「気づき」では足りない?──トランサーフィンとタフティの土台、ОСОЗНАННОСТЬ(オソズナンノスチ)とは

観察者・マインド

「気づき」では足りない?
──トランサーフィンとタフティの土台、ОСОЗНАННОСТЬ(オソズナンノスチ)とは

Что такое осознанность? Преимущества быть осознанным

tserf.ru + YouTube動画 2本(2015・2019) / タチアナ・サマリナ

トランサーフィンやタフティを読み進めていると、何度も出会う言葉があります。

осознанность(オソズナンノスチ)。

トランサーフィンセンターでは、このОСОЗНАННОСТЬ(オソズナンノスチ)を、「現実を扱うための、すべてのトランサーフィン技法の基礎」と位置づけています。トランサーフィン技法の基礎ということは、タフティにおいても基礎中の基礎と位置づけられるでしょう。

振り子に呑み込まれないこと。
自分の注意がどこへ向いているかを見ること。
Смотритель(内なる見張り役/観察者)の位置に立つこと。
自分の目標と、外から与えられた目標を見分けること。

さらにタフティでは、「目を覚ます」「自分を見て、現実を見る」「気づきの中心点へ戻る」といった実践へ、このテーマがそのまま引き継がれていきます。

ところが、日本語でここにひとつ問題が起こります。

ОСОЗНАННОСТЬ(オソズナンノスチ)を、何と訳せばいいのか。
訳語としてよく出てくるのは「気づき」「マインドフルネス」「アウェアネス」あたりですが、実際にはこの三つのなかにぴったりおさまらないのがОСОЗНАННОСТЬ(オソズナンノスチ)なのです。

問題は、訳しにくいことだけではありません。
ОСОЗНАННОСТЬが何を指しているのかをつかめないままだと、実践そのものが曖昧になります。
あるいは「気づき」「マインドフルネス」「自己管理」など、似ている別の概念として理解し、違うことを実践してしまう可能性もあります。

「気づき」とすれば、「あ、こんなことに気づきました」という一回の発見に聞こえる。
「マインドフルネス」とすれば、マインドフルネス瞑想のように「今ここに注意を向け、判断せず観察する」といった既存のイメージが先に入ってしまいます。
「アウェアネス」もまた、心理学や意識研究のなかですでに独自の意味領域を持っています。

どれも、ОСОЗНАННОСТЬ(オソズナンノスチ)と重なる部分はあります。
しかし、どれかひとつをそのまま置けば済むわけでもありません。

では、トランサーフィンでいうОСОЗНАННОСТЬ(オソズナンノスチ)とは、実際には何をしている状態なのでしょうか。

この記事では、2015年のトランサーフィンセンター初期動画、現在はサイト上から削除されている旧記事(PDFで保存していた記事から)、そして現在のランディングページをたどりながら、この言葉が指しているものを、日本語の訳語からではなく、トランサーフィン自身の説明から復元していきます。

編集ノート

この言葉に、ぴったりの日本語がない

ロシア語話者にとって осознанность(オソズナンノスチ) は、特別な専門用語ではありません。
「осознанность」と言われれば、その言葉が指すおおよその範囲を、そのまま受け取ることができます。
ところが、日本語ではそうはいきません。

「気づき」「マインドフルネス」「アウェアネス」「自覚」「意識」。

近そうな言葉はいくつもあります。
けれど、どれかひとつに置き換えた瞬間、その日本語がすでに持っている意味やイメージまで一緒に入ってきます。

冒頭でも触れたように
「気づき」と訳せば、「あ、そうだったのか」「こんなことに気づいた」という、一回の発見のように聞こえます。
けれど、トランサーフィンでいう осознанность は、何かひとつを発見することではありません。
「高い/低い」「高める」「その状態にいる」と表現される、継続する状態や度合いです。

「マインドフルネス」と聞けば、マインドフルネス瞑想のような「今この瞬間に注意を向ける」「呼吸や身体感覚を観察する」「判断せずに受け止める」といった、すでに広く知られている考え方を思い浮かべる人もいるでしょう。
確かにОСОЗНАННОСТЬにも、それと重なる部分はあります。
けれどトランサーフィンやタフティでは、そこで終わりません。

自分はいま何をしているのか。
注意はどこへ向いているのか。
何に反応させられているのか。
その行動は、自分を自分の目標へ導いているのか。

そして、自分が出来事のただ中にいながら、同時に、その自分を外側から見る。
そこまで含まれています。

では、「アウェアネス」ではどうでしょう。
これもかなり近い言葉です。けれど、ここにもそのまま同一視できない理由があります。
意識研究の分野では、「何かに気づいている」アウェアネスと、自分自身の意識状態をもう一つの意識から見る、再帰的(リカーシブ)な意識を区別する考え方があります。たとえば芋阪直行「脳と意識」(『複雑系5』研究会報告)は、意識を「覚醒」「アウェアネス」「リカーシブな意識(自己意識)」の三つの階層に分け、アウェアネスを「何かに気づく」はたらき、リカーシブな意識を、意識が自分自身に向かう「自己についてのメタ意識」としています。たとえば、

「私は腹を立てている」と気づくことと、
「いま私は腹を立て、この出来事に注意を奪われ、反応しようとしている」
と、反応している自分自身まで見ることは、同じではありません。

トランサーフィンのСмотритель(見張り役/観察者)や、「舞台で演じながら、同時に客席にもいる」という説明には、この後者に近い構造が見えます。

日本にも、それを思い描く助けになる言葉が昔からあります。
能の世阿弥のいう「離見の見」です。
舞っている本人の視点だけではなく、見ている観客側からも、自分の姿を見る。

もちろん、離見の見も、リカーシブな意識も、ОСОЗНАННОСТЬの訳語ではありません。生まれた文脈も目的も異なります。
けれど、

「自分の経験の中にいながら、その自分をもう一つの位置からも見ている」
という構造を理解するための補助線にはなります。

そして、ここが翻訳上もっとも大切なところです。
ОСОЗНАННОСТЬをどう訳すかは、単なる言葉選びの問題ではありません。
何を意味するのかを取り違えれば、実践も変わります。

「何かに気づけばいい」と思うのか。
「今ここにいればいい」と思うのか。
「自分を厳しく管理すればいい」と思うのか。
それとも、自分と現実を見ながら、自分の注意がどこへ向かい、何に動かされているのかまで見るのか。
似ているようで、同じではありません。

訳語が曖昧なら、概念も曖昧になります。
概念が曖昧なら、実践もずれることがあります。

そのため本記事では、原語のОСОЗНАННОСТЬをメインの表記として使います。ただし、日本語をまったく使わないわけではありません。
必要に応じて「気づき」「自覚」「目覚めた状態」などの日本語も使いながら、どれかひとつの日本語へ無理に固定することはせず、原語のОСОЗНАННОСТЬが実際に何を指しているのかを、トランサーフィン自身の説明と実践から見ていきます。

「ここで言っている『気づき』は、いつも使ってる日本語の『気づき』とは少し違うな」
もし読んでいる途中でそう感じたなら、その感覚を大切にしてください。

舞台の上にいるだけでは、見えない

では、ОСОЗНАННОСТЬ(オソズナンノスチ)が低い状態とは、どんな状態なのでしょうか。
トランサーフィンセンターの記事は、その説明を「人間と動物の違い」から始めています。

人間が動物と異なる主な点のひとつは、ОСОЗНАННОСТЬの度合いにある、と記事は言います。

動物は、自然に組み込まれた行動の型に従って動きます。
本能と反射が彼らを導いています。
その点で人間は、より「目覚めた」存在です。
つまり、より高い度合いで自分を自覚しています。
自然な欲求を満たすことのほかに、私たちには自分自身と、この世界における自分の居場所を探すという営みが備わっています。

ところが、その人間でさえ、ОСОЗНАННОСТЬの度合いは依然として低いままだ——と記事は続けます。

多くの人は、(自分が何に動かされているのかをほとんど見ないまま)まるで舞台の上で与えられた役を演じているかのように生きています。
誰かが書いた役柄に自分の注意を完全に明け渡し、頭からその演技に浸かり込んでいるのです。

役柄に入り込み、目の前で起きていることに反応し、台本に沿って動いている。
そして、その「台本」に私たちを巻き込むもののひとつを、振り子と呼びます。

問題なのは、舞台に立っていることではありません。
自分が舞台の上にいることさえ忘れ、役の中に完全に入り込んでしまうことです。

ОСОЗНАННОСТЬ(オソズナンノスチ)とは、そこから一度、見る位置を変えることでもあります。

舞台の上で演じている自分だけではなく、その自分を、客席側からも見る。

トランサーフィンセンターは、それを「舞台から客席へ降りる」能力という比喩で説明しています。

ОСОЗНАННОСТЬ(オソズナンノスチ)は、幸福で、成功した、調和のとれた人生への、あなたの鍵です。
それは「目を覚まし」、システムの影響から自由になり、舞台から客席へ降りて、自分のルールでプレイする、あなたの能力です。

トランサーフィンセンター公式サイト

そして記事は、ここでひとつ重要な誤解に釘を刺します。

『ОСОЗНАННОСТЬ(オソズナンノスチ)』とは、自分や現実を力づくでコントロールすることではありません。

「意識的である」と聞くと、つい、自分の感情をきちんと管理し、状況を思い通りに動かし、起きていることをすべて把握して制御することのように思えるかもしれません。
しかし、トランサーフィンやタフティが求めているのは、その逆です。

ヴァジム・ゼランドは、
「ОСОЗНАННОСТЬとは、コントロールではなく観察である。」と言っています。

自分がいま何をしているのか。
何を感じているのか。
注意がどこへ向いているのか。
目の前で何が起きているのか。

それを観る。

無理に感情を押さえ込むことでも、現実を力ずくで変えようとすることでもありません。
そして、ОСОЗНАННОСТЬに戻る——「目を覚ます」とは、握る力を強めることではなく、「観察する」位置に戻ることなのです。

トランサーフィンの原則によれば、この世界では何とも闘うべきではありません。むしろ逆に、リラックスして、自分のことに取り組みながら、静かに前へ進んでいく必要があります。

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眼鏡をかけた、あの一瞬

ここまで、公式記事ではОСОЗНАННОСТЬ(オソズナンノスチ)について、「舞台から客席へ降りる」、「コントロールではなく、観察する」という言葉で説明されてきました。
ただ、これだけではまだ少し抽象的です。

「では実際に、ОСОЗНАННОСТЬのある状態と、そうでない状態では、何が違って見えるのか?」

その感覚を、もっと日常的な比喩で説明しているのが、同じページに埋め込まれているタチアナ・サマリナの2019年の動画です。
ここでサマリナ氏は「眼鏡」の比喩を使っています。

ОСОЗНАННОСТЬとは何か? ОСОЗНАННОСТЬをもっていることの利点(ロシア語)
タチアナ・サマリナ ── 2019年5月7日
再生できない場合は YouTubeで視聴 →

「ОСОЗНАННОСТЬとは何か、そしてそれは私たちの人生に何をもたらすのか。恐れずに言えば、この質問はほぼ毎日、私に寄せられます」

——そう切り出したあと、彼女はこう言います。

想像してみてください。あなたは目が悪く、視力が低い。
あなたは自分の周りに何を見ているでしょうか。世界はどんなふうに見えているでしょうか。
私たちは目を凝らし、目を細めて、よく見ようとし始めます。あるものははっきり見え、あるものはぼやけている。人と物を完全に取り違えてしまうことさえある。

ところが眼鏡をかけた途端、すべてが明瞭になります。

——大まかに言って、これがОСОЗНАННОСТЬ(オソズナンノスチ)なのです。
自分自身と、自分を取り巻く現実に対する、明確でクリアな、偏見のない視点。

ここでのポイントは、眼鏡をかける前の自分は、世界がぼやけていることを知らないということです。
ぼやけた世界が、その人にとっての「普通」だからです。
おかしいとも思っていません。
眼鏡をかけて初めて、「ああ、こんなに見えるものだったのか」と分かるのです。

ОСОЗНАННОСТЬの度合いが低い状態も、それに似ています。
自分がよく見えていないこと同様に、ОСОЗНАННОСТЬの度合いが低い状態そのものに、気づいていないのです。
だからこそ、まず「目を覚ます」必要があるのです。

NOTE ──「見えていないことに気づいていない」とは?

たとえば、こんな状態です。

・嫌なことを言われた瞬間、反射的に言い返して、あとから「あんなに怒る必要あったかな」と思う。
・仕事や家事を流れ作業でこなし、気づけば一日が終わっている。でも、その日自分が何を考え、何に時間を使っていたのかは、あまり覚えていない。
・スマートフォンを少し見るつもりだったのに、気づけば1時間以上経っている。

どれも、本人は、ちゃんと考えている、必要なことをしている、普通に生活しているつもりです。
けれど後から振り返ると、自分で選んで動いていたというより、目の前の刺激や習慣に反応していただけだったと分かることがしばしばあります。

ОСОЗНАННОСТЬの度合いが低いとは、何も考えていないことではありません。
自分がいま何に動かされ、何に注意を向け、何をしているのかを見ないまま、その中に入り込んでいる状態だとみることができるのです。

ОСОЗНАННОСТЬがあると、因果関係が見えてくる

ここでサマリナ氏は、ОСОЗНАННОСТЬについて、もう一段踏み込んだ説明をします。

ОСОЗНАННОСТЬのある状態にいるとき、私たちは、裁いたり評価したりすることなく、「今ここ」に存在しています。
そして、自分が置かれている状況を冷静に見ることができる。
すると、「いま何が起きているのか」だけではなく、なぜそれが起きているのかについての理解もやってきます、とサマリナ氏は言います。

では、その「理解」とは何でしょうか。

それは因果関係を理解することです。
自分がどのように自分の人生を創り出しているかを見るとき、自分の思考と自分の感情の状態に責任を持つとき——これこそがОСОЗНАННОСТЬなのです。

タチアナ・サマリナ(2019年5月7日)

私たちは、自分の思考とエネルギーがどのように自分の人生を創り出しているかを、見ていません。
そして概ね、自分の感情や思考に何が起きているのかを、まったく把握していないのです。
自分と自分の現実に対する型どおりの認識から、習慣で動いているだけです。

思考は浮かんでは消え、自分がどれほどネガティブな思考を放射しているか、どれほど思い悩み、誰かと口論し、罵り合い、互いの不幸を願っているかに、気づいていません。

「それらがすべて跡形もなく消えると思いますか?」

——と彼女は問います。

「いいえ」
その思考と状態によって、あなたは自分の現実を創り出しているのです。

NOTE ── ОСОЗНАННОСТЬ(オソズナンノスチ)=「マインドフルネス」ではない

ロシア語の ОСОЗНАННОСТЬは、インターネットなどの自動翻訳では「マインドフルネス」と訳されることが結構あります。
たしかに、両者には重なる部分があります。

たとえばサマリナ氏がここで語る、
「裁くことなく、評価することなく、今ここにいる」
という説明だけを読めば、マインドフルネスを思い浮かべるのも不自然ではありません。

ただし、一般的によく言う『マインドフルネス』が多くの場合、「在るがままに受け容れる」ところをメインにするのに対し、トランサーフィンやタフティでいうОСОЗНАННОСТЬは、そこだけでは終わりません。

自分はいま、何を感じているのか。
何を考えているのか。
注意はどこへ向いているのか。
なぜこの状況が生まれているのか。
そして、自分はいま何を選び、どう行動するのか。

自分と現実を観察し、そこで起きていることの因果関係を見て、そのうえで自分の行動を選び直していく。

ここまでが、トランサーフィンにおけるОСОЗНАННОСТЬの文脈に含まれています。

つまり、「今ここを観察する」という入口には重なりがあっても、ОСОЗНАННОСТЬをそのまま「マインドフルネス」と置き換えると、トランサーフィンやタフティの中で担っている役割の一部が見えなくなるのです。

そのため本記事では、一般的に「マインドフルネス」と表示される場合があっても、文脈によって『気づき』や『自覚』、あるいは場合によって原語のОСОЗНАННОСТЬをそのまま用います。

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「目を覚ます」の反対側──現実のなかで眠る

ここまで何度か、「目を覚ます」という表現が出てきました。
もちろん、これは朝起きるとか、眠気がなくなるという意味ではありません。

トランサーフィンやタフティでは、ОСОЗНАННОСТЬのある状態を「目を覚ましている」と表現します。
では、その反対はどうなるのでしょうか。

トランサーフィンやタフティでは、ОСОЗНАННОСТЬが失われ、自分が何をしているのか、何に反応しているのか、注意がどこへ向いているのかを見ないまま生きている状態を、「現実のなかで眠っている」と表現します。

ここでいう「眠り」は、ぼんやりして何もしていない状態とは限りません。
仕事をしていても、誰かと話していても、怒っていても、忙しく動き回っていても——自分がその反応のなかに完全に入り込み、自分自身と現実を見る位置を失っていれば、「眠っている」ことになります。

このОСОЗНАННОСТЬと反対側の状態を、ロシア語では неосознанность(ネオソズナンノスチ)と呼びます。осознанность に否定の не- がついた語で、文字どおり、ОСОЗНАННОСТЬを欠いた状態を表しています。
もちろん、ここでいう「欠いている」とは、「意識そのものがない」という意味ではありません。

それは本質的に、現実から逃れたいという願望であり、快適域の外側で私たちを待ち構えている、現実の、あるいは想像上の危険から身を守ろうとすることです。
砂に頭を突っ込むダチョウのように。

外の世界とその問題のすべてから自分を遮断したいと望むとき、人は「現実のなかで眠りに落ち」、気づきをもって行動することをやめます。
もちろん、頭からすっぽり毛布をかぶることがいつでもできるわけではありません。
けれど、気づき──ОСОЗНАННОСТЬの度合いを下げること、つまり自分の知覚を遮断することなら、いつでもできるのです。

好きになれない仕事? 構いません。それについて考えないようにして、ロボットのように「オートで」通えばいい。
家庭の諍い? 目をつぶって、溜まった苛立ちや怒りや疲れを、習慣で身近な人にぶつければいい。

ОСОЗНАННОСТЬ──気づきを欠いた人は、振り子のゲームにまるごと浸かり込み、周りの何も見えず、何も聞こえず、あらかじめ書かれた台本どおりに動く操り人形のように生きています。

けれど、人がひとたび「目を覚ま」せば、周囲の現実をはっきりと知覚し始めます。自分の人生への責任を自分で引き受け、自分自身の台本に沿ってそれを組み立てていく。好きな仕事を探し、豊かさを増やし、調和のとれた幸福な関係を作ります。

自分のルールで生きることができるのは、ОСОЗНАННОСТЬのある状態においてだけなのです。

では、どうすればОСОЗНАННОСТЬを保てるのでしょうか。
記事が挙げるのは、「思い出す習慣」です。

自分の注意を管理しているのは自分自身であり、それはつまり、自分の人生を舵取りしているのも自分自身なのだということを、何度でも思い出す。
ОСОЗНАННОСТЬは、一度「分かった」ら終わりではなく、こうして少しずつ習慣として育てていくものだと説明されています。

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見張り役に立つと、「反応する人」から「舵取りをする人」に変わる

トランサーフィンには、内なる見張り役(смотритель)という考え方があります。
目の前の出来事にただ反応するのではなく、自分がいま何をしているのか、何に動かされているのか、そして状況全体がどうなっているのかを、一段外側から見る立場です。

その位置に立つと、与えられた役割や周囲の流れにそのまま従うだけではなく、自分で状況を見て、自分で判断し、自分で進む方向を選べるようになる。
記事では、この見張り役を、自分自身が自分の運命の主である人の立場として説明しています。

それに対して実行者(исполнитель)という立場もあります。
ここで記事は、見張り役と実行者(исполнитель)の違いを、仕事の場面になぞらえて説明します。

ここでいう実行者は、何もしない人でも、能力の低い人でもありません。
与えられた指示や決められた手順に従って、自分の仕事をきちんと実行する人です。
ただし、その人が見ているのは、基本的には自分に与えられた役割の内側です。

一方、上司や指揮官、管理者は、自分の作業だけを見ているわけにはいきません。
・いま何が起きているのか。
・全体はどこへ向かっているのか。
・何を変える必要があるのか。
一段外側から状況を見て、自分で判断する必要があります。

記事が、見張り役の位置を実行者よりも「面白く、効果的」だとするのは、この違いです。
与えられた役をただ実行するのではなく、自分が何をしているのかを見ながら、自分で進む方向に舵取りをする。
人生でも同じだ、と記事は続けます。

目の前で起きたことに反射的に反応し、与えられた役割や誰かの指示どおりに動くのではなく、自分と状況を一段外側から見て、自分で舵取りをする。
見張り役の位置に立つとは、行動している自分自身まで見える位置に立つことなのです。

人生において見張り役の位置についた途端、あなたはエネルギーとインスピレーションの高まりを感じるでしょう。
もう他人の意志に従順に従う必要がないからです。
今度はあなた自身が、自分の運命を創る。これこそが本当の自由です。

ОСОЗНАННОСТЬ、もうひとつの特徴 ── 頭の明晰さ

「目を覚まし」、ОСОЗНАННОСТЬをもってこの役に入ると、人は明晰に考え、自分の論を筋道立てて述べられるようになります。
一方「眠っている」人たちは、思いつきと憶測とステレオタイプの混沌のなかで、こんがらがっています。

頭の切れも、頭の鈍さも、実のところ知能ではなく、ОСОЗНАННОСТЬの度合いによって決まる——記事はそう書いています。

見張り役の位置にいる、ОСОЗНАННОСТЬのある人は、必要な情報につねに開かれていて、それを受け取り、処理し、新しいアイデアを生み、それを人生に実装し、新しい可能性を見つけ、成功への最短路を開いていきます。

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ОСОЗНАННОСТЬが高まると、何が変わるのか

ここまで見てきたのは、ОСОЗНАННОСТЬとはどんな状態なのか、そして「目を覚ます」「見張り役の位置に立つ」とはどういうことなのか、という話でした。
では、それが実際の生活では、何を変えるのでしょうか。

ここから、仕事、お金、人間関係、身体、人生の選択など、日常のさまざまな場面にОСОЗНАННОСТЬがどう関わるのかを挙げていきます。

01
同じ失敗を、繰り返さなくなる

ОСОЗНАННОСТЬのある人は明晰に考え、状況をはっきりと見ています。見張り役の位置にいるので、犯すミスがはるかに少なく、それにともなって人生の問題の数も減っていく。ガラスに体当たりを繰り返すハエのようにはならず、脇へ「飛びのいて」出口を見つけるのです。

02
正しい決断ができるようになる

ОСОЗНАННОСТЬの助けを借りると、潜在意識から必要な情報を「引き出す」ことができます。
人がふつう直感と呼んでいるのが、まさにこれです。内なる声、自分の魂の声に耳を澄ます人は、些細なことから自分の生涯の道の選択まで、正しい決断を下せます。
「眠っている」人は、理性の命令だけを聞きます。理性はいつも正しいとは限らず、行き止まりへ導くこともあります。
だからこそ現代には、外側から見れば成功しているのに、内側では空虚さを感じている人がこれほど多いのです。

03
お金との関係が変わる

お金に対するОСОЗНАННОСТЬのある態度なしに、財政上の問題を解決することや、豊かさの水準を上げることは、ほぼ不可能です。
トランサーフィンの原則によれば、豊かさへの道はあなたの頭のなかから始まります——つまり、思考と内的状態を気づきをもって選ぶところから、です。
内なる見張り役がまどろんでいないときにだけ、成功を妨げ、お金のエネルギーの流れをせき止めているネガティブな思い込みや心の錨を、見逃さず、その動きを追跡することができます。

04
人間関係が、諍いから抜ける

多くの人は、身近な人との関係のなかで「眠りに落ち」、報われない期待や要求から生じる諍いと恨みで、その関係を満たしていきます。
「こうあるべき」という希望とステレオタイプの絵で空中楼閣を建てる人。
パートナーに愛や支えや敬意やロマンスを要求する人。対立のたびに頭から浸かり込み、「刺激」に喧嘩と叫び声で反応する人。
これはすべて「眠り」です。
ОСОЗНАННОСТЬは、その状況から出て、見張り役/観察者の位置から外側からそれを眺め、正しい結論を出し、自分の行動パターンを分析し、より効果的なものに置き換えることを可能にします。

05
身体の声が、聞こえるようになる

私たちの身体は、複雑でとても賢いシステムであり、耳を澄まし、大切に扱う必要があります。
もちろん、薬を手のひらいっぱいに飲み下し、症状を鎮痛剤で果てしなく黙らせることもできます。けれど気づきが深まると、自分の身体を聴き、理解し、不調の本当の原因を見つけて取り除けるようになります。
食事、一日のリズム、身体的・精神的な休息への向き合い方も変わっていくのです。

06
自分の道が、見えてくる

自分だけの道をどう選ぶか。目標と展望の迷路のなかで、迷子にならずにいるには——ОСОЗНАННОСТЬを育てること。
すでに答えを知っている自分の魂の、静かな声に耳を澄ますこと。
社会に押しつけられた理想や流行や成功の基準に、盲目的に従わないこと。
記事では、そうすることで、自分の可能性や眠っている才能が見えてきて、本当に進みたい道を見つけられると説明しています。
そして見張り役/観察者の位置にいると、自分がどんな固有の性質をこの世界に運ぶために呼ばれているのか(自分ならではのどんな資質や才能を、この世界で生かし、人と分かち合っていくのか)が次第に分かってきます。

07
仕事とビジネスが、前へ進む

ここでは、かなり強い言い方がなされています。
ОСОЗНАННОСТЬの度合いが高い人ほど、キャリアやビジネスで本当の意味で前へ進みやすい、というのです。
なぜなら、自分の目標に注意を向け続け、目の前の課題をひとつずつ解決しながら、エネルギーや健康、インスピレーションを失わずに進んでいけるからです。

「眠っている」人にできるのは、習慣的な一連の動作を盲目的にこなし、来る日も来る日も自分の快適域に留まり、成長もその枠の内側でだけになるのです。
つまりここで問われているのは、能力の高さそのものではありません。
自分が何を目指しているのかを見失わず、その都度、必要に応じて自分で選び直しながら進んでいるかどうか。
記事は、その違いが仕事やビジネスにも表れてくる、と考えています。

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では、どうやって「目を覚ます」のか

ここまで、ОСОЗНАННОСТЬとはどんな状態なのか、「眠っている」とはどういうことなのか、そして見張り役の位置に立つと何が変わるのかを見てきました。
では、日常のなかで、どうすればその状態に戻れるのでしょうか。

記事はここから、ОСОЗНАННОСТЬを育てるために、トランサーフィンで行われている実践を三つ紹介します。それは次の三つです。

「振り子との関わり方を学ぶ」
「日常のなかで「眠らない」習慣をつける」
「魂と理性の一致に到達する」

どれも特別な場所や長い時間を必要とするものではありません。
大切なのは、日常の途中でいったん自動反応から離れ、自分はいま何に反応しているのか、注意はどこへ向いているのか、そして自分は何を選ぼうとしているのかを見ることです。

実践 1
振り子との関わり方を学ぶ

多くの人は、外からの刺激やネガティブなニュースに、決まったやり方で反応する習慣を持っています。不安、怒り、恨み、恐れ。これらの習慣は、振り子が引っぱるためのレバーのようなものです。無礼には無礼を、些細なことには強い不安を——そうやって挑発に応じるたびに、私たちは自分のエネルギーを失います。

トランサーフィンには、振り子と正しく関わり、その挑発に乗らないための、一定のルールがあります。たとえば、型どおりでない反応をすること。あなたを侮辱した同僚に怒鳴り返す代わりに、ただ笑うか、微笑んで飴を差し出す。

感情が手綱から外れかけていると感じたときは、いつでも——振り子があなたを引っかけようとしていると思ってください。自分の感情を、外側から観察すること。このゲームに頭から浸からないこと。見張り役の位置につけば、その状況から自分を切り離し、それに対して適切に反応できるようになります。

NOTE ── ここは、タフティの「アドバンテージ」にもつながる

嫌なことが起きたとき、いつもの反応をそのまま返さない。
この発想は、のちの『タフティ』に登場する「アドバンテージ」にもつながっています。

『タフティ』では、困った出来事が起きたとき、それを「目を覚ます」ための合図として使います。
まず、自分を見て、現実を見る。
そして、「これには、どんなアドバンテージがある?」と問い直す。
『タフティ』は、何か問題が起きたら、まず「アドバンテージ!」とするよう促します。
ここで面白いのは、その場で「何がアドバンテージなのか」が分からなくてもいいということです。

振り子に対するトランサーフィンの「型どおりでない反応」と、タフティのアドバンテージは同じ技法ではありません。
けれど、どちらにも共通しているのは、出来事に反射的に飲み込まれるのではなく、その瞬間に目を覚まし、自分の反応を選び直すことです。

実践 2
日常のなかで「眠らない」習慣をつける

日々の用事や気がかりな事の渦に巻き込まれていると、私たちはいつの間にか、目の前の出来事の中にすっかり入り込んでしまいます。

仕事に追われる。
誰かの言葉に腹を立てる。
頭の中の心配事から離れられなくなる。
けれど、知覚の明瞭さを取り戻し、起きていることへの責任を自分の手に取ることは、あなたの意志ひとつで可能です。
記事がここで勧めるのは、出来事から離れることではなく、出来事の中にいる自分まで見える位置に戻ることです。
それを、参加者の役から、観察者の役へ切り替えるといいます。

仕事もする。
日々の用事もこなす。
必要な行動も続ける。
けれど、それと同時に、

「いま自分は何をしている?」
「何に反応している?」
「どこへ向かっている?」
と、自分自身を見る位置も持っておく。
記事はこれを、「舞台の上で演じながら、同時に客席にも座っている」状態にたとえています。
舞台から降りてしまうのではありません。演じながら、演じている自分も見る。

これがОСОЗНАННОСТЬのある状態であり、それは自分がどこへ向かっているのかを見せてくれます。──「暗い廊下に明かりを灯す」ように——手探りで角にぶつかりながらではなく、確かな足取りで進めるように。

それが、見張り役/観察者の位置から日常を生きるということです。

具体的な始め方も示されています。携帯電話に「目を覚ませ!」という言葉のリマインダーを、1日に4〜5回セットする。そして合図が鳴るたびに、自分にこう問いかけます。
「私はどこにいる?」「何をしている?」「何を感じている?」「私の行動は、私を目標へ導いているか?」

この簡単な実践の繰り返しによって、少しずつОСОЗНАННОСТЬが高まり、やがて見張り役を起動させることが習慣になります。
同じ失敗を繰り返し、年々同じ熊手を踏むこと(※ロシア語の有名なことわざで、「同じ過ち・失敗を何度も繰り返す」「同じ罠に自分からハマって痛い目を見る」という意味)がなくなり、自分の行動を公平に外側から眺め、不運の閉じた輪から抜け出せるようになるのです。

日常の途中で何度も立ち止まり、「自分はいまどこにいるのか、何をしているのか、どこへ向かっているのか」を確認する練習ですが、実は、これとよく似た方法が、もっと早い時期のトランサーフィンセンターの動画にも登場します。

2015年に公開された短いアニメーション動画、
『Развитие осознанности──ОСОЗНАННОСТЬを育てる』です。
こちらでは、さらに具体的な課題として、3日間、30分ごとに立ち止まり、見張り役の視点から自分を確認することが勧められています。

アニメ・レッスン「ОСОЗНАННОСТЬを育てる」(ロシア語)
トランサーフィンセンター ── 2015年7月17日
再生できない場合は YouTubeで視聴 →

2015年に公開された、2分25秒ほどの短いアニメーション動画ですが、いきなり実践方法から始まるわけではありません。
冒頭でまず出てくるのは、振り子の話です。
理由は、この動画がその前の回の「振り子との関わり方」を扱った回の続きとして作られているからです。
そこで、こんな問いから始まります。

振り子の支配下に入らないためには、いっそ社会からできるだけ距離を置いたほうがいいのではないか?

動画の答えは「いいえ」です。
社会から離れたとしても、今度は「隠遁者」という別の振り子の中に入るだけ。何を選んでも、私たちは何らかの振り子と関わることになる。
トランサーフィンそのものさえ、ひとつの振り子だと説明します。

だから必要なのは、振り子から逃げることではありません。
いま自分が、何に動かされているのかを見分けられること。
ここで、ОСОЗНАННОСТЬが出てきます。

動画が「最も重要なこと」として挙げるのは、振り子から押しつけられた目標と、自分自身の本当の目標を区別できるように、ОСОЗНАННОСТЬを忘れないことです。つまり、

「自分はいま、自分の目標へ向かっているのか。それとも、いつの間にか別の何かに動かされているのか」
それを見分けるための実践、ОСОЗНАННОСТЬのトレーニングとして示されるのが、三つの問いです。

「私はどこにいる?」
「私は今、何をしている?」
「それは私を目標へ導いている?」

そして、頭で理解するだけでは終わらせず、3日間、30分ごとに立ち止まり、直前の自分の行動と思考を確認して記録し、最後に見張り役の位置から見直す、という、かなり具体的な課題が出されています。

PRACTICE ── 3日間の集中版

これからの3日間、30分ごとに、何をしていてもいったん立ち止まります。
そして、少し引いたところから自分を見るようにして、たった今まで何をしていたのか、何を考えていたのかを確認します。
動画では、これを「見張り役の眼差しで見る」と表現しています。
気づいたことを、その都度ノートに書き留めます。

ノートは常に持ち歩くこと。携帯電話のアラームやタイマーを30分ごとに鳴らし、記録のタイミングを知らせるようにします。一回も抜かさないことが、とても大切です。

3日が終わったら、記録を読み返します。
この3日間、自分は何に時間を使っていたのか。
何をしていることが多かったのか。
どんなことを考えていたのか。
そこから、自分がどこに注意を向け、何に時間を使っていたのかが見えてきます。

難しく見えるけれど、それだけの価値はある、と動画は言います。
自分が振り子の支配下に落ちていること、あるいは自分のものではない目標を追っていることに、その場で気づき、すぐに進む方向を修正できるようになるからです。

1日4〜5回のリマインダーが、日常のなかで「目を覚ます」習慣をつくる実践だとすれば、こちらは30分ごとに立ち止まり、そのとき自分が何をしていたのか、何を考えていたのかを記録していく、より集中的な方法です。
3日後には、その記録を見返すことで、自分が何に時間を使い、どのように過ごしていたのかを確認できます。

そして動画は、絶えず目を覚まし、自分の行動を自覚すること——それがОСОЗНАННОСТЬの土台であると締めくくっています。

実践 3
魂と理性の一致に到達する

トランサーフィンの原則によれば、身体・理性・魂の調和においてのみ、自分の現実を本当の意味で舵取りすることが可能になります。そしてこれは、ОСОЗНАННОСТЬへの道のりにおける重要な一歩でもあります。

始めるのに一番いいのは、自分の身体との作業です。もっと動く、歩く、運動する、身体とエネルギーの実践を行う、など。自分の身体をよく感じられる人は、ОСОЗНАННОСТЬの度合いがずっと高いのです。

次に、自分の魂に耳を澄ますこと。
「私は何を感じている?」「私は本当のところ、何を望んでいる?」と、より頻繁に自分に問いかけます。自分の望みを叶えるのです。
ときには自分ひとりの時間を持ち、瞑想します。
そして、望むものを自分に許していいのだと、理性から「Yes」を引き出していくのです。

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結び ── 注意を取り戻す。それが「目を覚ます」ということ

動画の終盤で、サマリナ氏は、よく寄せられるという質問を取り上げます。

「エネルギーがない。気力がない。どうすればいいのでしょうか」

それに対して、彼女はこう答えます。

では、あなたのエネルギーはどこにあるのでしょうか。
——あなたの注意が向いているところにあります。

ところが私たちの注意は、いつの間にか別のところへ連れていかれています。

目の前の出来事。
誰かの言葉。
不安や心配事。
やらなければならないこと。
頭の中で繰り返しグルグルしている思考。

そうして、自分の注意なのに、自分でその行き先を選んでいない。
自分の注意が他所から舵を取られるのを許してしまっているのです。

サマリナ氏は、ОСОЗНАННОСТЬを高めるとは、その注意を自分に取り戻すことでもあると説明します。

注意が自分のもとに戻れば、
どう考えるのか。
誰と生きるのか。
何をするのか。
どう感じるのか。
どこへ向かうのか。
それを、自由に選べるようになる。

私たちは、こうした選択を毎分、おそらく毎秒しています。
けれど、その選択が「自覚されないまま」行われているとき、私たちは「眠っている」のです。

サマリナ氏は、ОСОЗНАННОСТЬを欠いていることこそが、現実のなかでの「眠り」なのだと語ります。

ですから彼女が最後に勧めるのは、特別なことではありません。

一日の途中で何度か立ち止まり、自分に尋ねることです。

私は今どこにいる?
何を感じている?
本当は何を望んでいる?
そして、私の行動は私を目標へ導いているだろうか?

タチアナ・サマリナ(2019年5月7日)

答えが「Yes」なら、そのまま進めばいい。
「No」なら、そこで立ち止まります。

自分の状態を見直す。
思考を見直す。
自分自身や周囲の現実をどう見ているのかを見直す。
そして、次の行動を選び直す。

ОСОЗНАННОСТЬとは、一度きりの「覚醒イベント」ではなく、何度も思い出し、目を覚まし、自分の注意と行動を確認することで習慣になっていくことと読むことができます。

眼鏡をかける前の自分は、
世界がぼやけていることを、知らない。

ОСОЗНАННОСТЬの度合いが低いことには、気づけない。だからこそ、思い出す習慣が要るのです。

Crossover Dimension : HEH

出典:トランサーフィンセンター公式サイトの旧記事「Самая полная информация по осознанности! Трансерфинг」(2026年8月18日取得、PDFで保存)、および、同ページに埋め込まれていた公式YouTube動画「Что такое осознанность? Преимущества быть осознанным」(2019年5月7日/解説:タチアナ・サマリナ)より翻訳・再構成。2026年10月27日時点で、この旧記事は削除され、同じURLにはランディングページが表示されています(内容は、最初に取得したランディングページと同じです)。
最初に取得したランディングページ「Осознанность – ваш ключ к счастливой, успешной и гармоничной жизни!」(tserf.ru/lp/osoznannost-uspeh/、2026年8月14日取得)のURLは、同日時点で開けない状態になっています。
アニメーション動画「Мульт-урок — Развитие осознанности」(トランサーフィンセンター公式YouTube、2015年7月17日)は、最初のランディングページへのリンクが同動画の概要欄に掲げられているものの、そのページには掲載されていなかったため、本記事で併せて紹介しています。
編集ノートで触れた意識の三階層(アウェアネスとリカーシブな意識)は、芋阪直行「脳と意識」(『複雑系5』研究会報告、京都大学)によります。
ゼランド氏の引用は、同ページが『Трансерфинг реальности. Ступень II: Шелест утренних звёзд』として示している一文にもとづきます。
記事および動画内で案内されている講座・オンライン集中講座・実践プログラムに関する部分は、当サイトの方針により割愛しています。
本ページは非営利・無償の資料アーカイブです。

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この記事を書いた人

トランサーフィン/タフティのロシア語一次ソースを辿り、誰でも原典へ還れる知のインフラ〈Heh〉をつくっています。
源泉と日本語のあいだに立ち、消費されて終わる「知」ではなく、知から、命(ち)へ。
その道の先で、原典と人生が交差することを願っています。
noteではこのサイトのBackstage的なものを発信しています。→https://note.com/hip_raven7504

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