意図と目標の実現 ── トランサーフィンセンター
まだ目標が見つかっていないとき、意図はどう言葉にすればいい?
── 自分の道を見つけるためのトランサーフィン
「目標が決まっていないのに、意図なんて立てられるのだろうか」
トランサーフィンの実践でいちばん多く立ち止まるのが、たぶんこの場所です。
意図を定め、目標に向かって現実を動かしていく。しかし。
そもそも、自分が何を望んでいるのか、どこへ向かいたいのかが分からない。
目標を実現する方法以前に、その「目標」そのものが見つからないのです。
本ページでは、トランサーフィンセンターのタチアナ・サマリナが2016年4月に公開した動画「自分の目標を探す ── 実践的アドバイス」を起点に、同センター公式サイトに残る関連記事「まだ目標を探している段階なら、意図をどう言葉にすればよいのか?+タチアナ・サマリナのストーリー」、さらに2025年6月の無料ウェビナー抜粋動画をあわせて見ていきます。
2016年の動画で語られているのは、
「目標がまだ分からなくても、意図は立てられる」ということ。
そして9年後の2025年には、その意図をどのように扱い、何をイメージし、どんな状態で実践すればいいのかまで、さらに具体的に説明されています。
答えが変わったというより、9年かけて、その実践の解像度が上がっているのがわかります。
そのあいだをつなぐように残っているのが、サマリナ氏自身の「自分の目標を探していた時期」のストーリーです。
まず、魂に訊く ── けれど、声が聞こえないなら
目標を探すこと。これは最も関心の高いテーマの一つだと、サマリナ氏は語ります。
そして出発点は、いつも同じところに置かれます。
この人生における真の願望と、その実現について語れるのは、あなたの魂だけである。
目標を探している人は、まず魂の声を聴くことから始めてほしい ── 当サイトでも、そのための具体的な手順を「魂の声を聴くには?」にまとめています。
けれど、この動画が本当に扱っているのは、その先の問いです。
まだ魂の声が聞こえない人は、何から始めればいいのか。
答えは「最も重要なこと、すなわち意図(ナメレーニエ)から」。
私たちの目標は外的意図によって実現される ── そのことを思い出してください、とサマリナ氏は言います。
ここで、当然の疑問が立ち上がります。
自分の目標がどこにあり、何であるかも見当がつかないのに、どんな意図を設定すればいいのか。
次の節が、その具体的な言葉です。
「まだ分からない」ままで立てられる、意図の言葉
目標の中身がまだ分からなくても、意図は立てられます。
「何をしたいのか」が決まっていなくても、「その目標によって、どんな毎日を送りたいのか」は先に立てることができるからです。
仕事や活動の名前を決める必要はありません。まずは、それによって自分がどうなりたいのかを言葉にします。
2016年の動画、
公式サイトの記事、
2025年のウェビナー抜粋
── この3つを通して、いくつかの言い方を紹介しています。
少しずつ表現は違いますが、どれも「まだ自分の目標が分からないとき」に使える意図です。
目標そのものを、目的語にする
「私は自分の真の目標を見つけ、それを実現する」
「私の目標が、自ら私を見つけ出す」
「私は、自分の人生を祝祭〔プラーズニク〕に変えてくれるものを見つける」
「軽さ」と「もたらされるもの」を含める
「私は、私に喜び、楽しみ、そして経済的な豊かさをもたらす真の目標を、いとも簡単に見つけ、実現します」
感情を並べ、必要なら金額まで書く
「私は、私に喜び、楽しみ、幸福、物質的な豊かさ、そして月に●●以上の金額の収入をもたらしてくれる仕事を見つけ、その仕事で自己実現を果たす」
金額を書きたければ書いてよい、というのがサマリナ氏の答えです。「私は月にこれこれの金額以上の収入を得ている」という形で足すことができます。
まずは大まかでいい。分かってきたら具体的にする
「私は面白くて大好きな仕事を見つけ、そこで自己実現を果たす」
「私は、自分に喜び、楽しみ、あるいは満足感をもたらす仕事をしている」
「私の仕事は、人々の役に立つ」
最初から、「どんな仕事なのか」「具体的に何をするのか」まで決める必要はありません。
サマリナ氏は、最後のようなかなり一般的な言い方でも構わないと説明しています。
自分が何をしたいのか、人や世界に何をもたらしたいのかが見えてきたら、そのときにもっと具体的な言葉にして書き直せばいいのです。
4つに共通しているのは、まだ職種や仕事内容が決まっていなくても、意図を立てられるということです。
「何の仕事をするか」(あるいは「仕事」ではないかもしれません。)が分からなくても、それをしている自分が、どんな気持ちでいたいのか。どんな毎日を送りたいのか。何を得たいのか。
そこから先に言葉にしていけばいいのです。
言葉を唱える前に、そのときの自分を先に感じる
意図の言葉が決まったら、あとは何度も唱えればいい――というわけではありません。
2016年の動画で、サマリナ氏が次に話しているのは、
「目標が見つかったときの自分は、どんな気分でいるのか」ということです。
軽やかで、うれしくて、少しわくわくしている。
「もしかしたら、今日、何かの扉が開くかもしれない」
そんなふうに、これから起こることを楽しみにしている感じです。
サマリナ氏は、その感覚を持ったまま、日中に意図を口にするよう勧めています。
そして2025年のウェビナーでも、同じことがもう少しはっきり説明されています。
大切なのは、言葉そのものよりも、その意図がすでに実現した自分がどう感じているか。
何をしているのかがまだ具体的に分からなくても、「それを見つけた私は、こんな気分で生きている」という感覚なら、先に持つことができます。
ヴァジム・ゼランドはトランサーフィン全体を通して「期待は無益だ」「待ったり期待したりするな」と繰り返し書いています。
そして動画の中でも、サマリナ氏は、二つのロシア語を区別しています。
ожидание〔アジダーニエ〕と、предвкушение〔プレドフクシェーニエ〕です。
どちらも日本語では「期待する」「待つ」と訳されることが多い言葉です。
ここだけ見ると、「期待するなと言っているのに、期待しろと言っている?」と感じても不思議ではありません。
しかし、実はこの二つの言葉は、直訳でも同じ意味になりそうでも中身のニュアンスはかなり違います。
ожидание〔アジダーニエ〕が「焦れながら待つ」というニュアンスがあるのに対して、предвкушение〔プレドフクシェーニエ〕は、直訳すれば「前もって味わう」こと。
サマリナ氏がここで勧めているのは、この感覚です。
たとえば、子供の頃に歌った、「もーいーくつ寝ーるーとー、お正月ー♪」の感じです。
お正月が来るかどうかを心配しているわけではありません。
「今年はお正月、あるかな」
「なかったらどうしよう」
「来てくれたらいいな」
とは考えません。来ることは、もう分かっているからです。
だから、あと何日かを数えながら、その日を楽しみにしている。
まだ来ていないのに、気持ちの中ではもう少し始まっているのです。
サマリナ氏はこの感覚の方を進めているのです。
「いつ目標が見つかるんだろう」
「本当に見つかるのかな」
「まだ見つからない」
と結果を待ち続けるのではなく、
見つかる(お正月がくる)のは確定なのだから、その状態をすでに味わい始めている。
この違いは小さく見えますが、実践ではかなり大きくなります。
前者は、注意がずっと「まだない」に向いています。そして、この状態は過剰ポテンシャルが発生しがちです。
後者は、まだ現れていなくても、すでに「来るもの」として扱っています。
意図は立てた。でも、完成形が見えない ── 三つ編みは使える?
ここまでで、目標の中身がまだ分からなくても、意図そのものは立てられることが分かりました。では、次です。
意図は立てた。でも、その先をどう実践すればいいのでしょうか。
たとえば、
「私は、自分に喜びや満足感をもたらす仕事を見つける」
と意図を設定したとします。
ところが、その仕事が何なのかはまだ分かりません。
どんな場所で、何をしているのか。誰と働いているのか。そもそも会社員なのか、自分で何かをしているのかさえ分からない状態です。
すると今度は、別の疑問が出てきます。
こんな状態で、三つ編みやターゲット・フレーム(コマ照射)を、どう使えばいいの?
2025年6月の質疑応答ウェビナーで、まさにこの質問がサマリナ氏に寄せられています。
「トランサーフィンについては以前から知っていましたが、テクニックを実践し始めたのはごく最近、約1ヶ月前のことです。自分の好きな仕事を見つけ、自分の実現を見据え、創造的な可能性を開花させたいと思っています。ただ、具体的に何をしたいのかがまだ分からないのです。意図は設定したのですが、たとえば三つ編みを使ったワークや瞑想の最中に、それをどのように視覚化すればよいのでしょうか?」
── 無料ウェビナー「質疑応答の夕べ」参加者からの質問(2025年6月5日)
サマリナ氏は、仕事の具体像がまだなくても実践できる方法を、3つ紹介しています。
どれも、「何をしているか」ではなく、その意図が実現した自分をどう感じるかを使う方法です。
意図の三つ編みを使って、直接ワークすることができます。
ターゲット・フレーム(ゴールのコマ)の中で思い描くのは、まず第一に「実現した意図の中にいる自分自身」です。
職業の名前や具体的な場面ではなく、感覚に集中します。意図がすでに実現していて、そのとき自分はどう感じているか ── それを感じ取ります。
瞑想として行うなら、「意図のジェネレーター」のテクニックが勧められています。
ここには視覚化が伴いますが、視覚化するのは目標そのものではありません。
「自分がどのように暮らしているか」を思い描きます。
自分の仕事を見つけたら、ライフスタイルはどう変わるのか。
すでに好きなことをしているのだという感覚とともに、その暮らし方のほうに焦点を当てます。
ターゲット・フレーム(ゴールのコマ)を思い描かずに、意図の三つ編みだけでワークすることもできます。
ただ自分の意図を唱えるだけでよい ── ただし、必ず感覚を結びつけること。
唱えると同時に、「私はすでにこの実現の中にいる」と感じ取ります。
三つの方法に共通しているのは、具体的な完成図がなくても実践できるということです。
具体的に何をしているのか、何の仕事をしているのかは、まだ分からなくていい。
その代わりに、「それが実現した私は、どんな気分で生きているだろう?」を使うのです。
ここで名前が挙がった二つの技法は、それぞれ独立した記事にまとめています。朝の実践としての「意図のジェネレーター」と、用語辞典の「三つ編み(意図の三つ編み)」を、手順の確認にどうぞ。
「何もしない」は違う。少しだけ、いつもの外へ出る
2016年の動画で、サマリナ氏はこう言います。
「動かない石の下に、水は流れない」
つまり、意図を立てて、いい状態でいれば、それだけで十分というわけではない、ということです。
目標を探しているなら、いつもの自分が選ばないものにも少し手を伸ばしてみる。
やってみたかったのに後回しにしていたこと。
行ったことのない場所。
普段なら選ばない行動。
そういうものを、少しずつ試していきます。
これを、コンフォートゾーン(快適域)を「壊す」ことではなく、「広げる」こととして、サマリナ氏は勧めています。
今いる範囲の中だけを見ていても、「まだ知らない目標」は往々にしてそこにはなかったりします。
だから、少しだけ外へ出てみる。
刺激を与えて気分を紛らわせるのではなく、目標を無理に探し当てるためではなく、今まで見えていなかったものが見える場所まで、自分の世界を広げるために。
(※「動かない石の下に、水は流れない」は、「何もしないで待っているだけでは、物事は動き出さない」という意味のロシアのことわざです。)
トランサーフィンでは「コンフォートゾーンを抜け出す」ではなく「拡大する」と言います。この言い方の違いそのものを扱った記事が「人生を変えるために、コンフォートゾーンを『拡大』してください」です。
扉が開き始めても、駆け込まない
ここが、2016年の動画でいちばん実務的な部分かもしれません。
意図を立て、状態を整え、枠の外へ出はじめると、扉は開き始めます。
しかし、慌てて、我を忘れてそこへ駆け込もうとしないでください、とサマリナ氏は釘を刺します。
なぜなら、開いた扉がすべて「あなたの扉」とは限らないからです。
そこで見るのが、魂の反応です。
『リアリティ・トランサーフィン2巻第4章「あなたの目的」』では、理性の役割は、外から現れるさまざまな可能性を見ながら、そのたびに魂が快適なのか、不快なのかに注意を払うことだと説明されています。
魂は「私はこれが欲しい!」とはっきり言葉にできなくても、「これは違う」にはかなり正確に反応するからです。
理性はその反応を見逃さないのが仕事だ、といっているのです。
だから、サマリナ氏は、「内なる快適さ、あるいは不快感に耳を澄ませてください」と言っています。
そして、「内なる不快感があるなら、その道や目標はあなたのものではない」と続けています。
つまり、扉が現れたときに必要なのは、「チャンスかどうか」を見極めることではなく、「これは私の扉か」を確かめること。
ここで一つだけ注意したいのは、トランサーフィンでいう「魂の不快」は、単なる「初めてだから怖い」「自信がない」とは同じではないことです。
ヴァジム・ゼランドは、たびたび、魂の「ぎこちなさ・抑制」と、本当の「不快」は区別するように書いています。
新しいことへの遠慮や「私にできるかな」という不安は薄れていくことがありますが、理性がいくら「大丈夫」「これはいい話だ」と説得しても、その裏に残り続ける重苦しさは別なのです。
『78日間トランサーフィン実践マニュアル 59日目「意思決定」』では、さらに分かりやすく、
『自分を説得して「イエス」と言わなければならないなら、魂は本当は「ノー」と言っている』
という判断基準まで示されています。
▲ 目次に戻る「このプロセスを気楽に、軽やかに受け止めれば受け止めるほど、あなたの目標はより早く見つかるでしょう。」
── タチアナ・サマリナ「自分の目標を探す ── 実践的アドバイス」(2016年4月21日)より
重要性を上げない ──「まだ見つからない」は過剰ポテンシャル
2025年のウェビナーで、サマリナ氏が最後に注意していることがあります。
目標を見つけると思うこと自体が悪いわけではありません。
でも、それがいつの間にか、「どうしても見つけなければ」「見つからないとヤバい」に変わると、トランサーフィンでいう重要性が上がり、過剰ポテンシャルが生まれます。
そのために必要なのは、ただ実践だとサマリナ氏は言います。
やることはやる。
意図を立てる。いつもの範囲を少し広げる。開いた扉があれば、自分の内側の反応を見る。
でも、結果を四六時中チェックしない。
「まだかな、まだかな」「くるのかな」と待つのではなく、来るとわかっているお正月(祝祭)を楽しみにしている。
機会が来るかどうかを疑って見張るのではなく、来ることを前提に、今日を普通に生きているのです。
ただし、自分の状態はずっと同じではありません。
朝は軽やかだったのに、昼には焦っているかもしれない。
「そのうち見つかる」と思っていたのに、気づけばまた「まだ見つからない」に頭を占領されているかもしれない。
だから、ときどき自分を見る(観察する)。
「あれ、今の私はどんな状態?」
確信を含んだ楽しみを感じているのか、それとも、焦って結果を見張っているのか。
サマリナ氏は、ここから注意を管理することの大切さへ話を広げています。
2025年の彼女にとって、注意の管理は目標探しだけの話ではありません。
私たちがこれからの変化の中で身につけていくべき、もっと大きなテーマとして語られています。
この動画が公開された2025年には、すでに『セルフ・トランサーフィン』が出版され、その後もテレグラムをはじめとするSNSではヴァジム・ゼランド自身による「新しい時代」「新しい現実」についての発信が続いていました(今も続いています)。
そこで以前よりも前面に出てきたのが、「自分の状態を管理すること」です。
ゼランド氏もたびたび「まず状態。そのあとに意図」とまで書いています。
20年以上前に出版されたリアリティ・トランサーフィンの技法が使えなくなったわけではありません。
むしろ、何をするか以上に、どんな状態の自分がそれをしているのかが重要になった、ということです。
そう考えると、このウェビナーの「目標探し」も、ただ自分に合う仕事を見つける話ではなくなってきます。
意図を立てたとき。
まだ何も起きないとき。
小さな扉が開いたとき。
そのたびに、「まだ見つからない」と焦っているのか。
魂の反応もチェックせずに「これだ!」と目の前の出来事に飛びついているのか。
それとも、自分の状態を見ながら、起きていることも見ているのか。
結局のところ、ずっと問われているのは、「今、自分の注意はどこにある?」ということでもあります。
サマリナ氏自身、この2025年のウェビナーで、
「状態は一日の中でも変わるから、それを捉えて観察する必要がある。それが注意を管理することだ」
と説明しています。
そして、「現在の課題は、自分の注意を管理することを学ぶこと」だと続けています。
時代とともに、新しい技法が増え、「状態」が以前にも増して重視されるようになったからこそ、自分の注意を自分で扱えることが、さらに重要になっている、ということです。
「これじゃない」を重ねた先で ── サマリナ氏が自分の目標に出会うまで
ここまで読んで、「理屈は分かった。でも、本当にそんなふうに自分の目標って見つかるものなの?」と思った人もいるかもしれません。
実は、トランサーフィンセンターの創設者であり、チーフトレーナーのタチアナ・サマリナ自身も、最初から「これが私の道だ」と分かっていた人ではありません。むしろ逆です。
心理学を学び、経済を学び、銀行で働き、カフェを開き、さまざまなトレーニングやビジネスプログラムにも関わった。
かなり長いあいだ、「自分は本当は何をしたいのか」を探し続けていた側の人です。
公式サイトの記事では、ここからサマリナ氏自身の「目標探し」の話が始まります。
方法論ではなく、今度は実際に探していた本人の話です。
「私自身にとってもこれは非常に身近なテーマです。私も長いあいだ、自分の天命を探し求めていたからです」
── タチアナ・サマリナ「まだ目標を探している段階なら、意図をどう言葉にすればよいのか?+タチアナ・サマリナのストーリー」より
人を観察する子どもだった
昔から、人々を観察し、その本質や、自分自身・周囲・人生に対する態度を探ることが好きだったといいます。
まだ若い頃、ある近所の女性を見ていました。ある若者とデートをし、結婚し、そして離婚した。その一部始終を見ながら、彼女はこう思っていたそうです。
「まさかこれだけなの? 私たちの人生って、これだけのことなの? それとも、私たちは何かもっと大きな目的のために生まれてきたの?」
心理学、そしてエコノミスト
心理学者になろうと決心し、大学を卒業して最初の学位を取得します。この職業を通じて、人間の魂の謎を解き明かしたかった。私たちが本当は何者なのかを理解したかった。
しかししばらくして、古典的な心理学がそうするように過去の問題を掘り下げることは、あまり効果的ではないと気づきます。
過去を整理するために時間を使いすぎて、現在の瞬間を逃している。
そして結局、自分自身の疑問への答えは得られませんでした。
そこから、かなり長い「自分探し」の道のりが始まります。
二つ目の学位はエコノミスト。当時流行していた職業で、「本当に真面目で重要な仕事」ができるのだと自分に証明したかったのだといいます。
しかしすぐに、「これは全く自分の道ではない」と悟りました。
それでも今は、この経験にとても感謝している ── と彼女は書いています。
理性や社会に押し付けられた偽りの目標と、真の目標とを見分ける方法を、それが教えてくれたから。
「もういい。目標のほうから、私を見つけてもらおう」
その後も、さまざまな職業の中で自分を探し続けます。
膨大な数のトレーニングやコースを受け、三つ目の学位を取り始め、銀行で働き、自分のカフェを開き、自己啓発のトレーニングやビジネスプログラムを開催し ──
そして、ある時点でうんざりして、状況を手放しました。
「もういいわ。自分の目標を見つけるためにやるべきことは、全部やった。今度はその目標のほうから私を見つけてもらおう」
その後、トランサーフィンの本と、著者であるヴァジム・ゼランド本人に出会います。「これだ」と直感した、と。
トランサーフィンのおかげで「本当の自分」を思い出し始め、自分が本当は何者なのか、なぜここにいて、自分の人生をどうすればいいのかという問いに、自分で答えを出せるようになった ── そう記事は続きます。
テクニックがどれほど強力に働くかを目の当たりにしたとき、この知識を人々と分かち合いたいという欲求が生まれ、こう考えたといいます。
「トランサーフィンの実践を、人々の日常生活にどう取り入れてもらうか。テクニックやツールを習得するのを、どう手助けすればいいか。気づきを持って自分の人生を操縦し、内側から輝くような、志を同じくする人々のコミュニティを、どうやって作るか」
こうして、ヴァジム・ゼランドとの出会いと、その直接の支援のもとに、トランサーフィンセンターが生まれます(同センターは、2006年にゼランド氏の参加と支援を得て設立されたと、公式サイトに記されています)。
自分の本来の仕事に取り組むと、金銭的な流れが増え、生活の質が完全に変わる ── 文字通り、人生が祝祭〔プラーズニク〕へと変わるのだ、とサマリナ氏は語ります。
そして記事は、読者への一行で終わっています。
「あなたはもう、自分自身を、自分の道を見つけましたか?」
ここでいう「手放した」は、
「もう自分の目標なんてどうでもいい」と諦めた、という意味ではありません。
彼女が手放したのは「目標」ではなく、「自分が何としてでも見つけなければ」という探し方でした。
タチアナ・サマリナは、その直前までかなりのことをしています。
心理学を学び、経済を学び、銀行で働き、カフェを開き、さまざまな講座を受け、さらに三つ目の高等教育まで始めた。
つまり、何もせずに「もういいや」と投げ出したわけではありません。
探した。試した。違うと思った。また探した。
それをかなり長いあいだ続けた末に、「もう、自分から答えを追いかけるのはやめよう」となったのです。
彼女自身の言葉では、「自分の目標を見つけるために、できることはもう全部やった。今度は目標のほうから私を見つけてもらおう」です。
ですから、この場合の「手放す」は、目標を捨てることではなく、「自分が何としてでも見つけなければ」という力みをやめること、と考えると分かりやすいと思います。
しかも重要なのは、そのあと彼女が人生そのものを止めたわけでもないことです。
「もう知らない」と閉じこもったのではなく、その後トランサーフィンの本と出会い、ゼランド本人と出会ったときには、
「これだ。これこそ自分が人生に取り入れたいものだ。これこそ自分がやりたいことだ」と反応しています。
特定の「何か」を探すのではなく、それがわからなくても、「目標の方からわたしをみつけてもらう」状態を意図し、「まだ見つからない!」と重要性を上げず、出てきた扉には即スライディングせず、魂の反応を見る。
今回お届けした記事や動画で述べられてきたことが、一人の人間が人生の中で通過すると、こんなふうに見える。原典と人生が交差した、そんな一つの実例として読むこともできるのだと思います。
9年たっても残っていたもの、9年のあいだに増えたもの
今回、2016年の動画を追っていて面白かったのは、9年後の2025年にも、同じ問いがまだ扱われていたことでした。
「自分が何をしたいのか、まだ分からない」
「それでも意図は立てられるのか」
「具体的な完成図がないのに、どう実践すればいいのか」
2016年の動画では、まだ答えは比較的シンプルです。
意図を立てる。
その目標を見つけた自分の状態に入る。
いつもの範囲を少し広げて、実際に動く。
扉が開いたら、すぐに飛び込まず、自分の内側の反応を見る。
ところが2025年になると、同じ問いに対して使われる道具が増えています。
「意図の三つ編み」
「ターゲット・フレーム(コマ照射)」
そして、よりはっきり前面に出てくる「状態」と「注意の管理」。
これは当然といえば当然です。
2016年の動画は、『タフティ・ザ・プリーステス』がロシアで刊行される前年のものです。
その後、『タフティ』を経て、『セルフ・トランサーフィン』が出版され、ゼランドやトランサーフィンセンターでは「新しい時代」「新しい現実」についての発信も続いていきました。
そこで以前にも増して強調されるようになったのが、
「何を意図するか」だけではなく、「そのとき自分がどんな状態にいるのか」、「自分の注意をどこに置いているのか」
ということです。
ですから、2016年と2025年を並べてみると、私は「9年間ずっと同じだった」というより、答えの核は残ったまま、実践の解像度が上がっているように見えます。
2016年にはすでに、「言葉を唱えるだけではなく、その状態に入る」「実際に動く」「扉が現れたら魂の反応を見る」という骨格がある。
2025年になると、その上にタフティ以後の技法が加わり、さらに、
その全過程で、自分の注意がどこへ持っていかれているのかを見る。
そういうところまで、はっきり言葉にされるようになっています。
こうして見ると、「自分の目標を探す」というテーマも、単なる天職探しではありません。
目標がまだ見つからないとき。
扉らしきものが現れたとき。
「これだ!」と飛びつきたくなったとき。
逆に、「まだ見つからない」と焦り始めたとき。
そのたびに問われるのは、
「今、自分はどんな状態にいる?」「自分の注意は、今どこにある?」ということでもあります。
目標探しをしていたはずが、いつの間にか、「自分を見て、現実を見る」練習になっている。
2016年から2025年までを並べて読むと、そんな流れも見えてきます。
そして、もうひとつ。消えてしまった2016年の記事について。
今回取り上げた2016年4月21日の動画「自分の目標を探す ── 実践的アドバイス」の概要欄には、当時セットになっていた公式記事へのリンクが残っています。
ところが現在、そのページを開いても肝心の本文が表示されません。タイトルやタグなどは残っているものの、記事本文は確認できない状態です。
そこで今回は、2016年の動画そのものを軸にしました。
そのうえで、トランサーフィンセンター公式サイトの同テーマの記事『まだ目標を探している段階なら、意図をどう言葉にすればよいのか?+タチアナ・サマリナのストーリー』(この記事も、現在は同様に本文が表示されなくなっており、今回参照したのはNotebookLMに保全されていたスナップショットです)と、そこに収録されている2025年のウェビナー抜粋動画をあわせて読んでいます。
つまり、消えた2016年の記事本文を「復元」したわけではなく、2016年に残された動画と、現在確認できる同テーマの公式資料を、時間をまたいで照合したというのが、このページの正確な位置づけです。
トランサーフィンセンターのサイトがリニューアルされ、昔の記事との対応関係が少しずつ見えにくくなっている今(もちろん今後改善される可能性もあります)、せめてこちらでは、何が2016年に語られていたのか。その後、何が加わったのか。
その流れだけは辿れる形で残しておきたいと思います。
結び ── 探している時間は、空白ではない
「目標が決まってからでなければ、意図は立てられない」。
そんな順番で考えなくてもよかったようです。
サマリナ氏自身も、最初から自分の道が分かっていたわけではありませんでした。
心理学を学び、経済を学び、銀行で働き、カフェを開き、さまざまなことを試した。
どれも「無駄だった」のではありません。
その一つひとつが、後になって
「できること」と「自分の道」は同じではないということを見分ける経験になっていったように見えます。
そして最後に彼女は、
「自分の目標を見つけるために、できることはもう全部やった。今度は目標のほうから私を見つけてもらおう」と言って、状況を手放します。
ここでいう「手放す」は、たぶん「もうどうでもいい」と諦めることではありません。
目標を捨てたのではなく、「私が何としてでも答えを見つけなければ」と握り続けるのをやめた。そう読むと、この言葉の意味がかなり違って見えてきます。
そして――この記事のこの部分に取り組んでいたとき、パソコンにYouTubeの通知が届きました。
2026年9月4日に行われた、トランサーフィンセンターの無料ウェビナーが、翌9月5日にYouTubeで公開されたという通知です。タイトルは、
「Отпустить — значит перестать удерживать」
──「手放すとは、握り続けるのをやめること」
その中でサマリナ氏は、「握っている手を緩めること」の大切さを語っています。
「もう手放しました」と言いながら、
「ちゃんと進んでいる?」、「まだ?」、「私が何かしなくても大丈夫?」
と確認し続けているなら、まだどこかで握っている。
本当に手放したときには、そのことに戻って自分を悩ませる思考がなくなり、内側が軽く、静かになる――そんな説明もしていました。
2006年のセンター設立以前に、タチアナが自分の人生の中で選択した「手放す」。
そして約20年後の2026年、本人があらためて言葉にした「手放す」。
並べてみると、「私の目標が、自ら私を見つけ出す」という一文も、ただ待っていれば向こうから何かが降ってくる、という話ではなかったことが見えてきます。
探す。
試す。
違うと気づく。
また動く。
でも最後まで、答えの首根っこを自分で掴んで引きずり出そうとはしない。
探している時間そのものが、自分の感覚を取り戻し、自分の扉を見分けられるようになる時間でもある。
だから、まだ目標が見つかっていない時間も、決して「何も始まっていない時間」ではないのだと思います。
意図を立てて唱え始めたあと、「何も起きていないように見える」時間をどう過ごすか。そのことだけを扱った記事が「まだ、何も起きていないように見えるとき。」です。本記事の第7節の続きとして、あわせてどうぞ。
「私の目標が、自ら私を見つけ出す。」
まだ名前のない目標にも、意図は向けられる。
目標を探している時間もまた、
自分の道を生き始めている時間なのかもしれません。
