自由になるには?をどうぞ。
海をコントロールしようとするのではなく、
舵を握る。
思考も感情も、波のままでいい。注意の向け先を選び直す、その一回一回が、舵取りです。
