タフティ
現実を変える前に、注意を取り戻す。
──なぜタフティは「注意」から始めるのか?
「もしあなたの注意があなたのものでないなら、あなたの人生もあなたのものではありません」
トランサーフィンやタフティの実践において、度々耳にするこの言葉が、この記事の出発点です。
タフティのテクニックには、三つ編み、コマ照射、思考フォーム——さまざまな技法があります。けれどセンターのプログラムでは、そのどれよりも先に、必ず「注意の管理」が置かれます。なぜでしょうか。
本ページは、トランサーフィンセンターの記事と、そこに束ねられた3本のYouTube動画(2019年〜2020年)を翻訳・再構成したものです。「注意とは何か」「なぜ舵取りが必要なのか」「では具体的にどうするのか」——タフティの基本技法である「2つのスクリーン」まで、通して辿れるようにしました。
「注意」? ──邦訳本では、その言葉は「意識」と書かれています
この記事は最初から最後まで「注意」という言葉で進みます。けれど『タフティ・ザ・プリーステス』を日本語で読まれた方は、いま「注意? そんな言葉、本に出てきたっけ」と思われたかもしれません。
そのとおりです。邦訳本では、この概念はほぼ全篇にわたって「意識」と訳されています。「2つのスクリーン」の章も、「あなたの意識は内部または外部のスクリーンに常にあって……」という書き方になっています。
邦訳本に「注意」という語が現れるのは、わずか3箇所です。しかもその3箇所とも、「特別な注意を払う」「細心の注意を払う」「気をつける」という、日本語のごくふつうの慣用表現として使われているだけで、トランサーフィンやタフティが概念として語る внимание ではありません。
邦訳本の「意識」=この記事の「注意」
と読み替えてお読みください。
では、なぜ当サイトは「注意」を採るのか。ロシア語では、внимание(ヴニマーニエ/注意)と сознание・осознанность(ソズナーニエ/オソズナーンノスチ=意識・気づき)は、はっきり別の語だからです。前者を「意識」に寄せてしまうと、後者との区別が日本語側で消えてしまいます。
それは、この記事のように両方が同時に出てくる文章では致命的です。「気づきの中心点に、注意を戻す」という一文が、「意識の中心点に、意識を戻す」になってしまう。何を、どこへ動かす話なのか、分からなくなります。
もうひとつ、実感に即した理由があります。внимание は、向けたり、逸れたり、奪われたり、貼りついたり、取り戻したりできるものです。日本語の「意識」は、そういうふうには動きません。「意識を取り戻す」と言えば、それは気絶からの回復のことになってしまう。
スポットライトの光線のように、こちらが向きを決められるもの——それが внимание です。だから当サイトは「注意」と書きます。
「注意」と聞くと、日本人の場合、
「上司に怒られないように“注意”する」
「やらかした部下に厳重“注意”する」
「注意力散漫だね、だからミスばっかりするんだよ」
「そこ、危ないから“注意”して」
といったように、そこには緊張、警戒、叱責、そして「何か失敗を避けるためのセルフコントロール(内的意図の力み)」という、どこか重苦しいニュアンスが漂っています。
しかし、トランサーフィンやタフティにおける「注意」とは、「現実を物質化するエネルギーのインク(源泉)」そのものであり、あなたという「存在の本体」である——このことを、まず覚えておく必要があります。
それは、
「あなたの注意が向かう場所に、あなたのエネルギーが流れる。そして、あなたのエネルギーが流れる場所に、現実(リアリティ)が物質化する」
ということです。
注意とは、映画館で言えばスクリーンに映像を映し出すプロジェクターの「光線(エネルギー)」そのものです。
世界の鏡は、あなたの「願い」を映すのではなく、あなたの「注意がフォーカスしている絵」をそのまま物理的に反射して現実化するのです。
そして2024年3月以降、ヴァジム・ゼランドは、こう語るようになりました。
「あなた、あるいはより正確に言うなら、あなたの『真の自我(Я)』とは、あなたの【注意】そのものであり、それ以外には何もない」
私たちは普段、名前、職業、過去の経歴、性格といった「アバター(キャラクター)の仮面」を自分だと思い込んでいますが、それらはすべて映画のシナリオ(システム)が用意した舞台装置にすぎません。それらの余計なデコレーションをすべて剥ぎ取った後に残る、ただ世界を静かに見つめている「スポットライトの光線」そのもの。それこそが、注意そのものであり、本来のあなた(魂・スピリット)の本体だと言っているのです。
なぜ、意図よりも先に注意なのか
トランサーフィンやタフティにおいて、ヴァジム・ゼランドも、トランサーフィンセンターのタチアナ・サマリナも同じことを強調しています。
自分の新しい現実を創り始める前に、まず注意の舵取りを学ぶ必要がある。
けれど、すべての実践者がこれを最後まで腑に落としているわけではありません。それは無理もない話です。できるだけ早く面白いところに取り掛かりたい。意図を設定して、絵筆を手に取って、自分の色彩豊かな人生を描き始めたい——そう思うのが自然だからです。
しかし、注意の舵取りを学ぶまでは、トランサーフィンとタフティのテクニックが100%機能することはないと記事は言います。十分機能していないときに、こんな問いが生まれるのです。
「なぜ私の意図は、実現するのにこんなに時間がかかるのだろう?」
「いったいいつになったら、望むものが手に入るのだろう?」
望むもの(現実)は手に入ります。ただしそれは、あなたの注意が問題の中へ沈み込み、タフティの言う「現在のコマで立ち往生する」のをやめたときだけなのです。
① すでに現像された「写真」と取っ組み合いの喧嘩をしている
「現在のコマ」はすでに「過去」に確定して上映された結果(残像)にすぎません。過去の産物である、目の前の現実に対して怒ったり、内的意図(力ずくの精神力)で解決しようとしたりするのは、すでに印刷された写真の自分の髪型や背景が気に入らないからといって、その写真の紙を必死に引っ張って直そうとするようなものです。
② 注意が、問題という「蜘蛛の巣」にガムのようにへばりついている(エネルギーの横領)
「注意」は、この世界に現実を物質化するためのエネルギーです。「問題」という外なるスクリーンに注意(=エネルギー)を没収されて眠らされると、システム/振り子が差し出してくる「私は問題のためにエネルギーを注ぎ続けます」という不当な契約書に、毎日サインをし続けるようなハメに陥ります。その結果、エネルギーが「問題の固定化」だけに流れ続け、タイムラインがその場にフリーズ(立ち往生)してしまうのです。
③ プロジェクターのレンズが「問題のあるコマ」に密着することによる画面のフリーズ化
本来、あなたは「次はこのシーン(理想の未来のコマ)を上映する」と、頭を上げて未来のタイムラインを照らす(設定する)権利を持っています。
しかし、注意が現在のコマに奪われていると、プロジェクターのレンズは常に「目の前の不都合なコマ(現在の問題)」にぴったりと密着した状態になります。次のフィルム(理想の未来のコマ)に光を照射するのをやめてしまっているため、映画館の上映は一時停止(立ち往生)し、いつまで経っても「望む未来」がスクリーンに現れなくなるのです。
立ち往生から今すぐ脱出するには、まず立ち往生していることに気づいて「現在のコマはどうでもいい。それはすでに終わった残像だ。私が今から次のコマを決定する」と意図することから始まります。
“2時間、あなたはそこにいなかった”の真実
記事は、二つの光景を挙げています。誰でも一度は身に覚えのある光景ではないでしょうか。
仕事から帰って、ニュースを見るために“15分だけ”のつもりでテレビやパソコンの前に座りました。立ち上がったのは2時間後でした。ドラマ、面白そうな映画、友人からのメッセージ、知人の結婚式の写真、新しいアプリ……。
もうこの時点で、あなたはそこにいません。あなたの注意は、まるごと飲み込まれてしまいました。
他にもやりたいことがたくさんあったのに、「できなかった」。そんな気持ちだけが残ります。エネルギーが霧散していくのを感じ、もう何をする気力も残っていません。そうやって1時間また1時間、来る日も来る日も、あなたは自分の人生を取り逃がしているのです。
もうひとつは、もっと分かりやすい光景です。
心を躍らせる目標があり、そこへ向かっているはずなのに、日々「何か」があなたを進路から外し、気を散らし、邪魔をするのです。システム/振り子が、あなたを夢から遠ざけていきます。目先の問題を片づけることにエネルギーを使い果たし、本当にやりたいことには、もう力が残っていないのです。
もし自分の注意の舵を握っていなければ、その先へ進むことはできません。振り子も、重要性も、内なる見張り役の起動も、すべてこの土台の上にあるからです。だからこそ注意の舵取りは、トランサーフィンとタフティのすべての技法が乗っている基礎なのだ、と記事は述べています。
——目覚めた人だけが、自分の現実の舵を取ることができるのです。
私はいつも、あなたの注意こそが基礎の基礎だと言っています。そして、もしあなたの注意があなたのものでないなら、あなたの人生もあなたのものではありません。
12年以上プログラムを開催してきて、私は見てきました。進めば進むほど、あなたの注意はますます強く奪われていくということを。あなたが本当に望むように生きられないよう、システムは意図的に、あなたから注意をそらしているのです。
タチアナ・サマリナ
外に奪われる。内に沈む。──注意の2つのスクリーン
では、どうすれば充実して生き、自分の目標へ向かい、自分の現実を創れるのでしょうか。
まず第一に、注意の舵取りというスキルを訓練することです。
ヴァジム・ゼランドの著書『タフティ・ザ・プリーステス』の中で、タフティは私たちの注意がどんな仕組みになっているか、そしてどうすればそれを自分に取り戻せるかを詳しく語っています。
すべての人には、注意の2つのスクリーンがあります。
あなたの人生に起きる出来事、周りの人々、日常の用事——つまり、あなたの目の前の現実で起こっているすべてのこと。
(※「昨日起きたあの出来事」みたいに、過去の記憶にまつわるものは内部スクリーンになります。)
あなたの思考、心配事、願望、アイデア、感情——つまり、あなたの内側で起こっているすべてのこと。
1日を通して、あなたは絶えず注意を外部スクリーンへ、内部スクリーンへと移動させています。
では、そのどちらかで「立ち往生する」ことの、何が問題なのでしょうか。記事は二つの例で説明しています。
あなたは通りを歩きながら、ケンカをした夫(妻)とどう仲直りしようかと考えています。昨日の口論を頭の中で何度も再生し、誰が正しくて誰が間違っていたのかを見極めようとして、すっかりその記憶に没頭しています。
そして——角から曲がってきた車から、間一髪で飛び退く。信号がすでに赤に変わっていたことに、あなたは気づいていませんでした。
あなたは会議の席にいます。同僚たちがある問題をめぐって激しく議論を始め、会社の失敗の責任を互いになすりつけ合っています。あなたもその口論に巻き込まれていきます。
この間ずっと、あなたの中の“何か”が、その問題の正しい解決策を静かに教えてくれています。
けれど口論にすっかり心を奪われているので、その内なる声は聞こえません。あなたの注意は、そこで泥沼にはまり込んでいます。
片方だけを見ているとき、もう片方が“お留守”になってしまっています。丸ごと見失っているのです。
——内側に嵌まれば、現実の赤信号が見えない。外側に嵌まれば、魂の声が聞こえない。二つの例が言っているのは、同じひとつのことです。
気づきの中心点 ── 二つのスクリーンの「あいだ」
注意の管理に関するタフティのテクニックの主な目的は、この2つのスクリーンのあいだにある一点へ、自分の注意を戻すことを学ぶことです。その一点が気づきの中心点と呼ばれます。
つまり、外側で何が起きているかと、そのとき自分の内側で何を感じているかを、同時に見るということです。
気づきの中心点とは、どんな状況にあっても「内側」と「外側」に同時に存在できる、あなたの固有の能力です。
周りで起きている出来事を観察することもできるし、自分自身の思考、感情、アイデア、感覚を観察することもできる。
ここは、いま自分の注意がどこにあるのか、それが何に占められているのか、周りで何が起きているのか、そして自分自身が何をしているのか——それらを見るための、観察のポイントなのです。
注意が気づきの中心点にあるとき、あなたは最大限に集まっていて、「今ここ」に完全に居て、自分の目標と、自分がどこへ向かっているのかを覚えています。
注意を自分に取り戻す、5つのステップ
では、注意を気づきの中心点に置くことを、どうやって学べばいいのでしょうか。
タフティは、具体的なアルゴリズムを渡してくれます。一をして、二をして、結果を受け取る、という形で。これを定期的な実践と組み合わせることで、新しいスキルが身につき、やがて習慣になります。
思い出してください。タフティが言っているのは、あなたはこれをやる方法をすでに知っている、ということです。
「ただ、そのやり方を忘れてしまっただけ。けれど必ず思い出します」と。
今すぐ目を覚まし、自分に問いかけます。
「私の注意は、今、何に占められている?」
(例:SNSを見ながら他人のキラキラした投稿(外部スクリーン)と、それを見て『私はこのままでいいのか』と焦っていた(内部スクリーン)ことに気づく。)
あなたは今、何をしていますか? どこにいますか。何を感じていますか?
(例:私は今、薄暗い部屋のベッドにだらしなく寝転がって、スマホをガン見している。眉間に力が入っていて、呼吸がすごく浅い。そして、胸の奥でチクチクとした不快な『焦りの感情』を発生させているな。)
あなたを取り巻くものを見てください。あなたの周りで、何が起きていますか?
(例:エアコンがブーンと音を立てている。窓の外から雨の音が聞こえてくる。)
自分自身で、そう宣言します。
「私の意識は明晰だ。私は、自分の中で、そして自分の周りで何が起きているかを、はっきりと自覚している」
これで完了です。あなたは、気づきの中心点にいます。
このアルゴリズムを、少なくとも1日に4〜5回繰り返してください。次第に習慣になります。
仕事や日常の用事をしながら、できるだけ頻繁に自分の注意を追いかけ、自分の思考と周りの出来事の両方を同時に観察することを学んでいきます。
そして、毎日を前もって計画すること(一日を川の流れとして「流れの目的地(終着点)」を、あらかじめ意図しておくこと)。
今日はどんな用事があるか。用事に取り組み、目標へ向かって進みながら、問い続けること。
「今この瞬間、私の注意はどこへ向いているか?」
あなたは本当に、自分に必要なこと、意図の実現に近づけてくれることに取り組んでいますか? それとも、またしても電話やインターネットや心配事や、要らない会話の中で「眠りに落ちて」いますか?
自分の注意が目標から逸れていることに気づくたびに——それを自分に取り戻してください。気づきの中心点に入ること。「自分を見て、現実を見る」と。
「自分を見て、現実を見る」は、タフティの中でも最もよく知られたフレーズです。そしておそらく、最も誤解されているフレーズでもあります。
サマリナ氏は後述のアーカイブ動画で、実践者のこんな姿を描いています——「よし、すぐに気づきの中心点に入らなきゃ。タフティに書いてある通りに。それは何だ? 自分を見て、現実を見る、だ」と早口で自分に言い聞かせ、その瞬間に本当に注意が戻ってきたかどうかを、まったく感じていない。
唱えることは合図であって、中身ではありません。合図のあとに、本当に見にいく作業が要る。この点については 「自分を見て、現実を見る」──唱えるだけでOK? で詳しく扱っています。
注意を戻す練習を、日常の習慣にする
いいですか、あなたは内部と外部、2つのスクリーンを持っていて、「意識」というものを持っています。あなたの意識は内部または外部のスクリーンに常にあって、その中間にあることはほとんどありません。ですから、あなたは常に「眠っている」ということなのです。
(※冒頭の編集ノートのとおり、邦訳本では「意識」と訳されていますが、「注意」のことをさしています。)
ヴァジム・ゼランド『タフティ・ザ・プリーステス:Lesson 1「2つのスクリーン」』
テクニック「2つのスクリーン」は、注意の舵取りを習慣にするための基本ツールです。
やり方は、拍子抜けするほど単純です。
1日のうちの違う時刻に、携帯電話のリマインダーを4回か5回設定します。
たとえば10:00、12:00、15:00、18:00、21:00。
そしてアラームが鳴るたびに、自分の注意を気づきの中心点へ——外部スクリーンと内部スクリーンのあいだの点へ——移動させます。
この実践に、多くの時間は要りません。手元の作業からほとんど離れずに実行できます。
「今、私の注意はどこにあるだろう?」と問い、それを中心に置くのに必要なのは、おそらく1分か2分です。
「目を覚まし」、上のアルゴリズムに従い、この位置につくこと。
そして「自分を見て、現実を見る」。
「人混みの中でも、できますか?」
この質問への答えは、明快です。
——どこにいるかは、まったく重要ではありません。
「自分を見て、現実を見る」と唱えるその瞬間、あなたは自分の注意を中心に置き、周りで起きていることをただ観察します。自分の注意がどこへ向いているかを追いかけるのです。
特別なことをする必要も、何か特定の感情を味わう必要もありません。
ただ一歩引いて、自分の周りで起きていることを観察するだけです。
人混みのなかで注意を追いかけるのは、こんな感じです。
「今すれ違った人の奇抜なファッションに、注意が持っていかれたな」
「前の人が急に立ち止まって、『邪魔だな』ってイラッとしたな」
「スマホが鳴ったみたいで、気になったな」
注意を、尾行するスパイのように観察するのです。
意図を忘れる。注意を握りしめる。──そこで何が起きている?
ここからは、2020年のアーカイブ動画から。サマリナ氏が、実践者を長く見てきて気づいた“二つのつまずき”について語っている部分です。
一つ目 ── 意図は立てたのに、注意がよそにある
意図を設定し、それを宣言し、取り組み始めたとします。ところが結局のところ、注意は常にどこかで宙吊りになり、意図とは無関係のどこかに貼り付いてしまうのです。
そして、貼り付く先はたいてい決まっています。私たちにとって馴染み深い、けれどネガティブな事柄です。
「ほら、また自分の身に悪いことが起きた」
「ここではどうしてもうまくいかない」
「借金やローンから、どうしても抜け出せない」
「愛する人に、どうしても出会えない」
つまり、あなたは常にこうしたネガティブな瞬間の中で生きていて、注意もずっとそこにある(貼りついている)のです。意図に取り組み続けているのと、並行して。
この場合、意図やターゲットのコマを用いたワークの効き目は急激に落ち、ときには、注意が常に逸らされていることによって完全に帳消しになってしまう——とサマリナ氏は言います。
二つ目 ── 注意を「管理」しようとして、握りしめてしまう
そこで注意に取り組もうとするわけですが、ここに二つ目のつまずきがあります。
注意を管理しようとするとき、私たちはそれを“コントロール”しようとしてしまうのです。
(※注意をコントロールしようとするのは、「自分の力(内的意図)」でなんとかしたい理性か、エゴ(システム/振り子と繋がった低次の自分)の働きによるものです。)
先ほどのNOTEで触れた、早口で唱えるだけの姿がそれです。では、注意を取り戻すとは何でしょうか。
それは、今この瞬間はとにかく何かについて考えるのをやめ、いまの瞬間に集まり、穏やかで調和のとれた、均衡のある状態を感じること。そしてすでにその状態から、自分の望むものを設定することです。そうして初めて、それは機能します。
タチアナ・サマリナ(2020年6月10日)
そしてその後、何が起きるか。あなたはまた眠りに落ちます。何かのルーティンに入り込み、意図のことを忘れ、一日の終わりになってようやく「あ、三つ編みを起動させなきゃ」と思い出す。これもまた、効率の悪いやり方です。
「ずっと目醒めていること(注意の舵取りができていること)は、可能ですか?」
よく聞かれる質問だといいます。
ずっと注意の舵を握っていることは可能なのか?
いつも目醒めた状態でいることは可能なのか?
サマリナ氏の答えは「はい」です。理由は、彼女が「気づき」という言葉で何を指しているかにあります。
自分の感情を観察しているとき。
自分がある状況にどう巻き込まれつつあるかを見ているとき。
そしてそれと同時に、そこから素早く抜け出す余地が自分にあるとき。
その状況の影響を、帳消しにすることができる。——これこそが“気づき”なのだ、と。
24時間すべてに対して完全に中立でいなければならない、という話ではありません。
私たちは人間で、感情があります。彼女自身にも感情がある。けれど同時に、素早く切り替える余地があるのです。抑圧するのでもなく、外へ放出するのでもなく。
「今のうちに感情を解放したほうがいい。なぜ我慢して、後で身体を壊さなければならないんだ? 言いたいことを言ってやる!」——そう考える人もいます。けれど実際に口から出るときには、たいてい配慮を欠いた、乱暴な形で表に出てしまい、自分にも相手にも何の利益ももたらさない結果となるのです。
つまり、注意を管理するとは、自分の感情の状態と、自分の思考を観察することです。“コントロール”するのではなく、まさに観察すること。それらをただ在るがままにさせておき、そして、自分を満たしてくれるもの——軽やかさ、愛、インスピレーションを与えてくれる思考、状況、状態——へと、注意を切り替えることです。
タチアナ・サマリナ(2020年6月10日)
ロシア語には、日本語だとどちらも「管理」「制御」と訳せてしまう二つの語があります。управление(ウプラヴレーニエ)と контроль(カントロール/コントロール)です。当サイトが原語に「注意の管理」という訳を当て、「注意のコントロール」と書かないのは、この区別が原典の核心にあるためです。
トランサーフィンやタフティで使われている управление は、操縦、舵取り──車のハンドリングに近い言葉です。熟練したドライバーは、ハンドルをギチギチに握りしめてはいません。車の挙動を感じ取り、それと一体になって、必要なだけ手を添えている。
一方、контроль は、初心者にありがちな力みです。ハンドルを固く握り、全身を緊張させ、それでいて実際には、車の動きを何ひとつ感じ取れていません。そして力づくで思い通りにしようとするとき、過剰ポテンシャルまで発生するのです。
だから「注意を管理する」は、注意を締め上げる(コントロールする)ことではありません。いま注意がどこにいるかを感じ取り、そっと向きを変えることです。さきほどのサマリナ氏の言葉——コントロールするのではなく、まさに観察すること——は、まさにこの区別を指しています。
混同されがちな言葉ですが、управление(操縦、舵取り)であって、контроль(コントロール)ではない、と度々述べられています。
そしてこのスキルは、鍛えられるものだ、とサマリナ氏は言います。
プログラムでは日中ずっとそれを覚えていられるよう、さまざまな実践が渡されます。ジムに通うように、この「気づきの筋肉」を鍛えるためです。鍛えた先では、「自動的に」使えるようになるのです。
——ここでの「自動的に」は、また眠りに落ちるという意味ではありません。「(自然に注意の管理ができる)新しい習慣を持つ」、という意味です。
結び ── 注意を取り戻すことは、人生を取り戻すこと
注意の管理は、一日や一週間で身につくものではない、とサマリナ氏は繰り返します。定期的に、体系的に、訓練するもの。
なぜそこまで訓練する必要があるのか。突き詰めるまでもなく、理由はシンプルにひとつです。
注意が自分のものでなければ、人生も自分のものではないから。
そして最初の一歩は、リマインダーを5つ設定することだけです。
10時、12時、15時、18時、21時。鳴ったら、1分。そして、
この記事の中心概念は、用語辞典の気づきの中心点で定義しています。二つのスクリーンの切り替えについては気づきの中心点──内側と外側を、同時に見るには?を、「眠り」という言葉が何を指しているかは起きているのに、眠っている?を、そして注意が逸れた先で何が起きているかはなぜ“嫌なこと”ばかり引き寄せるのかをどうぞ。
「今、私の注意はどこにある?」
注意を取り戻すことは、自分の人生を取り戻すこと。
