実践・ワーク ── トランサーフィンセンター
守るために、恐れ続ける必要はない
──ヴァジム・ゼランドの「住まいの調和」
2026年10月16日、昼過ぎ。
次はどの記事をあげようか思案していた時でした。
「大地震が来ます!!」
突然、スマホと町内アナウンスでアラートが響きました。
「地震」ではなく、「大地震」。
結局、警報は誤報だったのですが、SNSでは原因をめぐってさまざまな憶測が飛び交っていました。
けれども、私の頭に浮かんだのは、イソップ寓話の『オオカミと羊飼いの少年』でした。
次に同じ警報が鳴ったとき、人々はどう反応するのでしょう。
「また誤報だろう」
「今度こそ本当かもしれない」
どちらも、十分にあり得る反応です。
けれど、ここでふと思ったのです。
信じるか、信じないか。
私たちは、いつまでこの二つの選択肢の中で揺れ続けるのだろう、と。
もちろん、警報が鳴ったら安全を確保することが先決です。信じるかどうかの結論を出すまで、じっと待っているわけにはいきません。
ただ、外から届いた情報に反応することと、自分の注意をどこに向け、何をするのかを自分で決めることは、同じではありません。
そんなことを考えていたとき、ふと思い出した記事がありました。
数か月前に翻訳を終え、公開しないままになっていた、ヴァジム・ゼランドの「住まいの調和」のテクニックです。
当サイトではこれまで、自分自身を包む「エネルギーの繭」、そして大切な人を包む「エネルギーの繭」を紹介してきました。
今回は、その対象が「住まい」になります。
ただし、このテクニックには、見逃せない前提があります。
不安や恐怖の中では、実践しないこと。
つまり、危険が迫ったときに慌てて使うものではなく、何事も起きていない、穏やかなときに行う実践なのです。
ここで取り上げているのは、警報が鳴ったとき、どう行動するのかではなく、警報が鳴っていないとき、自分はどんな状態を生きるのか、です。
今回取り上げるのは、ヴァジム・ゼランドが2022年3月19日に公式サイトで公開した『ЗАЩИТА ДОМА(家の保護)』をもとに、トランサーフィンセンターが紹介した『Техника гармонизации дома по Вадиму Зеланду(ヴァジム・ゼランドによる家の調和のテクニック)』です。
タチアナ・サマリナによる解説動画とともに、その具体的な手順を見ていきます。
2022年3月19日──ヴァジム・ゼランドが「家の保護」を公開した日
このテクニックが最初に公開されたのは、2022年3月19日。
ヴァジム・ゼランドの公式サイト『新しい現実』に掲載された『ЗАЩИТА ДОМА(家の保護)』という記事でした。
2022年2月24日、ロシア軍がウクライナへの全面侵攻を開始。
3月14日には、ロシア国内でInstagramへのアクセスが遮断され、ゼランド自身も同日、公式Telegramチャンネルでの発信を開始しています。
その5日後に公開されたのが、今回のテクニックです。
ゼランド氏は冒頭で、家やアパートを不測の出来事、好ましくない外部からの影響、そして侵入から守るための方法を提案しています。
戦争が始まり、人々の暮らしや情報環境が大きく揺れ動いていた時期。
ゼランド氏が当時、どのような意図でこのテクニックを公開したのかはわかりません。
ただ、少なくとも「家を守る」というテーマが、この時期に発信されていたことは確かです。
そして約4年後の2026年7月。
トランサーフィンセンターは、同じテクニックを『Техника гармонизации дома по Вадиму Зеланду(ヴァジム・ゼランドによる家の調和のテクニック)』として、改めて記事と動画で紹介しました。
2022年には「保護」、2026年には「調和」。
なぜタイトルが変わったのか、その理由までは明らかではありません。
しかし、守ることと、調和させること。
この二つの言葉の違いも頭の片隅に置きながら、タチアナ・サマリナによる解説を見ていきましょう。
大前提 ── 守りは、何も起きていないときに整える
このテクニックは、危険が迫ったときに、慌てて取り出すためのものではありません。
そのことは、具体的な手順に先立って置かれた、次の注意書きからも読み取れます。
不安、恐れ、そして思い悩んでいる状態では、テクニックを実行しないでください。
そのような場合、まさにあなたが不安に思っていることが実現してしまう可能性があります。
静かな環境で、穏やかな精神状態でのみ、実践を行ってください。
ここまで読んで、「またこれか」と思われたなら、それで正解です。
自分自身を包むエネルギーの繭にも、大切な人を包む繭にも、まったく同じ条件がついていました。三つとも、例外なくです。
理由も同じです。世界の鏡に放射されるのは、あなたが「守りたい」と思っている内容ではなく、あなたが今いる状態そのものだからです。不安なまま「家が無事でありますように」とやれば、放射されるのは不安のほうになる。
だからこそ、このテクニックは、何かが起きてから取り出す「救急箱」ではありません。
何事もない日々のなかで、自分の状態を確かめ、穏やかな状態から意図を定める。
その繰り返しこそが、この実践の基本なのです。
実践 ── 家を包む、その前に
このテクニックは、いきなり家の周りに光のドームを張るところから始まるわけではありません。
最初に行うのは、今、自分も家も穏やかな状態にあることを確かめること。
そこから、家全体を包み込むイメージへと進んでいきます。
ゼランド氏が紹介した実践を、5つの手順に分けて見ていきましょう。
所要時間は2〜3分です。
快適な場所に落ち着いてください。
アームチェア、ソファ、または背もたれの高い椅子が適しています。
あなたの家ではすべてが平穏であり、あなた自身もそこで素晴らしい気分でいる——という考えにフォーカスしてください。
次に、あなたの家全体がドームで覆われているか、あるいは何らかの球体の中にあると想像してください。
はっきりと映像にする必要はありません。
自分の注意がふっと広がり、家全体を包み込むような感覚でも構いません。
ゼランド氏はこれを「軽いメンタルな動き」と表現しています。
無理に何かを感じ取ろうとしたり、力を込めてイメージを作り上げたりする必要はありません。
家全体をドームや球体で包んだら、次のような言葉を、声に出すか心の中で唱えます。
「私の家、私たちは一緒にいて、すべてが順調です。
私の家では、すべてがうまくいっています。
すべてが静かで、穏やかで、平穏です。
私の家は守られ、保護されています」
一言一句、そのまま唱える必要はありません。大切なのは、自分の言葉で同じ意味を伝えることです。
この思考フォームの詳細については、次のセクション『「私の家」から、「私たち」へ』で詳しく見ていきます。
家全体がドームに包まれ、穏やかに守られている。
その感覚のまま、2〜3分ほど過ごしてください。
長時間続ける必要はありません。
なお、すでに意図の三つ編み(コシツァ)を使える人は、このテクニックに組み合わせることもできます。
元々のゼランド氏の記事でも、トランサーフィンセンターの記事でも、意図の三つ編みを併用することで、より高い効果が得られると説明しています。
家を包むドームや球体を、頭の中ではっきり映像にする必要はありません。
2022年のゼランド氏本人の原文では、「自分の注意、あるいはバイオフィールドが、家全体を包むように広がっていくかのように、軽く意識を動かす」と説明されています。
一方、2026年のトランサーフィンセンター版では「バイオフィールドを広げる」という説明になっています。
つまり、映像を思い浮かべるのが苦手なら、自分の注意を家全体へふっと広げるように意識する方法でも構いません。
次の手順(PRACTICE 4)では、言葉によって思考フォームも設定します。鮮明な映像を作ろうと、無理に頑張る必要はないのです。
「私の家」から、「私たち」へ
この思考フォームには、少し興味深い言い回しがあります。
「私の家」と呼びかけたあと、すぐに「私たち」という言葉が出てくるのです。
手順4でも紹介しましたが、あらためて見てみましょう。
「私の家、私たちは一緒にいて、すべてが順調です。
私の家では、すべてがうまくいっています。
すべてが静かで、穏やかで、平穏です。
私の家は守られ、保護されています」
この言葉を一言一句そのまま唱える必要はありません。
大切なのは、自分の言葉で同じ意味を伝えること。
タチアナ・サマリナも動画の中で、自分が感じるままに表現してよいと補足しています。
原文では、家に対して Мой домик(モイ・ドーミク) と呼びかけています。
домик は дом(家) に縮小辞がついた言葉で、ここでは「わが家」「うち」といった、親しみのこもった表現として読むことができます。
興味深いのは、そのあとに続く言葉です。
「私たちは一緒にいて、私たちにはすべてが順調です」
「私の家」と呼びかけたあと、「私たち」という言葉が出てきます。
家を外から守るだけでなく、自分もその家と共に在る。
そのような親密さも感じられる思考フォームです。
ゼランド氏もサマリナ氏も、この言葉を一言一句そのまま唱える必要はないと説明しています。
日本語なら、「わが家」「うち」「私たちの家」など、自分にとって自然な呼びかけ方でもよいでしょう。
決まった言葉を正確に暗唱することよりも、何を意図しているのかが大切なのです。
日本では古くから、かまどや井戸、お手洗いにまで神仏の存在を見いだしてきました。
そうした感覚を持つ日本人にとって、家に親しみを込めて語りかけることは、それほど不思議なことではないのかもしれません。
もちろん、ここでは家に神や意識が宿っていると述べているわけではありません。
しかし、「私の家」と呼びかけ、続けて「私たち」と語るその言葉には、家を単なる無機質な建物としてではなく、自分の暮らしを共にする存在として捉えるような親しみが感じられます。
ドームは、屋根を修理してくれない
トランサーフィンセンターの記事では、最後にこんな注意が添えられています。
もちろん、家の空間を調和させるテクニックを使ったからといって、タイミングよく配管を修理したり、屋根や配線を修理したりする必要がなくなるわけではありません。しかし、通常の予防作業ではどうにも影響を与えられないような、好ましくない出来事を防ぐことはできます。
トランサーフィンセンター公式サイト
つまり、このテクニックを実践しているからといって、現実のメンテナンスが不要になるわけではない、ということです。
雨漏りがあれば屋根を修理する。配線に問題があれば点検する。壊れた設備は、必要に応じて修理・交換する。
日本なら、家具の固定や防災用品の備蓄、住まいの耐震性を確認することも大切でしょう。
いくら家を光のドームで包んでも、それだけで傷んだ屋根や配線が直るわけではありません。
ゼランド氏は、このような物理的な対策とは別に、意図によって好ましくない出来事を防ぐことができると述べています。
ただ、今回の手順を改めて見てみると、興味深いことがあります。
最初に注意を向けるのは、危険でも、恐怖でもありません。
今、自分と家が穏やかな状態にあること。
そこから注意を家全体へと広げ、「私たちは一緒にいて、すべてが順調です」と意図する。
これは、危険を遠ざけようとすること以上に、今ある平穏を出発点として、安心して暮らせる領域を広げていく実践とも読めるのではないでしょうか。
いわば、快適域の拡大ならぬ、「安心域の拡大」です。
もちろん、それによって物理的な危険がなくなることが実証されているわけではありません。現実に必要な点検や修理、防災対策は欠かせません。
けれども、家の欠点や起こるかもしれない災難ばかりに注意を向けるのではなく、今ここにある穏やかさにも目を向ける。
今回のテクニックには、そんな意図の向け方も示されているように思います。
家の外でも、実践は続いている
当サイトではこれまで、自分自身を包む「エネルギーの繭」、そして大切な人を包む「エネルギーの繭」を紹介してきました。
今回の「住まいの調和」を加えると、自分、大切な人、そして家。
結果として、三つの実践が揃ったことになります。
けれども、こうして並べてみると、共通しているのは、何を包むかという対象の違いだけではないように思います。
先の二つのテクニックでは、最初に「内なる見張り役の活性化」あるいは「気づきの中心点」に入ることが明記されています。
一方、今回の「住まいの調和」には、その指示はありません。代わりに、まず自分自身と家が穏やかな状態にあることを確かめ、そこから注意を家全体へと広げていきます。
手順は同一ではありませんが、いずれも、自分が今どのような状態にあり、何に注意を向けているのかが関わってきます。
住まいだけに限らなくてもいいのでは?
今回のテクニックでは、家全体をドームや球体で包みます。
けれど、私たちが日々身を置く場所は、自宅だけではありません。
会社のオフィス、立ち寄ったカフェ、移動中の電車。旅行や出張先のホテルなど。
そうした場所でも、自分の注意を取り戻し、そこでどのように過ごしたいかを意図することはできるのではないでしょうか。
もちろん、ゼランド氏が今回の「家の保護」を、あらゆる場所に適用できると説明しているわけではありません。ここからは、原典を踏まえた応用の話です。
思い出したのは、『タフティ』のLesson 2「夢の中を自由に歩く」でした。
タフティは、気づきの中心点に入り、職場や学校、ショッピングセンターなど、普段の生活の場へ出かけるように勧めています。
そして、店に入るとき、人に話しかけるとき、自分の注意がどこに向いているのかを確かめる。
「自分を見て、現実を見る」
これは、特別な場所で、特別な時間を設けなければできない実践ではありません。
むしろ、いつもの生活そのものが実践の場になるということです。
「実践ばっかりになってしまう」
そう感じる人もいるかもしれません。
けれど、考えてみれば、私たちは毎日、さまざまなものに注意を向けています。
何気なく開いたSNS。次々と流れてくるニュース。誰かの発言に腹を立てたり、不安になったり、気づけば何十分も経っていたり。
もちろん、ニュースを見ることも、SNSを楽しむことも悪いわけではありません。
ただ、自分で選んで注意を向けているのか。それとも、いつの間にか注意を持っていかれているのか。
そこには大きな違いがあります。
ならば、その時間のほんの一部を、自分の注意を取り戻すことに使ってもいいのではないでしょうか。
毎回、ドームを思い描く必要もありません。
今、自分はどこにいるのか。何をしているのか。何に注意を向けているのか。
それに気づくだけでも、『タフティ』Lesson 2の実践につながります。
そして、必要に応じて、その場所で自分がどのように過ごしたいのかを意図してみる。
そう考えると、実践が増えるというより、日常生活そのものが実践になっていくのかもしれません。
安心できる領域を、少しずつ広げていく
今回の「住まいの調和」を、私は「安心域の拡大」という視点からも捉えています。
危険や恐れ、不安に着目するのではなく、今ある平穏や快適さに注意を向け、安心して過ごせる状態を意図する。
その対象は、住まいから始まり、やがて自分が日々身を置く場所へと広がっていくかもしれません。
もちろん、これは「物理的な」安全を保証するという意味ではありません。
危険があれば必要な対処をする。そのうえで、自分の注意をどう扱うかという話です。
自分自身を包む。大切な人を包む。住まいを包む。
三つのテクニックを通して見えてきたのは、守る対象を増やしたりひろげたりすることだけではありませんでした。
どこにいても、普段から自分の注意を自分のもとにおいておくこと。
そして、今いる場所で、自分がどのような現実を生きたいのかを意図すること。
その実践は、家の中だけでなく、外へ出ても続いていくのです。
結び ── 警報が鳴りやんだあと
さあ、次はどの記事にしようか考えていた今日、突然「大地震が来ます!」という警報が流れたことは、冒頭でお話した通りです。
私も思わず焦りました。しばらく心臓がドキドキして、注意は一瞬で、そして結構な時間、まだ起きていない災難のほうへ向いていました。
幸い、警報は誤報でした。
もちろん、警報が鳴ったらまず身を守る。必要な情報を確認し、危険に備える。それは欠かせません。
けれども、誤報だとわかったあとも、SNSでは原因についての憶測や、さまざまな意見が飛び交っていました。
次々と流れてくる情報を追いながら、ふと思いました。
「私は今、何のためにこれを見ているのだろう?」
『タフティ』では、自分の注意がどこに向いているのかに気づき、「気づきの中心点」に戻ることが繰り返し説かれています。
一方で、自分の注意がどこへ向かっているのかを見失い、そのまま反応し続けてしまう状態のことを「眠りに落ちる」とも言っています。
まさしく今日の私は、正しく「眠りに落ちた」状態でした。
危険が迫っているときには、必要な行動を取ることが大切です。
けれど、危険が差し迫っていないと確認できたあとまで、不安や憶測に注意を向け続ける必要はありません。
今回の「住まいの調和」も、まず自分と家が穏やかな状態にあることを確かめるところから始まります。
まだ起きていない災難を思い描くのではなく、今ある平穏に注意を向ける。そして、その平穏が続いていくことを意図する。
家の点検や修理、防災対策に代わるものではないから、現実に必要なことはきちんと行う。そのうえで、
自分の注意をどこに置くのかは、自分で選ぶことができます。
守るために、恐れ続ける必要はない。
警報が鳴りやんだあと、自分の中の警報まで鳴らし続けなくてもいい。
「知る必要があること」と「知り続けたくなること」は、同じではないのですから。
この記事は、「守り」をめぐる三部作の三本目にあたります。
一本目はヴァジム・ゼランドの「エネルギーの繭」のテクニック(自分自身を包む)、二本目は大切な人を守る「エネルギーの繭」(大切な誰かを包む)です。
手順で登場する意図の三つ編み(コシツァ)、状態を見張る内なる見張り役(観察者)は、用語辞典で解説しています。
「不安なままではいけない」理由そのものについては、あなたの人生は24時間ライブ放送中!言葉にならない本音を現象する「放射」の仕組みもあわせてどうぞ。
「私の家、私たちは一緒にいて、
すべてが順調です」
恐れを広げるのではなく、安心の領域を広げていく。

コメント
コメント一覧 (1件)
[…] もう一つ、今回の動画を読み返すきっかけになった出来事があります。2026年10月16日、突然「大地震が来ます!」という警報が流れました。私も驚き、しばらく心臓がドキドキしていました。結果的に警報は誤報でしたが、その後もSNSでは、原因についてのさまざまな意見や憶測が飛び交っていました。 […]